受験シーズン真っ只中ですが、
こんな時だからこそふと思う。
塾へ行けば成績が上がる という短絡的な考え方はどうかと常々思ってる。
そりゃ、それなりの時期が来て心配や不安を感じれば塾へ行ってなんとかなるようにするのかも知れないけれど、、、、、
娘の同級生にはいつもオール5の成績の子がいたけれど、その子は塾には行ってないし家庭教師も付けたことはなかった。
やはりね、小さい頃からの関わり方が大事だと思うの。
言葉もまだ話せない子どもや赤ちゃんが何も分からないと思っているのは大人の勝手な思い込み。
言葉なんか話せなくてもこちらの言ってることはちゃんと理解してるし、知恵も働いている。
入っちゃダメよ⛔️
上ってはいけません⛔️
と言われてる所へヨタヨタ歩けるようになった子どもが玩具を放り入れる。
気づかれないようにそーーっと入り込もうとしていたり、よじ登っていたり、
入っちゃダメだったでしょ!の声にビクッと振り向きつつも、玩具を指し示しあれを取りに行きたかっただけだとアピールする。笑
(あーぁ。と声を発し残念そうに仕方なさそうに取りに行きたいアピールする この姿が可愛くてつい笑ってしまいそうになるけど そこは我慢! めっ!!という表情を崩さずに玩具を取りに行き手渡す)
こうやって小さいながらも知恵を働かているんだから、この時期に文字や数字を教えてしまうのは勿体無い!
こういう時期だからこそ、沢山の経験をさせて、
考えたり選んだりという作業も日常のこととしてやらせていきたい。
スーパーや家庭の中でもあるどっち食べる?
どっちのお菓子買う?
どっちを先にする?
こういう類のものや他にも選択する場面は数々あって、その選択を子どもに任せるって後に意味を成してくるんだと思ってる。
ある受験生のお母さんが、うちの子はやりたいこともないというし、何処の学校に行くのか決めれなくて見てる私の方が焦ります。
早く決めて欲しいのに、、、、。
よくよく聞いてみると、これまで何をするのもお母さんがあーしなさい こうしなさいと言ってきたし、困らないように直ぐ手を差し伸べていたと、、、
そうやって15年とか18年過ごしてきて、
いざ受験生になって
どうしたいの? 何処の学校にするの?? 早く決めて!!
って無謀じゃない

おやつのお菓子など袋のまま出して、
《お姉ちゃんと分けてね》
というと、
『3個づつになったけど1個あまる〜』
などと言葉が返ってくる。
そんな時には、
《1個余ったのどうしようか?》
と問いかけると、その時々でジャンケンして決めたり譲り合ったり、お母さん1個食べていいよ、
などと解決策を考える。
うちの子達は年少よりも小さかった時からそんな風にしてきた。
こんな日常の何気ないことが、後々算数の割り算の時間に
7÷2=3 余り1
を数字の並びとしてじゃなくしっかりと理解できていくんじゃないかと思う。
これはほんの一例に過ぎないけど、
物事にはいく通りもの考え方があって、
目的に向かうその道筋もいく通りもあって、
近道をしたから得とか 遠回りをしたから損とか
そんな短絡的な事じゃなくて、どの道を通っても目的地へたどり着けるならばそれで良くて、
そこまでの過程は大切な経験の場なんだと そう知っていれば挫折や諦めやそういったマイナスな気持ちから持ち直すことも出来るのかなと、、、、。
答えを直ぐに出さずに本人に考えさせるって大切。
例えそれが違っていても、違ったということを経験させる。
これが違ったなら次はこっち、、
そうやって経験を積んでいく。
小さいから分からないとか
小さいから危ない
ではなくて、大人が安全を確保しながら見守る中で沢山の経験を!体験をさ!せてあげる。
子どもは大人とは違う、
物事を覚える時 体を動かすことと連動して脳も働く。
だから文字や数字を机の上で並べるだけのお勉強をさせることには疑問を持っている。
段差のある細い、縁石のような所を歩くのを子どもは好きだったりするけど、
危ない!と直ぐに止めさせるのではなく、
バランス感覚を養う時期だからこそやりたがるのだからそれを阻止することは避けたい。
大人が安全な場所を作って存分にさせてあげればいい。
高いね、 怖いね、ユラユラするね、細いね、咬合に足を出してごらん、
こんな場面でも沢山の言葉がかけれるはず。
ユラユラというのがどういうものなのか、子どもは身をもって理解する。
本当この積み重ね。
大人の関わりの中で言葉を覚え意味を理解し、実体験として更に理解して、、、
それが学校へ行くようになって、
先生の授業やテストの問題を理解する力になっていくのでは???
自分で考えて、判断して、決める。
取捨選択。
人生はこれの繰り返しです。