アラシアンズが大阪へ向かう中、
普通に緑地の中に立ってるとばかり思ってました
私はリア友と長崎へ。
リア友との恒例のランチを『長崎へ行かない?』と提案して快諾してもらい、
本日決行

腹ごしらえが終わると、福原浩二のお宅の方へ向かいましたよ~。
ん? 隣は町子??
多分この下の方の集落が東琴平町。
この上の方ーー!!にある鍋冠展望台から一望しようとずっと登ってたんですけどね

なかなかの坂道、獣道、
だんだん怖くなってきて、もうムリ!!
と引き返してしまいました。
現、東琴平は多分この写メから見えるとこ
だけど、戦前はどうかな?
その辺は綿密に調べなかったので違ってたらごめんなさい

そして、お次は一本鳥居がある大学病院前に移動。
予告ブイを見てたせいで、まさかの階段上に驚く私

普通に緑地の中に立ってるとばかり思ってました

倒壊した半分はここにありました。
そして、当時の写真。
鳥居があるということは神社があるわけで、
一本柱の先へ歩みを進めると、
山王神社があります。
爆風にやられた楠の木。
ほら、楠の木ってトトロでもわかるように大きいでしょ?
空洞になってる木の幹の中には爆風で飛んできた石や瓦など沢山詰まってたみたいで、戦後2度に渡る修復で中のものを取り除いたそうです。
その中にはえ?っと思うようなサイズの石もあり、その石が楠の木の側に置かれていました。
爆風は秒速220kmもあったとか、、、、、、。
熱線温度が推定1000度とか





想像を絶しますよね

リア友は楠の木に触れて涙が勝手に溢れてくると言って涙がとまりませんでした。
私は何故か心臓がバクバクに!!
不思議な何かがあるのかな?
1度は枯れたように思った木が、今も青々と茂っている、その生命力なのか?
何かを感じるんですね。
とにかく 自然と襟を正してしまう、そんなところでした。
次は桜町で下車。
立山防空壕を現地のオジさんの解説付きで見ました。
立山防空壕とは長崎県の防空本部だったところです。
原爆が落ちたまさにその時間には、広島が大変なことになりましたね、、、とお偉いさんに招集がかかって会議を始めたところだったとか、、、
爆心地からは2.7km離れてて500mの高さの山にも阻まれて直接的な影響はなかったものの、
爆風は来た!と、、、。
その爆風により防空壕の前に立っていた通信部の女子工員の宿舎の外階段がなくなりガラス窓が割れてしまい、2階から飛び降りて逃げたりしたそうです。