2012.9.27 (木)
KINOTO proudly presents 「IN THE CITY -3MAN SPECIAL-」
pheno▼menon / ヒーヒズヒムイズム / ロザンナ
opening act: THE BEAM (from 岡山)
ヒーヒズヒーイズムを中心になのですが、他のバンドさんも少し語らせてもらおうかなと思います。
岡山からこられたという『THE BEAM』から始まりました。
3ピースバンドで、ヴォーカルは男性。全体的にノリの良く踊れる感じの曲でした。ベースが個人的にかなり迫力あって、インパクトありました。ただ、全体として特徴を問われた時に、歌詞や声量の部分で難があるのを感じました。「世の中の下らないことばっかで俺はソレをビッチと呼ぶ」とMCから始まった『ビッチ』という曲は中々言いたいことが明確で良かったです。あまり歌詞が聞き取りにくかったのに難がありましたが。
次に『ロザンナ』
片方ヴォーカルを兼ねたwギターにベースとドラムという四人編成バンド。これもメンバーは全員男性。鬼の自主製作のTシャツを着てパフォーマンスをしていて、鬼の嘆きや怒りというメッセージ性は残せていると思う。音も重層的なものがあって、客はゆったりとカラダを動かす感じの曲である。
纏まってはいるなと感じたが、個人的にはどうしても好きとは言い切れない感じがした。それは感傷的なものを伝えるのに、どうしても個人の迫力的なものが必要な部分があってそれが足りていなかったからだと思う。また音や言葉に何か突き抜けた感触が無く物足りない点も感じられた。
『pheno▼menon』
4人編成のバンド。男性ヴォーカルに、ギター、ベース、ドラムという編成。
MCが面白かったというのが、頭に残っている。「右の足の小指粉砕骨折しているのにクセで飛び跳ねちゃってめっちゃ痛かったよ。お前らも、もっと痛め!渋谷も、もっと痛め!」というのが何だか関西のノリのような感じがして良かった。最前列の客には女性客多めで、男のかっこよさが伝わるバンドでした。ただし、曲を問われた際にヴォーカルの声が曲に混じり込む感じになっていて、初めて聴く人には聞き取りづらい感じが否めなかった。音としてはノリがいい感じの方向性ではあるが影の部分も見え隠れして、完全にノリきれるかと問われた際に答えづらい解釈の難しいバンドであった。
そして本題の『ヒーヒズヒムイズム』
ホームページからそのままメンバー紹介を転載すると。以下敬称略。
お唄と六弦 横溝 鞠子
BASS+歪 中村 リド
六弦ブラン ナカムラシン弌
揺らすリズム 山本 昇平
という不思議な表現でメンバーを紹介している。要するに、女性ヴォーカル件ギター、ギター、ベース、ドラムという編成である。
何故このような書き方をしたかというとこのメンバー紹介の仕方にヒーヒズの特徴が顕著にでているからだ。計三回彼女らのライブを見ている、しかし最初他のバンドが目当てで行った時、彼女らの良さが分からなかった。しかし気になる存在として印象に残った。そのエピソードから語ろう。
それが、カニバルラビットというバンドの活動休止ライブでヒーヒズが出演していて際のヴォーカルの鞠子の言葉である。「カニバルラビット活動休止おめでとう」と彼女はMCで言った。活動休止なのにオメデトウってどういう意味なんだろうか?というインパクトがあった。説明を鞠子がする、人が何か前に進むっていうのは何か捨てなきゃいけないということでもある。カニバルラビットは何かを得るために活動休止を決めた。だから、その決断におめでとうと言いたい。ここら辺記憶が曖昧な部分があるので正確な彼女の言葉ではないのだけれども、このように語った。そして最後「カニバルラビットやっぱり解散寂しいよ。だからカニバルラビットがおもわずライブがしたくなるようなライブをしてゆくよ」と語った。ストレートには悲しいなんては言えない、彼女らしい逆説的な繊細な言葉を選びぬきた「カニバルラビット活動休止おめでとう」との言葉。そこにカニバルラビットへの愛が非常に伝わるものがあった。
ヒーヒズヒムイズムの特徴は、微細な心理や心境を、明るさや暗さを、慎重にそして大胆に、ストレートかつ逆説的に豊潤な感性から選び抜き歌詞や音に落とし込んでいるという点だ。だから非常に魅力的ではあるのだけれども、時として分かりづらさが難としてあり、だから自分も最初彼女らの魅力が理解できなかった。それが今回の箱では15名程度という客の動員数となっているのだと思う。因みにブログやツイッターでの彼女らの言葉は物凄く表現が豊富で凝っていて素晴らしい文章となっているので、まずはブログ読むことをお勧めする。
4 ①会場の盛り上がり一体感(どれだけ客が盛り上がったか)
4 ②音(総合的な音楽としての出来栄え)
3 ③歌詞(文章能力的なものを音に落とし込んだときの良さです)
4 ④カリスマ(何か神聖なものに惹かれるということ)
1 ⑤分かりやすさ(社会のなかでどれだけ他の人に趣向に合うか工夫しているか)
2 ⑥世界観(そのような仮想or現実の世界が表現できているか)
4 ⑦思想性(どのような哲学的or感情的な意味を持つのか)
4 ⑧客への惹きつけ方(MCやどのくらい客を意識してパフォーマンスをしているか)
3 ⑨メジャー志向(どれだけの人に影響を与えられる幅をもっているか)
彼女らの代表曲は三曲で①ユーレイ②憂鬱な朝食③七割三分五厘
他の曲もいい物が多いのだけれども、これを挙げておこう。本当は歌詞を全て抜粋したいくらいなのですが、流石に長くなるので止めておきます。
端的に解説すると③七割三分五厘は初期の曲で、暗さや狂気が全面にでている。どうしようも無い感じになっている時に、でも自分を認めて欲しい少女がジタンダ踏んでいる姿が思い浮かんでくる。割合ストレートな歌詞なので、今回のライブでアンコールで『七割三分五厘』という声が聞かれるのにも頷けるものがある曲だ。
