こんばんは。タイトルの意味、この日記の意図に沿っているか激しく不安なけいたです。
使い方間違ってたらそっと指摘お願いします。

今日、説明会を終えた後、急遽友達を呼び出してしまいました。
完全に就活関連のお話。そろそろ就活って言葉も嫌になってきましたね。

自分は、企業の人に「一緒に働きたい」と思ってもらえるような点があるのかどうか。
気になって、勢いのまま友達に電話。嬉しいことに来ていただいた。

このもともと呼び出した目的の話はおいといて、途中で話は自己分析に。話したいのはこっち。
大学1年から3年まで、大きな出来事に絞って振り返ってみた。
何でそういう決断をしたのか、その時何を考えて行動したのか。

そこで見えてきたのが、自分Aと自分B。
「色々行動していたのが自分A」
「こうだったらいいなぁという自分の理想像が自分B」

うーん、わかりにくい。

自分Aは、(主に就活に対する)危機感を大学に入って感じ、何かしないといけない、という思いからとにかく色々やってみるような人。これは大学1,2年の頃の自分に当てはまります。

自分Bは、大学3年の自分に当てはまります。
ある程度落ち着いてきて、こういうのやってみたい、と思い始めたんです。
でも結果は悲惨。やりたい、とは頭で思っていても行動に移せない。
1,2年の頃のツケが回って授業が大変だったのと、バイト先が店舗改装店長変更とドタバタしてその対応がちょっとあったりというのもあるけど、それにしても以前よりはるかに行動しなくなっていた。


色々書くと長くなるので詳細は書きませんが、自分が頑張る理由はいわゆる社会的承認欲求とやらに基づくものではないかとの話。誰かに認めてほしい、ってことですね。

自分に自信を全くといっていいほど持てないので、余計に自分を認めてほしいという欲求が強いんです。だから、小中高大と、部活やサークルに入らないという選択肢はありえないんです。

認めてもらえないことに耐えられない。
どこかのコミュニティに入らないといけない=危機感につながるからです。

何もしていないということは、例えば小中高までなら友達が出来ないという危機感、大学なら就活がやばいという危機感。

「何もしない」ことから感じるこの危機感から始まり、何かのコミュニティに入る。
そしてそこで認めてほしいという欲求からとにかく頑張る。

問題はここからです。


自分は継続することが非常に苦手です。
勉強、部活、大学のサークル。思えばすべてに当てはまる。

中学の頃、徐々に勉強の差がついてくる頃だと思います。
当初は悲しいことに残念レベルの学力でした。そこから頑張って毎日毎日空き時間もひたすらワークをやって繰り返し勉強。嫌いだった理科とその先生に、いつのまにか毎日放課後に実験室で先生に勉強を教えてもらい、これもまたひたすら繰り返し繰り返しやってました。はむかっていたはずの先生にいつの間にかなついていた自分。

そこで頑張ったおかげもあり、なんとか並大抵の学力には持っていけたと思います。
クラスでもある程度上の順位をキープ。
けどどこかで止まる。ある程度まで頑張ったら、やめちゃうんですよね。

部活はどうか。高校のバドミントン。3年続けたけれども、3年目は悲惨。
練習参加率も低下、試合の結果もよろしくない…。

でも1,2年の頃はめちゃくちゃ頑張っていたと思います。
練習のない日にも練習していたし、夜中にランニングとか素振りもやってました。
けど、途中で止まる。ここら辺でいいかとなってしまう。

大学のサークル。1,2年の頃はとにかく頑張っていたと思います。
自分には厳しいかな、と思うことにも挑戦してきたつもり。けど、3年目で止まる。


共通しているのは、危機感を感じて、それをどうにかするために頑張る。でもその後止まること。

たとえば学力であればトップとまではいかなくても、悪くないレベルまでは上がる。
部活であれば、最初は初心者でダメダメだけどそこから練習頑張って、上手ってわけでもないが、下手でもないレベルにまでは進む。
大学のサークルも、最初は何もできないけど、頑張ってリーダーやってみるところまで進む。

自分が認められたっていうのを感じた時点で、動きが止まっているんじゃないかと振り返ってみて思ったのです。

自分が認められた、と感じる基準が結構低いのかなと。
めちゃくちゃ学力が低い、バドミントンが下手、サークルで何もしないっていうのは嫌だ。
だから頑張れる。だって認めてほしいから。

ある程度頑張れば、ある程度の力はつく。
批判されることは基本的に少ない。逆にすごいねって言われたりする。
そうなると認められたって感じる。

ここで満足してしまう。
そんな自分に気づいてしまったかもしれません。


自分Aと自分Bの話に戻ります。
「色々行動していたのが自分A」
「こうだったらいいなぁという自分の理想像が自分B」

今まで話していたのは自分Aについて。
危機感を感じて、色々頑張ってみるものの、途中で満足してしまう。

その後が自分B。
満足しているものの、それまで頑張ってきたこともあって、こうしたらいいんじゃないかとかっていう考えも多少は出てくる。だから、「これやりたい!」って言ったりもする。

けど、自分Aに関する話にもあるように、すでに満足してしまっているから動こうとしない。
自分の欲求がすでに満たされてしまっているから。

そこで気づいたのが、ここで自分が「これやりたい!」と言っている自分は、
どこからか持ってきた理想の自分であって、でも実はそこまで本気で言っているわけでもないんじゃないかと。

こういう風に思っている自分かっこいい!

インターネットだって、HPだって、ソーシャルメディアだって、最近結構話題になってますよね?
それに影響されて、最近話題になってるものについて興味津々な自分が良い!

そんな風に無理やり思い込んでいたんじゃないかって思いました。
全くの嘘ではないと思います。これもこれで自分の考えだとも思います。
こういうネットで自分の考えとかを発信するっていうのは、
自分の行動するきっかけである承認欲求に近いとも思います。
だから広告とかに興味を持っていたんだろうし。
自分の作ったものをいろんな人に見て、知ってほしい。認めてほしいと。

けど、本心から来ているかって言われたら、違う気がしてしまう。


つまり自分は継続することが苦手で、同じところに居続けるのが苦手。

でもこんな自分は嫌だと感じてます。

自分は臨機応変に素早く動ける人間だとは思っていません。
だからコツコツと出来る範囲でやっていくことが得意な人間だと思ってますし、思いたいです。

同じところにも居続けたいです。
そこで知り合った人たちともっと深く付き合っていきたいって思っています。

でも、今までの実際の自分の行動から見ると、これらは嘘になる。



自分はこうなりたい、だけど本当に思っていることは違う…のかもしれない。
そう思うと、お前なんか俺じゃない!っていう某アニメのセリフも言いたくなってしまう。

理想の自分があって、現状の自分と照らし合わせてそこに向かって今から頑張ればいいかもしれない。
でも、今まで散々理想の自分のことばかり考えていたのに、動かなかった自分がいるのも事実。

これからどうしていけばいいんだ…。


というネガティブ落ちになってしまった。
つい4時間くらい前の話で、疲れもたまってる中での話なのでまだまとまってません。

でも、ここで出てきた自分についてはちゃんと向き合わなきゃいけないなとも思います。
地に足付けて、その上で今後どうするのか。

ネガティブになっても仕方がない。だからせめてポジティブであることは忘れないでおきたい。

長くなりましたが以上。