こんにちは、あめみやです。
こうして2023年年末の息子二人入院から離脱して無事に2024年正月を迎えた我が家でしたが、元旦を賑やかに過ごして居たこのとき、ヤツの足音は既に近づいていたのでした。
(前回投稿から続く)
それは感染性胃腸炎から始まった/序章 | 『群青』 (ameblo.jp)
お正月3日間は落ちついていました。
しかし1月4日、長男が微熱とわずかな倦怠感を訴えました。
年末が大変だったしお正月もあって疲れが出たかな?ということで、まぁ数日もあれば治るでしょう、という判断のもと経過観察。
翌5日も微熱は継続し、6日も熱は下がらず、むしろ上がっていました。
倦怠感、身体痛、ついに明確な咽頭痛が出現したところで私の脳裏にようやく「まさか」という言葉が浮かびました。
急ぎ、かかりつけの開業医受診をして抗原検査を施行してもらうと息子人生初の『Covid19』陽性がものの5分足らずで検査キットに出ました。
2020年1月から日本でも始まった新型コロナウイルス感染症の蔓延。
この2024年1月6日まで、我が家は誰一人感染することはありませんでした。
ワクチンができてからは接種していたこともありますし、何よりおそらくですが・・・私が医療従事者でしたので、私自身はもちろん、家族もかなり気を使って感染予防をしてくれていたからと認識しています。
もちろん、いつかは家族の誰かが感染する日は来ると思っていました。
けれど、この丸4年の間、私は患者さんや同僚から何度も曝露してきたのに一度も罹患していなかったのでどこかで自分は大丈夫と油断していたように思います。
実際に身内の検査キットで陽性ラインをくっきり見てしまった時はなんだか不思議な気持ちでした。
患者さんの陽性ラインは数えきれないほど見てきたのですが、身内だとすぐに受け入れられないような奇妙な気持ちでしたね。
長男は持病があるのでラゲブリオ処方となりました。(この時は9000円です)
ここで私の頭はぐるぐるしました(笑)。
『今日感染確定とすると、少なくとも2日前・・1月4日からウイルスは排出されていたと考える。私は年明けから今日まで息子の前でマスクをしていただろうか・・。
否!
少なくとも1月4日~5日は油断して家ではノーマスクだった!もちろん息子もしていなかった!』
くッ、やられたぜ・・。
こいつぁついに私も感染したってことじゃぁないのかッ!!
Oh My God!
おそらく、少し前の私だったら息子に微熱が出ていた時点で家の中であってもマスクをしていたと思います。
これは完全なる油断でした。
それでも、これまでたくさんの陽性患者さんと接しても感染しなかったのだからきっと大丈夫、と自分にいい聞かせて6日を境に本腰入れた家屋内感染対策へと移行しました。
夫は単身赴任、次男は同居していないのでこちらに近寄らないように指示。
トイレ、風呂は必ず消毒し、息子の洗濯は自分とは分け、室内隔離を行い、当然マスクとエタノール三昧です。
長男の症状は翌日悪化、翌々日にはさらに悪化。
咽頭痛の訴えが強く声も出ず、痛みに悶えて水分も摂れず、どんどん悪くなりました。
私は元気でしたし、8日から出勤だったため、6日に2回自己検査(抗原)施行しどちらも陰性だったため安心して、やはり自分は感染しないのではないかと思っていました。
そして7日。
出勤前日のため、やはり3回目の自己検査をやっておこうと思った頃、「コホン」と小さな咳が出ました。
一瞬「ん?」と思いました。
なんだろう・・。
喉に違和感がある。
でも昨日は陰性だった。
気のせいかな・・・。
「んんッ」ともう一度咳が出ました。
喉の左側にカサカサと乾くようなむず痒さを感じました。
花粉症で少し痒くなるような感じに似ています。
まさかね、気にしすぎだよ。
そう思いながら出勤前日の自己抗原検査(3回目)をやってみました。
10分経っても陰性でした。
よし、やはり大丈夫。
念のため規定の15分は待とう。
そうして15分が経ちました。
続きます。