ケーキ屋の次男坊、シェフになるまでの話とアキレス | 「本当の自分」で生きると魔法が使える・ソルシエール(魔法使い)カフェ

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自営業32年の経験を活かしながら、カフェをしながらサイキックヒーラーとして、「本当の自分で生きる」と「魔法」が使える、というメソッドで人生を謳歌するサポート、講座をしています。
豊かで楽しい人生を共に謳歌致しましょう。

こんにちは、代表の上田公子です。

今日はパティスリーソルシエールの3代目シェフ(次男)の紹介をします。

幼いころからクリスマスなど手伝ってくれていました。




本人に言わせたら「手伝わされていた」と思いますが、若い頃は何でもやりたいし、ましてスムーズに親のあとを継ぐべきか、まあ色々悩むと思いますし、現に色々やんちゃでしたし、料理人などもやりました。

料理人の時に、夜中の1時くらいに警察官から電話があり「夜分にすみません。息子さんが大きな包丁をお持ちですが、これは料理用と本人が言っていますが、そうですか?」などと優しい声で聞かれました。

息子が仕事帰りに警察官に尋問されたようです(笑)

和食やさんもですが、その当時は見習いという仕事は働く時間が長くて、さばき方など練習して遅くなったようでした。

私は「はい、その包丁は自分のお金で買って、寝る時も枕元に置くくらい大事な仕事用の包丁です」と言うと、

警察官は「解りました、念のために電話しました、夜分にすみません、ありがとうございました」と、無事に家に帰ってきたこともありました。

あと色々あります、かけもちでバイトして病気して8キロ痩せたり、高校卒業するときはバイトしてためたお金で部屋を借りて、そこから卒業式に行っていました(笑)

人に迷惑をかけなければ、色々やってみたらいいと思います。




この頃ですね、警察官に尋問された頃です、尋問されるような顔してますね、坊主のときもありましたけど(汗

坊主の写真はちょっとやめておきます。

今これを見て本人「ウケる~」と苦笑いしています、私は孫ができたら孫に見せようと思います(笑)

しかし、この写真ここに載せていいものか💦

(どうかこのブログ、息子が見ませんように・・・。)

私は息子たちに「この仕事は大変だし、甘いものではないし、私たちはもう精一杯やったので、お客様には申し訳ないけど、体力の限界もあり、もう閉めてもいいと思っている。どうする?

後を継いでも継がなくてもどっちでも好きにしたらいいよ」と言いました。


すると学生の頃に、2代目(長男)も色々考えてパテシエになると決めたので、パテシエ専門学校に行き個人店の熊本のケーキ屋さんに入りました、毎日朝は早くから夜中まで過酷でした。

休みもなく、よく途中で辞めずに頑張りました。

ついでに長男の話ですが、朝は5時から夜中まで、月の休みは2~3回、お正月休みもなかったです。

顏が違っていました、もう帰ってきたら?と長男に言いましたが「辞めるのは簡単だから、どこまでやれるかやってみる」と3年続きました。

これは私たちがそうだったから、そうなるのですよね、今はわかります。

そして、次男も色々悩んだようです。

そして23歳のころ、自分でためたお金で(私達はお金を出していません)パティシエになると決めて、本場フランスに行きました。

ルレ・デセールメンバーシェフ「ジャンミエ」の下で働き、

帰国しその後東京のミシュラン三ツ星(ジョエル・ロブション)で腕を磨き、3代目シェフとして当店に帰ってきました。


本人は、もっと外で勉強したかったようです、きっとまた勉強に行くでしょう。

ちなみに、ルレ・デセールの会員とは

なかなかなれなくて、会員になるためには、協会が設定している基準をクリアしないとなれない。

会員になるためには次の二点をクリアする必要があり、

1.現役会員二名以上から推薦を受ける

2.菓子製造に関する実習試験に合格する。

クープ・ド・モンド優勝者が必ずしもルレ・デセール会員になれるとは限らない。

会員の多くはフランス最優秀職人賞の受賞者、クープ・ド・モンド優勝者、イギリス王室御用達、など社会的に一定の地位と名誉が与えられているパティシエやショコラティエたち。

素晴らしいメンバーの方々です☆



これが、その時の写真です。

フランスには2年いたので、色々あったと思います。

熱も出したこともあったようですし、一人で行ったので、最初はお金の使い方もちろん言葉も、何も解らず苦労したと思いますが、何も言いません。

ある時、私も色々あって忙しくしていて連絡もせずにいましたら、ある時 息子が「メールしていいよ、返事書く暇ないけど、読む暇はあるし」とメールをくれました。

そうですね、私は色々見えない世界も勉強してきて、セラピストなどもやってきて、息子はできるから行っているので、心配という要らない負のエネルギーをやらないように、と思ってはおりました。

「この親にしてこの子あり」?

・・・そうですね(笑)

そうでなければ25年もケーキ屋はできないと思いますし、一人で2年もフランス生活は続けることはなかなか難しいと思います。

フランスのこのジャンミエさんはとっても有名だし厳しいし、見習いさんは続かずに、夜逃げすることもあるそうです。

昔の時代みたいですね、うちの先代マスター(夫)の時代はよくある話でした。




これは、20年前くらいでしょうか。





これは、今です、たまたま同じ場所で撮っていました。


そして、[アキレス]新作です。





これはシェフが作った「アキレス」2015年のパリのサロンドショコラで表彰されたお店で学んだお菓子です。

名前は、息子がつけたのですが、ギリシャ神話のアキレスからとったそうです。

ちなみにギリシャ神話の「アキレス」をことを書くと、

アキレスはアキレウスとも呼ばれているトロイア戦争における英雄として広く知られている人物です。

その名は現在においても足首の部分にある「アキレス腱」などで用いられています。

中は、パイ生地に栗のガナッシュ、栗のムースとチョコスポンジ、ラム酒が効いてます、大人向けです。

パティスリーソルシエールのケーキを勿論、ソルシエールカフェで食べることができます。

カフェのケーキもまた美味しいですが、今日は息子であるシェフのケーキのことを書きました。

どうぞ、フランス帰りの息子のケーキを食べにきてくださいませ。

まだ面白い話はありますが、いつか、2代目や先代マスター(夫)のことも書きたいと思います。

いつも読んで頂いてありがとうございます。

息子の幼い頃の頑張り性はここにも書いています

ここにも書いています。