②憂鬱な朝食 ベースの沈んだ感じの曲調から初まり、神経質なギターの音がそれに乗っかってくる。続いて控えめドラムが差し込まれてゆき演奏は始まる。この曲の歌詞で歌われている内容は特殊な感情で体験したことが無い人しか分からないものがある。「芸術が日常で風邪をひいた気分」という言葉がそれに象徴されている。溢れ出る感情か思いや言葉がぐるぐると頭のなかにでてくるけど持て余している様子が伺える。ただ、歌詞が前半と後半で分離していて、後半から「ねぇ、ダーリントースターの失敗を叱って」と彼氏に問いかけて構って欲しい女の子の様子がでてくるのだけれども、それがどう前半とつながっているのか分からなかった。
①ユーレイは「暗さの中で見た明るさを表現している」曲だ。物凄く逆説的で歌詞をじっくり読み込まないと分からないものがある。これも、特殊な感情を表現している曲だ。ただし、曲調として明るいものがあって、この曲が一番受け入れやすい感じの曲になっている。
以下全歌詞を解釈したもの。
理想を語る男をバランス悪いなって見る私 結局、男と女、セックスをするだけ 貴方は貴方の世界で生きていて、私は置いてきぼり なんか私ってユーレイみたい。でも、この関係性が好きなんだ。良い時は貴方は私のご機嫌をとってくれる 悪い時には私をもういっそ殺したほういいんじゃないってことをする だけど、私には分かる。これは仕方ないこと。男女にはどうしても起きること。世の摂理。 だから、私はこう思う。貴方は私の神様だって。
そしてようやく2012.9.27 (木)
KINOTO proudly presents 「IN THE CITY -3MAN SPECIAL-」のライブレポに入ります。
会場に入るなりヴォーカル件ギターの鞠子を発見した。黒いフードを頭から被っていて、顔を隠しながら神経質そうにタバコを吸っている身長の高い女性。人は緊張している時、タバコを吸って誤魔化すのだけれども、それが顕著に伝わるくらいずっとタバコを吸っていた。
演奏が始まる。いつもの微睡から始まる。原曲は忘れたがあるクラシックの名曲であったはずだと思う、それのアレンジしたバックミュージックを背景に真っ暗な場内のなか、時折ステージに明かりが灯されてはゴシックな服装を身にまとった彼女らの、ベースを高くあげたり、右手をは腹に回しうやうやしく頭を下げ挨拶をする姿が浮かび合ってはきえてゆく。何回か浮かびあった末にようやく演奏が始まる。
曲については先ほど説明を十分にしたと思うので、彼女らの魅力の一つである。客への魅せ方を中心に語ってゆこう。
wギターではあるのだけれども、実は彼女らの曲にはヴォーカルの鞠子がギターをしなくて良いパートが多く設けられており、それを十二分に鞠子は上手く活かし喜怒愛楽様々な感情やヒーヒズヒムイズムの音の魅力を余った手を使い表現をしている。例えばギターほうに手を垂直にひらいてみたりしてギターの良さをアピールしてみたり。曲に綴った自分の精神の混乱状況を頭を両手で抱えて表現みたり。そして特に印象的であったのは『今日は私が死んだ後の世界のことばかり考えていた』という曲で「ごめんね。私がいなければ。君は泣かずに済んだわ」という歌詞のところで両手で顔を隠し泣いているような仕草が、非常に心を打つものであった。
またMCも巧みだ。みんな飲んでいるか!?とお客さんの酒を次々に貰って飲んで見せたり。「今日はみんなどんな思いでここに来たのかな?」と客に問いかけてみたり。また客のほうでも、それにのっていって、ドラムの山本が長袖を着ていたのだが演奏している最中にステッキが半分かぶるくらいまで伸びてしまったのを見て笑いかけ、それに山本が苦笑をするなど会場にコミュニケーションがとれているなというのを感じた。
そんな喜怒哀楽の変化がある物語性のあるパフォーマンスがライブにおいての彼女らの魅力だ。
演奏は終わるが、最後アンコールが湧き上がる。それだけ、客を惹きつけたからこそのアンコールであったと思う。「アンコールありがとうヒーヒズヒムイズムです」との声から再登壇した彼女らは「ヒーヒズヒムイズム最高のバラードをして終わります」と言ったのに反して、爆音を背景に鞠子が客に飛び込んでいって色んな人に抱きついたり、女性客にキスをしようとしたりと暴れまわって最後めちゃくちゃになって観客全体で楽しめることができた。
総括
ヒーヒズヒムイズムは客を非常に見るバンドで、喜怒哀楽がそこにかくされている。しかし、手にあふれたかえった豊潤な感情や感性を分かりやすく歌詞や音に落とし込めているかと考えた時に疑問の余地が入る。一歩引いてみるとゴシックな服装をした人達が、何か暗い事歌っているな、という印象をどうしても受けてしまう。彼女らを全力で聞かないと、良さが伝わらないという所が課題なのかと思う。気軽には聴けない。聴いていて、疲れる感じを受ける。
一般的に、小説やマンガもそうなのだけが暗い作品は誰でもできるが、明るい作品は誰にでもできないと言われている。
暗いなかで魅せる明るさが、今のヒーヒズヒムイズムだ。個人的にはさらに進歩した明るいなかで暗さを魅せるバンドになって欲しいかなと思います。
パルロックフェスティバル2012(残響祭vol.19)
『高円寺駅南口すぐの「パル商店街」に所在するレンタルスタジオ「ドムスタジオ」借りきってオールナイトでライブ・イベントします。入場料1000円!屋上で焼肉!飲み物は自費で持ち込み可!(近くにコンビニあり,再入場自由)ミニコミ「饗苑」つき!』
4つのステージと出演者 以下敬称略
Gスタジオ
ライブ えむぬふ THEパーティー paless 逃亡くそタわけ 日本泥棒
Aスタジオ
ライブ 例のK タナカカイタ (worst taste) msksig+okymtks 廃いゆー子 アルコールビーフ
Cスタジオ
DJ ぽえむ (2MUCH CREW) 久藤晴久 panparth (若い芽っこの会) 内田るん (くほんぶつ) GeakBoy 片岡ハルカ (100yenLABEL) ライブ パリッコ スレンテンノイ!
屋上
ライブ モンボール屋上 もぐらか迷子 フリーフード 焼肉
このイベント潜入してきました。ところで、高円寺で、ちょっとマイナーな音楽のオールナイトイベントってどういう印象受けますでしょうか?
