1968年 神田カルチエ・ラタン
1968年は大学紛争、学生運動が激しくなった年でした。6月21日に神田駿河台の学生街を解放区にしようと社学同が起こした闘争は一定の支持を集めていたように思います。というのも機動隊が力でバリケードを撤去しようとし挙げ句に催涙弾を使ったのでそれが反発を受けたからでしょう。学生たちは群衆に紛れて機動隊を悩ませましたが数と体力の差はどうしようもなくバリケードも撤去されました。機動隊と学生では体格差は明らかで神田カルチエ・ラタンはあっけなく終了しました。闘争の翌日御茶ノ水から明大通りを通った時はまだ催涙ガスの残りで目が痛かった記憶があります。このあと学生運動は全国に広がり、我が大学にまで活動家が大勢誕生しました。


