【退職願いを出したことで気づいたこと。】

5月末で某大手生保の契約者窓口のオペレータの仕事を辞めるわけですが、気づいたことがあります!


それは、

【イヤイヤ6年半働いていた】ことに。

気づくの遅っ!!


大学卒業してから結婚するまで6年いたクラブツーリズム では、【旅が好きすぎてツライ】ことは多々あったけれど、イヤイヤ働いていたわけではなかった。


“このマインドは、どこで変わったのか?”

そんなことを思い返してみました。


結婚して、デスクワークをしながら海外添乗に頻繁に出るのも疲れてきて、だからといってツアー企画者&チームマネージャーとして新宿のオフィスで忙しく社内キャリアを積んで行くイメージも出来ず悩んでいた時に、夫から「少し落ち着いてみても良いんじゃない」という言葉に救われ、結婚して半年後、退職した。


(あの時、当時の支店長に絶対に引き止められないように「母の看病で...」と嘘をつきました。今も母はピンピンしてます。嘘をついてすみません。10年経って初めて言います😭)


そんなわけで、クラツー退職後は、

【好きを仕事にするのはやめよう、ツライから】

マインドが心の何処かに棲みついていました。


クラツーを辞めて少しのんびりしようと専業主婦生活をスタートしたのですが、

3日で飽きて、4日目に仕事を決めてきました。

(派遣会社で秘書兼庶務の仕事を即決してきた)


ーーここから、自分模索期(2008年9月〜/29歳)となります。ーーー


派遣先の某H製作所の事業部長付きの秘書サポートと、部長直属チームの庶務の仕事だったのだけど、そのチームは、メンタルを崩した男性社員の集積所、であったわけです。

そのチームでの私のメインの仕事は

「今日は会社を休みます。」「病院に行ってから出社します」

の電話をとり、ホワイトボードに「休み」「遅刻」を記入すること。

暇すぎて、公式OKで、TOEICの勉強してたほどです。


他には、肩書きがついたおじさんの交際費の処理。まーなんと、派手なこと。スナックとか普通に交際費であがってくる時代でした(※リーマンショック前)。その恩恵で、初めてタクシー券を利用しましたw


そんな全くと言っていいほど、覇気のないチームで「このままでは私が病む!」とパワーを持て余していた私は、

月2回、農業ビジネススクールに通学しつつ

8:50〜17:50の派遣社員の仕事後、

19:00〜22:00でUNIQLOのアトレ目黒店でバイト

土日は、結婚式二次会幹事代行会社(二次会くん)でカメラマンや音響をしていました。

(※結婚一年目。夫は起業して忙しく連日帰宅が遅く、土日も仕事なことが多かった。)


クラツーで150パーセントの力を出していた私としては、

100パーセントにも満たないパワーで、クラツー時代の収入を抜いたことに、驚きを隠せませんでした。


そうこうするうちに、リーマンショックの余波が。

派遣の仕事も案件が少なくなり、派遣社員の契約期間9ヶ月が満了するタイミングで、どベンチャーの旅行会社に転職。


(※旅キャピタルという会社でしたが、現・エボラブルアジアという会社になってることを最近知り、どうやら話題?の会社のようです。)


夫の会社が一時期低迷して引っ越しをしたり、どベンチャーの仕事はアルバイトでも徹夜したりwでも、狭い空間でのひたすら忙しいベンチャー気質は嫌いじゃなかったな。某H製作所との差が激しくておかしかった。


楽しく夫婦二人の新婚生活を謳歌しつつ、引っ越しを機に、子育てを意識し始めた時に、流産。


これは、過去最高に泣きました。1週間塞ぎ込んでこれ以上泣けないくらい泣き腫らして、泣くことに飽きてきたので、映画館でマイケルの「This is it」を観て元気をとりもどし、翌日、M-floのライブに友達と行って完全復活しました。


子どもは授かりものだから、それならまたしっかり仕事をしよう!と、決意し転職活動をスタートさせ、選考が進んでいたタイミングで妊娠。これもタイミングだなーと受け止め、転職活動は中止し、どベンチャーの会社で仕事時間を短くして里帰り前まで働きました。


そして、第一子 出産。


つづく。

かもしれない。