サブカル臭がぷんぷんしますよね。何かみんな業界人ぶっている都会のお洒落な人達がいっぱいいて、何かしらの創作活動をしてて、そんな偏見ある人いませんか?
実際そんな感じでした。ただし、自分が話した方は物凄く真面目な人達で、悩み抜いて音楽や写真や絵画なんかで表現をしていて、想像上のサブカル女子みたいな典型的なレッテルが容易に貼られるような人間がいなくて、それが自分には心地良かったです。
私は 廃いゆー子を目当てでこのイベントに参加したので、それを中心に。しかし、これは目当てのバンドを見に行って楽しむというものでは無かった。初めは音楽批評を真面目に書こうかと思っていたが、やめた。そんなものに、このイベントを表現するのでは魅力が削がれてしまうから。
時系列飛ばしイベントの終わりに差し掛かっていたころ、私はある名前も知らない男性に「ライブ会場で、こんなに色んな人と話したの初めてですよ」と話した。それに彼は「これはパーティだから。知らない人と話すの当たり前ですよ」なんて言われて、ああ、私はライブという枠に当てはまって考えすぎていたのに気がつかされた。ここはパーティ、言わば社交場。人が交わる場所なんだと。
幅広い年齢層、色んな意味で言葉にはできない年齢の人から上は50歳くらいの人まで様々いて、最初私はふらふらと知り合いばかり探していたのだけれでも、次第に、酒か?音か?打ち解けていってパーティの中に混ざり合っていった。
その意味で、混ざり合う切っ掛けになったのが、 廃いゆー子のライブであった。
金髪のカツラを被り、赤いスカートにセーラー服の白い部分、中央に黒いマジックで、でかでかと『 廃いゆー子』と書かれた出で立ちで現れた彼は、時間が来るとともにスイッチを入れた。まず、客のチンコを準々に触っていき日常の空間をぶち壊す。
最初は台本があったのだろうか?「破滅型メンヘラアイドルの 廃いゆー子ですみんなのために笑顔で演じます」なんてことを言ってみたはいいものの、直ぐに「私がアイドルなわけねーじゃんかよ!私は演じるってものが大嫌いなんだ。この前演劇というものに誘われて参加してみたわいいものの、演じるってことが分からなくなって人殴ってしまったよ」と叫び。「だからアイドルやめます」と言って歌いだした。「私はどうしようもないメンヘラだから……みんな不幸そうな顔しているな……」と即興の歌詞であろう歌を。
次第にむき出しの感情が顕になってゆく。まずは服装から。上下服を脱いで女性物のブルマ一丁の姿になる。
そして、今回の廃ゆー子の歌っていたのか叫んでいたのか分からない言葉で「仮面を被って毎日サラリーマンのコスプレをしている奴」らという言葉を鮮明に覚えている。コスプレできない自分という意味なのか、コスプレとかして何が楽しいのかという意味なのか、コスプレの下にはもっと醜いものが隠されているんだぞ、という意味なのか分からない。しかし、廃ゆー子の表現したいであろう想いの言葉が詰まった言葉であった。
今回は台本作ってきた、というのに反し台本なんて全て飛んでいってしまい、また血を流さないとか宣言していたのに、切腹リスカをするわ、ブルマ姿のまま、外で拡声器持って飛びだすわで、はちゃめちゃな彼のフリースタイルな、しかし内容の濃い予定の時刻は終わった。しかし、次のバンドまで時間があった。
第二幕が始まったのだ。まずは演劇、さすがに即興だったので、訳のわからない落ちのない話の演劇にはなったが、観客がそれをフォローした。第一幕の 廃いゆー子のパフォーマンスがあったからこそ。みんなが、空間を作り上げて盛り上がっていた。そして途中、ドラマーの人が乱入してきて、突然のギタードラムのセッションが始まる。本当に初めて出会って台本とか一切ない、顔も知らない二人による演奏。パーティだからこそできる、このハプニング、いや奇跡って自分は言いたい。兎に角物凄く噛み合った音が作り上げられた。 廃いゆー子のテクニックのある正統派でスマートなギターの音。そのギターに作り出す、繰り返しの演奏の部分になるギターのリフに合わせた器用で重厚なドラム音。濃厚な物語性のあるこの音が部屋中に響き渡る、そして観客は踊り狂う。観客も演者も一体となった時間ぎりぎりまで続いたパーティ。それが、このパルロックフェスティバルでしか味わえない、前後不明な人と人が交じり合うパーティだった。
だから、この後、廃ゆーこの現場に居合わせた人達は直ぐに打ち解けた。演奏のあったスタジオを出るなり女の子が三人話ししていた。自分も交わる。「何歳なのー」とか「今日一人きりだったから寂しかったんだ」とか「あだ名付け合おうよ」とか、初めは上っ面かもしれない。でも、次第にそこから色んな輪が広がっていって、音楽も聞かずに、自分たちはひたすら話し込んでしまった。ワインを回し飲みしながらお菓子を摘んだり。童顔の男の子がナースにコスプレをしてみんなで笑ったり、その姿を写真を撮る人もいたり。セルフポートレートという自分で自分の写真を撮影をするという写真表現をした作品をパソコンをひらいて、見せ始める人もいた。私も、CDのジャッケットのイラストなどの絵を描いている人から、作品を見せてもらっていた。「私綺麗なものが嘘っぽくて苦手なの。だから汚いものが好きでそれを描くんだ」と見せて貰った作品は、様々な日常の痛みが表現されていて心に突き刺さるものがあった。「確かに受ける作品があるっていうのも分かるんです。でも、どうしても自分はこうとしか書けないんですよね」という言葉に苦しみぬいて作品を作っているな。真摯に向き合っているなというのを感じた。
実はとあるシャイな友人もこのイベントに誘って一緒に来たのだが、普段は女の子と話すこと以前に男ともマトモに会話することもおぼつかない彼は酒の力を借りて訳分からない絡み方を他人として、楽しんでパーティに参加していた。
自分も、思い思い動き、喋り、『例のK』という見たかったバンドのベースの音に酔いしれたりと。自由だった。まさにパーティだった。そんなこんなで楽しい時間は過ぎ、終幕。
最後にオチでも、高円寺のマックで最後打ち上げ中で、とある写真家の女の子と芸術論とはというのを真剣に喋っていたとき、同じく高円寺にあるクラブ帰りの人と、パルロックのパーティのノリでひょんな拍子で話すことになった。
「俺詩人なんだ」と30半ば位のお兄さんが自己紹介をする。ああ、いかにも高円寺にいそうなサブカル男子そうな人だな直感した。なので、少し虐めてみた。
「へーどんな詩書いているんですか?」
「うーん少年の心ってのが大好きでそんなものを……」
彼は言葉を濁らせる。調子にのってさらに追求してみた。
「詩集とか出版されているんですか?」
「いやーそういう話もあったんだけど、印税の歩合が悪くてねぇ。だから断ったんだ」
僕は動揺しながら喋る彼の姿に、何かもう苦笑を止めるのに必死だった。
だから、やっぱ存在する!高円寺に住むサブカル男子って奴は!
