昭和生まれのチャレンジ日記 -37ページ目

1959年 長嶋天覧ホーマー

1959年6月25日昭和天皇が初めてプロ野球の試合を球場でご覧になった。プロ野球史に残る「天覧試合」は後楽園球場の巨人-阪神戦、天皇皇后両陛下は満員のスタンドの歓声と拍手の中熱心にご観戦なさった。試合は大熱戦のシーソーゲーム巨人は長嶋のソロで追いつき坂崎の3ランで勝ち越し、阪神は藤本のホームランで再逆転、巨人もルーキ王貞治が2ランで追いつき4対4のまま9回の裏へ。この回先頭の長嶋茂雄は2エンド2からこの日2本目値千金のサヨナラホームラン!これが今でも語り草となる「天覧ホーマー」でミスター伝説はここから始まりました。

長嶋の打席と天皇皇后両陛下が1枚に収まった新聞の写真、これを見た国民は天覧ホーマーといえば長嶋茂雄

しか記憶に残らなかったと思います。実はこれは合成写真、その真実は未だに知らない人も大勢いると思います。この写真もミスター伝説には欠かせない1枚となりました。

 

1959年 テレビのチャンネルが増えたよ

今までNHK1チャンネル、日本テレビ4チャンネル、TBS6チャンネルの3局しか無かったテレビチャンネルがこの年一気に増えます。NHK教育テレビ3チャンネル、フジテレビ8チャンネル、日本教育テレビ10チャンネル(今のテレ朝)と3つも増えたのです。元祖テレビっ子のテレビ熱がますます高まり放送翌日の学校の話題はテレビ番組のことばかりでした。今のテレビメディアの凋落は考えられません。

 

 

1950年代江東区と墨田区の映画館

子供の頃から映画も好きで映画館にもよく行きました。歩いて行けたのが「葛西橋映画劇場」ゴジラはここで見ました。

都電で行ったのが境川にあった「砂町キネマ」、体の小さい子は小学三年生くらいまで都電が無料で乗れたのでお得です。運賃13円のときは子供料金7円という記憶がかすかにありますがよく覚えていません。多羅尾伴内の「七つの顔の男だぜ」はここで見ました。あるときは片眼の運転手、あるときはインド人のフレーズが浮かびます。

高学年から中学になると「亀戸東映」にも行きました。しかし何と言っても夢のような場所は「江東楽天地」墨田区なのに江東楽天地とはこれいかに?江東橋にあったからなのか?

よく行ったのは「本所映画」と「江東劇場」数限りなく行きましたが江東劇場は映画の他に歌手の公演もやっておりすごく人気がありました。私が見たのは「島倉千代子」の歌と芝居の公演、1500席の劇場は超満員で立ち見の客もたくさんいました。可憐な歌声とお芝居に子どもながら胸がときめいたものです。私は見ていませんが「美空ひばり」の公園では3500人も入場して身動きもできないくらいだったそうです。「江東劇場で成功すると必ず売れる」と言われたもので新人歌手の登竜門として下町のエンタメの中心地でした。