昭和生まれのチャレンジ日記 -29ページ目

1964年 テレビドラマ「逃亡者」

アメリカのドラマの日本語版ナレーションは傑作揃いですね、それを聞きたくて毎週見ようと思わせます。「リチャード・キンブル職業、医師。正しかるべきべき正義も時として盲しいることがある。」で始まるオープニングナレーションでドラマの筋立てがほとんど分かる名作でした。キンブルとジェラード警部、真犯人の片腕の男すべてナレーションに出てきます。それでも次の展開を求めて毎週見ました。

 

 

 

 

 

 

1964年 高校入学の年

1964年は高校受験で志望校に合格した嬉しい年でした。下町の中学から目白の一貫校へ何もかも初めてで戸惑うことも多くありました。都電で錦糸町まで出てそこからは総武線、その日の気分で秋葉原で乗り換えて目白まで山手線、新宿で乗り換え目白まで山手線と色々な経路で通学しました。目白で降りたら学校までは歩いてすぐ、でも通学時間は1時間10分ぐらいかかっていたと思います。入学してすぐ第二外国語を選択しますが私はフランス語を選んで楽しく勉強できました。先生は一人はフランス人の「ソランジュ先生」出席を取る時ムッシュ〇〇と先生が言うのでハイの代わりに「プレザン」と答えます。欠席で返答がない時は別の生徒が「イレタプサン」と言って欠席を知らせます。もう一人は「辻邦生先生」そうあの有名な小説家の辻先生です。一年のときは大きなイベント「沼津遊泳合宿」もありました。赤ふんでみんな遠泳に挑みます。もう一つスポーツイベントは「附属戦」東京教育大学附属と毎年対抗戦を行います。この時出場しない生徒は応援練習の特訓です。応援歌をいくつも覚えて大声で声援を送ります。とにかく行事が多く忙しい毎日でした。この年はオリンピックもあったので体育の授業の一環でサッカーの予選を見に行ったりもしました。オリンピックは体操日本や女子バレー、重量挙げの三宅義信など16個の金メダルで日本中が熱狂しました。

 

 

 

 

 

 

 

1963年思い出のドラマ ルート66

アメリカの若者二人がシボレー・コルベットでルート66を旅するロードムービー、トッドとバズがコルベットに飛び乗る姿も飛び降りる姿もかっこよかった。詳しい内容は殆ど覚えていないがナット・キング・コールのゲッチュー・キックス・オンルート66という主題曲にしびれました。金髪のマーティン・ミルナー黒髪のジョージ・マハリスというコンビも最高だった。どこまでも続くルート66をスポーツカーで旅するということだけでアメリカに憧れたものです。