なんて落ちで、今回のパルロックフェスティバル潜入レポートは終わります。
『高円寺駅南口すぐの「パル商店街」に所在するレンタルスタジオ「ドムスタジオ」借りきってオールナイトでライブ・イベントします。入場料1000円!屋上で焼肉!飲み物は自費で持ち込み可!(近くにコンビニあり,再入場自由)ミニコミ「饗苑」つき!』
4つのステージと出演者 以下敬称略
Gスタジオ
ライブ えむぬふ THEパーティー paless 逃亡くそタわけ 日本泥棒
Aスタジオ
ライブ 例のK タナカカイタ (worst taste) msksig+okymtks 廃いゆー子 アルコールビーフ
Cスタジオ
DJ ぽえむ (2MUCH CREW) 久藤晴久 panparth (若い芽っこの会) 内田るん (くほんぶつ) GeakBoy 片岡ハルカ (100yenLABEL) ライブ パリッコ スレンテンノイ!
屋上
ライブ モンボール屋上 もぐらか迷子 フリーフード 焼肉
このイベント潜入してきました。ところで、高円寺で、ちょっとマイナーな音楽のオールナイトイベントってどういう印象受けますでしょうか?
サブカル臭がぷんぷんしますよね。何かみんな業界人ぶっている都会のお洒落な人達がいっぱいいて、何かしらの創作活動をしてて、そんな偏見ある人いませんか?
実際そんな感じでした。ただし、自分が話した方は物凄く真面目な人達で、悩み抜いて音楽や写真や絵画なんかで表現をしていて、想像上のサブカル女子みたいな典型的なレッテルが容易に貼られるような人間がいなくて、それが自分には心地良かったです。
私は 廃いゆー子を目当てでこのイベントに参加したので、それを中心に。しかし、これは目当てのバンドを見に行って楽しむというものでは無かった。初めは音楽批評を真面目に書こうかと思っていたが、やめた。そんなものに、このイベントを表現するのでは魅力が削がれてしまうから。
時系列飛ばしイベントの終わりに差し掛かっていたころ、私はある名前も知らない男性に「ライブ会場で、こんなに色んな人と話したの初めてですよ」と話した。それに彼は「これはパーティだから。知らない人と話すの当たり前ですよ」なんて言われて、ああ、私はライブという枠に当てはまって考えすぎていたのに気がつかされた。ここはパーティ、言わば社交場。人が交わる場所なんだと。
幅広い年齢層、色んな意味で言葉にはできない年齢の人から上は50歳くらいの人まで様々いて、最初私はふらふらと知り合いばかり探していたのだけれでも、次第に、酒か?音か?打ち解けていってパーティの中に混ざり合っていった。
その意味で、混ざり合う切っ掛けになったのが、 廃いゆー子のライブであった。
金髪のカツラを被り、赤いスカートにセーラー服の白い部分、中央に黒いマジックで、でかでかと『 廃いゆー子』と書かれた出で立ちで現れた彼は、時間が来るとともにスイッチを入れた。まず、客のチンコを準々に触っていき日常の空間をぶち壊す。
最初は台本があったのだろうか?「破滅型メンヘラアイドルの 廃いゆー子ですみんなのために笑顔で演じます」なんてことを言ってみたはいいものの、直ぐに「私がアイドルなわけねーじゃんかよ!私は演じるってものが大嫌いなんだ。この前演劇というものに誘われて参加してみたわいいものの、演じるってことが分からなくなって人殴ってしまったよ」と叫び。「だからアイドルやめます」と言って歌いだした。「私はどうしようもないメンヘラだから……みんな不幸そうな顔しているな……」と即興の歌詞であろう歌を。
次第にむき出しの感情が顕になってゆく。まずは服装から。上下服を脱いで女性物のブルマ一丁の姿になる。
そして、今回の廃ゆー子の歌っていたのか叫んでいたのか分からない言葉で「仮面を被って毎日サラリーマンのコスプレをしている奴」らという言葉を鮮明に覚えている。コスプレできない自分という意味なのか、コスプレとかして何が楽しいのかという意味なのか、コスプレの下にはもっと醜いものが隠されているんだぞ、という意味なのか分からない。しかし、廃ゆー子の表現したいであろう想いの言葉が詰まった言葉であった。
今回は台本作ってきた、というのに反し台本なんて全て飛んでいってしまい、また血を流さないとか宣言していたのに、切腹リスカをするわ、ブルマ姿のまま、外で拡声器持って飛びだすわで、はちゃめちゃな彼のフリースタイルな、しかし内容の濃い予定の時刻は終わった。しかし、次のバンドまで時間があった。
第二幕が始まったのだ。まずは演劇、さすがに即興だったので、訳のわからない落ちのない話の演劇にはなったが、観客がそれをフォローした。第一幕の 廃いゆー子のパフォーマンスがあったからこそ。みんなが、空間を作り上げて盛り上がっていた。そして途中、ドラマーの人が乱入してきて、突然のギタードラムのセッションが始まる。本当に初めて出会って台本とか一切ない、顔も知らない二人による演奏。パーティだからこそできる、このハプニング、いや奇跡って自分は言いたい。兎に角物凄く噛み合った音が作り上げられた。 廃いゆー子のテクニックのある正統派でスマートなギターの音。そのギターに作り出す、繰り返しの演奏の部分になるギターのリフに合わせた器用で重厚なドラム音。濃厚な物語性のあるこの音が部屋中に響き渡る、そして観客は踊り狂う。観客も演者も一体となった時間ぎりぎりまで続いたパーティ。それが、このパルロックフェスティバルでしか味わえない、前後不明な人と人が交じり合うパーティだった。
だから、この後、廃ゆーこの現場に居合わせた人達は直ぐに打ち解けた。演奏のあったスタジオを出るなり女の子が三人話ししていた。自分も交わる。「何歳なのー」とか「今日一人きりだったから寂しかったんだ」とか「あだ名付け合おうよ」とか、初めは上っ面かもしれない。でも、次第にそこから色んな輪が広がっていって、音楽も聞かずに、自分たちはひたすら話し込んでしまった。ワインを回し飲みしながらお菓子を摘んだり。童顔の男の子がナースにコスプレをしてみんなで笑ったり、その姿を写真を撮る人もいたり。セルフポートレートという自分で自分の写真を撮影をするという写真表現をした作品をパソコンをひらいて、見せ始める人もいた。私も、CDのジャッケットのイラストなどの絵を描いている人から、作品を見せてもらっていた。「私綺麗なものが嘘っぽくて苦手なの。だから汚いものが好きでそれを描くんだ」と見せて貰った作品は、様々な日常の痛みが表現されていて心に突き刺さるものがあった。「確かに受ける作品があるっていうのも分かるんです。でも、どうしても自分はこうとしか書けないんですよね」という言葉に苦しみぬいて作品を作っているな。真摯に向き合っているなというのを感じた。
実はとあるシャイな友人もこのイベントに誘って一緒に来たのだが、普段は女の子と話すこと以前に男ともマトモに会話することもおぼつかない彼は酒の力を借りて訳分からない絡み方を他人として、楽しんでパーティに参加していた。
自分も、思い思い動き、喋り、『例のK』という見たかったバンドのベースの音に酔いしれたりと。自由だった。まさにパーティだった。そんなこんなで楽しい時間は過ぎ、終幕。
最後にオチでも、高円寺のマックで最後打ち上げ中で、とある写真家の女の子と芸術論とはというのを真剣に喋っていたとき、同じく高円寺にあるクラブ帰りの人と、パルロックのパーティのノリでひょんな拍子で話すことになった。
「俺詩人なんだ」と30半ば位のお兄さんが自己紹介をする。ああ、いかにも高円寺にいそうなサブカル男子そうな人だな直感した。なので、少し虐めてみた。
「へーどんな詩書いているんですか?」
「うーん少年の心ってのが大好きでそんなものを……」
彼は言葉を濁らせる。調子にのってさらに追求してみた。
「詩集とか出版されているんですか?」
「いやーそういう話もあったんだけど、印税の歩合が悪くてねぇ。だから断ったんだ」
僕は動揺しながら喋る彼の姿に、何かもう苦笑を止めるのに必死だった。
だから、やっぱ存在する!高円寺に住むサブカル男子って奴は!
なんて落ちで、今回のパルロックフェスティバル潜入レポートは終わります。
一言で言い表すとしたらアングラ演劇です。バンドというよりミュージカルに近いです。
彼女らの魅力は、ゾンビに白塗りにエログロという物凄く趣味趣向の幅が狭いなかで、ゾンビのかっこよさ、女の子のどうしようもない感情、ゲスな世界観を、どうにかして客に伝えたいと、盛り上がりを共有しようと音やパフォーマンスやMCでカヴァーを駆使し、本気で特攻をして客を巻きこんでいるとことです。それが客に伝わっているからこそ今客数が伸びている要因になっているということでしょう。
ただし、演奏するメンバーは固定なので、音としての技量はイイモノがあるのですが、パフォーマーの女の子は数多くいて、踊りのほうに重点が置かれ個人の声量的な力がまちまちなので代表曲的なものが存在しなくて、それを克服することができたら、より広く多くの人に伝わるように思えます。
編成は敬称を略させて頂くと、お嬢と団長でwギター、わんたろうがベース、ドラムがHIDEATHで、フロントでパフォーマンスする方は基本(biraでの名前で言うと)殺意蟻巣、死人麗子、エリザベス666Jr、ステファニー2号、血首、若尾殺子の6人となっており。他のバンドではありえない10人での編成となっています。
最近の三軒茶屋のライブとアーティズムというイベントでしかほぼマトモに見ていないので不十分かもしれませんが批評させて頂きます。彼女らには色々なヴァージョンがあるようなのですが自分はbiraというヴァージョンを二回きちんと観させて頂いたのでそれに限った評論になります。
5 ①会場の盛り上がり一体感(どれだけ客が盛り上がったか)
2 ②音(総合的な音楽としての出来栄え)
3 ③歌詞(文章能力的なものを音に落とし込んだときの良さです)
4 ④カリスマ(何か神聖なものに惹かれるということ)
4 ⑤分かりやすさ(社会のなかでどれだけ他の人に趣向に合うか工夫しているか)
4 ⑥世界観(そのような仮想or現実の世界が表現できているか)
3 ⑦思想性(どのような哲学的or感情的な意味を持つのか)
5 ⑧客への惹きつけ方(MCやどのくらい客を意識してパフォーマンスをしているか)
2 ⑨メジャー志向(どれだけの人に影響を与えられる幅をもっているか)
計四回見させて頂きました。最初二回は真面目に見ていませんでした。奇妙なことをしているバンドだと遠目でみていたからです。本気で彼女らに魅了にされたのは最前列で見た三回目からです。
これが最初の彼女らのとの出会いです。
■278/4月29日(日)池袋手刀/
霞鳥幻樂団企画 「口から火を噴く鬼将軍Vol,6」
Open:ー Start:- 前売、当日¥2000+1 drink
正直他のバンドが面白すぎて疲れ果てて途中寝てました。今から思えば自分はだいぶ勿体無いことをしていました。
次に見させて頂いたのがこのイベントです。
■291/6月10日(日曜)/池袋ロサ 奇奏ト狂唱太宰治生誕記念
長丁場のイベントで疲れ果て座って眺めていました。パフォーマンスの末におっぱい丸出しにしていた子が「私達普通の女の子に戻ります」と喋っていたのが頭に残っているのですが、奇妙なことをしているバンドだなと遠巻きで見ていて感じてました。
しかし、次から本格的に彼女らにハマり込みました。他のバンドで知り合ったお客さんが最前列でみるというので、自分もそれに合わせて前に行ったというのが切っ掛けでした。
■300/8月18日(土)/ロサ/伯爵企画
■300/8月18日/池袋ロサ 『ARTiSM FESTA 2012 SUMMER』
最前列、MCが良く耳に入る。「お前ら前にこいよオラ。花びらがみたいんだろ?」図太い声が響き渡る。
青と白のロリータの服装に白塗りで血まみれのメイク。改めて見ると尋常ではない姿でパフォーマンスをしている。音が鳴り始めるのとともに、客は物凄いヘッドバンキングが一曲目から始まる。そう、激しい動が強いられるような音なのだ。
途中、ステージに赤い縄で亀甲縛りにされた少女が現れる。その少女は股ぐらを探られる。エロいというよりも、何か違うものを感じた。普通の女の子の非日常の姿がそこにはあった。前のイベントで言っていた女の子の言葉が蘇る「私達普通の女の子に戻ります」という言葉が、そこにあるのは非日常の世界なのだ。
テンポ良く激しい曲調とともに、ゾンビ達は観客のなかに飛び込み回り始める。モッシュを作り出す。こんな明るいゾンビは他にいるだろうか?ゾンビロリータとはゾンビの規定概念をぶち壊してしまう。
このバンドを見るために2000円を払う価値がある。そう思えるパフォーマンスであった。だから次は彼女らの主催するイベントに足を運んだ。
■302.303/9月14日(金)/ゾンビロリータ&へブンスドア企画
『東京サバト8/天国に続くどこでもドア』】
bira (ゾンビロリータ)
少女サバト(ゾンビロリータ)
少女サバトの方は5分ほど遅れて箱に入ったので全体を見れているというわけではないので、把握しきれてないが、その激しい曲調が「痛みや嘆き」という形で表現されているなと感じた。VOがいつもは演奏専門でやっているせいか声量が足りない部分があったのは惜しかったが、音として楽しめるものであった。
そしてトリのbira。よく覚えているのは、演奏直前までパフォーマーがフロアのお客と喋っていたことだ。バンドにもよるが本番前は集中しピリピリとしたムードを醸し出して、話かけるのをはばかられるのだけれども、それをあまり感じさせられなかった。しかし、その意味はパフォーマンスで理解することができた。
二度目だとまた見る印象が変わってくるものもある。
パフォーマンスが始まった直後、観客がステージから引いているのをみるとお前ら前にこいよオラ。」とお決まりの図太い声が響き渡る。「ここは天国に続く、どこでもドア。死にたい奴は前に来い」と、ヘブンズドアという箱に掛けた言葉を合わせた洒落た言葉も用いて。もっと寄ってと他のパフォーマーも同じく口を開く。客が次第に前に詰めてくる。
そして新人の子から演奏は始まった。前回見た赤い亀甲縛りで股を探られていた少女だ。初めて歌うと言っていたからだろうか、緊張感がその表情から伝わってきた。しかし、その中でまだ何か印象に残せるものがあったかと言われれば、そこまで頭に残っているものがないのでどうとも言い切れないが、メンバーがその子の演奏が終わった後に拍手を求め、それに観客を快く応じるのを見ると、それもbiraがフロアがミュージカルの演目として場の流れを作り出しているということだろう。
そのあとは、演奏と歌に合わせコケティシュに動きは止まり、スカートをひらっと捲り踊る姿。「これが噂のタマタマね」と観客の股下を躊躇なく触る姿、フロアに降りてきて客の後ろにおぶさるなど、決まったパフォーマンスが続く、完全に統制のとれた形で。ここで本番前に客と快く談笑できていた余裕のある彼女らの姿がリンクされる。練習や本番を物凄い数重ねてきたからこそ、スイッチのONとOFFが瞬時に切り替わり。芸術を作り出せるのだということを感じた。
そうして、名残惜しい、短い30分の演奏は終了となった。カッコイイ、そして色々な表情のある楽しげなゾンビ達に魅了された。
総括
biraのパフォーマンスは、何か演劇を見ているよだ。 それくらい、観客を意識し、周りを巻き込めるバンドはないだろう。その極限までの徹底したエロくグロい姿、振る舞いは。それが徹底しているが故に、エログロという色物の要素はむしろ排除され、カッコよさが浮かび上がってくる。ゾンビやロリータといった調理しにくい具材をこんなにも変幻自在に楽しげに、カッコよく扱えるのは客を意識している彼女らだからこそであろう。ただし、思想性が十分に伝わっているかと問われた際に、まだ弱い部分があるかと思います。
しかし理想が無い、バンドやゾンビといった固定観念化されたものを超越した彼女らのパフォーマンスは間違いなく強くお勧めできるものである。
写真は転載許可頂いております。
■302.303/9月14日(金)/ゾンビロリータ&へブンスドア企画
彼女らの魅力は、ゾンビに白塗りにエログロという物凄く趣味趣向の幅が狭いなかで、ゾンビのかっこよさ、女の子のどうしようもない感情、ゲスな世界観を、どうにかして客に伝えたいと、盛り上がりを共有しようと音やパフォーマンスやMCでカヴァーを駆使し、本気で特攻をして客を巻きこんでいるとことです。それが客に伝わっているからこそ今客数が伸びている要因になっているということでしょう。
ただし、演奏するメンバーは固定なので、音としての技量はイイモノがあるのですが、パフォーマーの女の子は数多くいて、踊りのほうに重点が置かれ個人の声量的な力がまちまちなので代表曲的なものが存在しなくて、それを克服することができたら、より広く多くの人に伝わるように思えます。
編成は敬称を略させて頂くと、お嬢と団長でwギター、わんたろうがベース、ドラムがHIDEATHで、フロントでパフォーマンスする方は基本(biraでの名前で言うと)殺意蟻巣、死人麗子、エリザベス666Jr、ステファニー2号、血首、若尾殺子の6人となっており。他のバンドではありえない10人での編成となっています。
最近の三軒茶屋のライブとアーティズムというイベントでしかほぼマトモに見ていないので不十分かもしれませんが批評させて頂きます。彼女らには色々なヴァージョンがあるようなのですが自分はbiraというヴァージョンを二回きちんと観させて頂いたのでそれに限った評論になります。
5 ①会場の盛り上がり一体感(どれだけ客が盛り上がったか)
2 ②音(総合的な音楽としての出来栄え)
3 ③歌詞(文章能力的なものを音に落とし込んだときの良さです)
4 ④カリスマ(何か神聖なものに惹かれるということ)
4 ⑤分かりやすさ(社会のなかでどれだけ他の人に趣向に合うか工夫しているか)
4 ⑥世界観(そのような仮想or現実の世界が表現できているか)
3 ⑦思想性(どのような哲学的or感情的な意味を持つのか)
5 ⑧客への惹きつけ方(MCやどのくらい客を意識してパフォーマンスをしているか)
2 ⑨メジャー志向(どれだけの人に影響を与えられる幅をもっているか)
計四回見させて頂きました。最初二回は真面目に見ていませんでした。奇妙なことをしているバンドだと遠目でみていたからです。本気で彼女らに魅了にされたのは最前列で見た三回目からです。
これが最初の彼女らのとの出会いです。
■278/4月29日(日)池袋手刀/
霞鳥幻樂団企画 「口から火を噴く鬼将軍Vol,6」
Open:ー Start:- 前売、当日¥2000+1 drink
正直他のバンドが面白すぎて疲れ果てて途中寝てました。今から思えば自分はだいぶ勿体無いことをしていました。
次に見させて頂いたのがこのイベントです。
■291/6月10日(日曜)/池袋ロサ 奇奏ト狂唱太宰治生誕記念
長丁場のイベントで疲れ果て座って眺めていました。パフォーマンスの末におっぱい丸出しにしていた子が「私達普通の女の子に戻ります」と喋っていたのが頭に残っているのですが、奇妙なことをしているバンドだなと遠巻きで見ていて感じてました。
しかし、次から本格的に彼女らにハマり込みました。他のバンドで知り合ったお客さんが最前列でみるというので、自分もそれに合わせて前に行ったというのが切っ掛けでした。
■300/8月18日(土)/ロサ/伯爵企画
■300/8月18日/池袋ロサ 『ARTiSM FESTA 2012 SUMMER』
最前列、MCが良く耳に入る。「お前ら前にこいよオラ。花びらがみたいんだろ?」図太い声が響き渡る。
青と白のロリータの服装に白塗りで血まみれのメイク。改めて見ると尋常ではない姿でパフォーマンスをしている。音が鳴り始めるのとともに、客は物凄いヘッドバンキングが一曲目から始まる。そう、激しい動が強いられるような音なのだ。
途中、ステージに赤い縄で亀甲縛りにされた少女が現れる。その少女は股ぐらを探られる。エロいというよりも、何か違うものを感じた。普通の女の子の非日常の姿がそこにはあった。前のイベントで言っていた女の子の言葉が蘇る「私達普通の女の子に戻ります」という言葉が、そこにあるのは非日常の世界なのだ。
テンポ良く激しい曲調とともに、ゾンビ達は観客のなかに飛び込み回り始める。モッシュを作り出す。こんな明るいゾンビは他にいるだろうか?ゾンビロリータとはゾンビの規定概念をぶち壊してしまう。
このバンドを見るために2000円を払う価値がある。そう思えるパフォーマンスであった。だから次は彼女らの主催するイベントに足を運んだ。
■302.303/9月14日(金)/ゾンビロリータ&へブンスドア企画
『東京サバト8/天国に続くどこでもドア』】
bira (ゾンビロリータ)
少女サバト(ゾンビロリータ)
少女サバトの方は5分ほど遅れて箱に入ったので全体を見れているというわけではないので、把握しきれてないが、その激しい曲調が「痛みや嘆き」という形で表現されているなと感じた。VOがいつもは演奏専門でやっているせいか声量が足りない部分があったのは惜しかったが、音として楽しめるものであった。
そしてトリのbira。よく覚えているのは、演奏直前までパフォーマーがフロアのお客と喋っていたことだ。バンドにもよるが本番前は集中しピリピリとしたムードを醸し出して、話かけるのをはばかられるのだけれども、それをあまり感じさせられなかった。しかし、その意味はパフォーマンスで理解することができた。
二度目だとまた見る印象が変わってくるものもある。
パフォーマンスが始まった直後、観客がステージから引いているのをみるとお前ら前にこいよオラ。」とお決まりの図太い声が響き渡る。「ここは天国に続く、どこでもドア。死にたい奴は前に来い」と、ヘブンズドアという箱に掛けた言葉を合わせた洒落た言葉も用いて。もっと寄ってと他のパフォーマーも同じく口を開く。客が次第に前に詰めてくる。
そして新人の子から演奏は始まった。前回見た赤い亀甲縛りで股を探られていた少女だ。初めて歌うと言っていたからだろうか、緊張感がその表情から伝わってきた。しかし、その中でまだ何か印象に残せるものがあったかと言われれば、そこまで頭に残っているものがないのでどうとも言い切れないが、メンバーがその子の演奏が終わった後に拍手を求め、それに観客を快く応じるのを見ると、それもbiraがフロアがミュージカルの演目として場の流れを作り出しているということだろう。
そのあとは、演奏と歌に合わせコケティシュに動きは止まり、スカートをひらっと捲り踊る姿。「これが噂のタマタマね」と観客の股下を躊躇なく触る姿、フロアに降りてきて客の後ろにおぶさるなど、決まったパフォーマンスが続く、完全に統制のとれた形で。ここで本番前に客と快く談笑できていた余裕のある彼女らの姿がリンクされる。練習や本番を物凄い数重ねてきたからこそ、スイッチのONとOFFが瞬時に切り替わり。芸術を作り出せるのだということを感じた。
そうして、名残惜しい、短い30分の演奏は終了となった。カッコイイ、そして色々な表情のある楽しげなゾンビ達に魅了された。
総括
biraのパフォーマンスは、何か演劇を見ているよだ。 それくらい、観客を意識し、周りを巻き込めるバンドはないだろう。その極限までの徹底したエロくグロい姿、振る舞いは。それが徹底しているが故に、エログロという色物の要素はむしろ排除され、カッコよさが浮かび上がってくる。ゾンビやロリータといった調理しにくい具材をこんなにも変幻自在に楽しげに、カッコよく扱えるのは客を意識している彼女らだからこそであろう。ただし、思想性が十分に伝わっているかと問われた際に、まだ弱い部分があるかと思います。
しかし理想が無い、バンドやゾンビといった固定観念化されたものを超越した彼女らのパフォーマンスは間違いなく強くお勧めできるものである。
写真は転載許可頂いております。
■302.303/9月14日(金)/ゾンビロリータ&へブンスドア企画
『東京サバト8/天国に続くどこでもドア』】のものです。
自分はこの二ヶ月間tricotの熱狂的とも言えるファンだった。だからと言って、金に余裕が無かったというものもあって、タオルとかバンドTシャツとか、無理やり遠征とか行っているわけでもせいぜいCDを買ったくらいだったのだが。だから、彼女らのyoutubeにアップロードされているPVを齧り付くようにずっと見ていた。彼女らに対する自分の中で膨らんでいる幻想が、思い込みなのかもしれないけど一方的に募っていった。そして、ようやく都合のライブのチケットを取ることができて、参戦することができた。2012.10.25 THUVINTAGE LEAGUE TOUR 2012 "small change"LIVE : 東京カランコロン tricot 日本マドンナ 0.8秒と衝撃。ざっと、まず彼女らについて、ライブの感想を混じえて説明しよう。編成は中嶋イッキュウ(Vo/Gt)、キダ モティフォ(Gt/Cho)、ヒロミ・ヒロヒロ(Ba/Cho)komaki♂(Drums)ライブ自体は、正直に言うとパフォーマンスに未熟さをまだ感じられた。このバンドのテーマには少女性と無邪気さと強い意思というのが混在しているバンドである。ただし、 中嶋イッキュウの声が若干聞き取りづらかったり、彼女らの仕草などから、物語性として一連の流れがあるというよりも、 少女性と無邪気さと強い意思がどちらの方向にパフォーマンスをしていいのか分からずに混在をしていて、観客が戸惑っている印象を受けた。しかし、CDの音源は物凄く完成度が高くて、ライブとしても全体的に楽曲の演奏はテクニックがあって、リズミカルで突然の音の変化などな音が聞くと面白いものがあった。また代表曲の『夢見がちな少女、舞い上がる、空へ』を歌い上げている中嶋イッキュウの顔の表情は気迫溢れるものが感じられて、特にその曲は観客が乗っているなっていうのを感じられた。ヒロミ・ヒロヒロが終始小柄な体ながらも身長と同じくらいのベースを器用に操りながら、終始楽しそうな顔をしてぴょんぴょん飛び跳ねている姿がとても見ていて微笑ましかった。正直なところ、新譜が発売されるのだが、方向性が曖昧でそこまで良いものではないので、自分としては買うかどうか迷っている。ただ、まだ技術的にも、伸びしろがあるバンドだと思うので個人的にはかなり注目をしている。次に、彼女らを好きになった理由を、その代表曲から見て、自分が彼女らに心酔した理由を語ろう。その代表曲は『夢見がちな少女、舞い上がる、空へ』で、これが今回のライブでも一番盛り上がった曲であった。参考URLと歌詞。http://www.youtube.com/watch?v=PdU8PKK3VS4『幼い時は胸いっぱいに 夢を見なさいと言っていた大人達が 歳をとるにつれて現実を見なさいと煩く繰り返した 誰がわざわざあんたらと同じ道を辿るものか 何にもわかっちゃいない 舞い上がる 夢見がちな 少女、空へその手足はただぶら下がっているだけのものじゃない どんな醜い姿でも良い 自分の意思でちゃんと歩け 自分の道も自分で決められないような奴らが見る夢はもうどこにもない あらかじめ決められた道があると思って生きている奴らの虚しい行き先だけが そう 決まっている 幼い時は胸いっぱいに夢を見なさいと言っていた大人達が 歳をとるにつれて現実を見なさいと煩く繰り返した 自分の頭の中の常識しか信じられないような奴らに踊らされるな 好きに 踊れ』私はこの曲を聞いたときに『絶望の国の幸福な若者たち』という著書を想起した。この本の主旨を説明すると、高度成長期のように明るい未来なんてないし、目の前に問題は山積みの社会だけど、私達若者にとって現状はそこまで不満があるわけじゃない。なんとなく幸せで、なんとなく不安。そんな時代を自分達は生きている、という内容が書かれている。まさに、自分たちが、モノに溢れていて、貧困からも隔絶された社会に生きていて、だからこそ、何をしていいのか分からない社会に生きている。強迫的な社会不安から、勝ち組負け組じゃんけんぽんの格差社会で高度成長期の安定を求めて若者が公務員に殺到している中で、本当にそれが幸福な生き方なのか?それこそ『自分の道も自分で決められないような奴らが見る夢はもうどこにもない あらかじめ決められた道があると思って生きている奴らの虚しい行き先だけが そう 決まっている 』のでは無いのかと思ってしまう。私達は幸せを追求しているのだけれども、それは何も考えないで、ただ壊れかけた既に出来上がっている価値観に乗っかっているだけでは無いのか?だからこそ、2010年代は自己決定の年代であると思っている。まさに『その手足はただぶら下がっているだけのものじゃない どんな醜い姿でも良い 自分の意思でちゃんと歩け』この言葉が自分の心に強く響いてくる。この二ヶ月間熱にうなされていたように、熱中していたバンド。それがtricotだった。
絵画に求めるには逝きそうになる体験だ。特段絵画論など一冊ほどしか読んでない浅学を承知で述べるが、見てオーガニズムを感じられる作品こそ絵画の魅力かと思う。物語はいらない。ライブイベントとか時間軸があるので物語性がある方が面白いのだが、絵画(またはイラスト)は一瞬だ。一瞬の印象で全て決まる。自分の世界観では解釈不可能性つまりオリジナルの世界観を見た時の新鮮さや、自分の内なる衝動から見た時の神経きれるような共感、かつて三島由紀夫が聖セバスチャンの殉教を見て感じたような、一瞬の感情のほとばしりが絵画やイラストの魅力なんだと思う。


