最近,気になる言葉に「頭でっかち」があります。
ある国語辞典で意味を調べてみると「理屈ばかり言って(知識だけが豊かで)行動の伴わない様子」と定義されています。
なんとなく,マイナスの印象を受ける言葉ではありますが,私はこの言葉に憧れを抱いています。
ちなみに「憧れる」とは「理想的な存在とする所の者に心が強く惹かれ,会って見たい,近づきになりたいと切に望むこと,また,理想的な生活環境を実現しているものとして自分も早くそれにあやかりたいと思うこと」です。
うん,やはり,私はこの言葉に「憧れ」を抱いているようです。
理学療法士の資格を得て,早1年が経とうとしています。
同じ時間を与えられたにも関わらず,新人理学療法士一人一人得たものに違いがあり,違いが生じる要因もまた様々です。
要因の一つに意識の高低が大きく関わるように感じます。
「まだ1年目だから」と言って,長く理学療法士でいれば,治療効果が出せると思っていないでしょうか。
経験することを待っていないでしょうか。
確かに何かを熟達するためには経験,つまりある一定の時間と体験が必要となるかもしれません。
しかし,経験年数が少ないことは,治療効果を出すことに対する決定的な弱点ではないと考えます。
というのも,経験を補うもの,共に重要となるものがあると考えるからです。
それは知識です。
知識は「ある範囲の事柄について知っていることや内容」と定義され,必ずしも体験を必要としないと捉えます。
知識なら経験に比べてある一定の体験を有する時間を必要とせずに自分を主体として得ることができます。
つまり,経験年数の関与なく,自分で高めることができるものなのです。
知識とは,その分だけアンテナを多く張ることができるものであり,なにかを経験する中で多くのものをキャッチし吸収でき,より臨床を豊かにすることができる,理学療法士としての要だと考えます。
経験年数の少ないいまは,特に重要となるものだと捉えています。
最近,気になる言葉に「頭でっかち」があります。
頭でっかちでいることは,経験が生きる絶好の状態であると考えます。
いまは,頭でっかちに憧れているだけで行動ができていない,言うならば気持ちでっかちです。
経験は大事だと捉えた上で,めざせ,頭でっかち,です。
博士前期過程1年 加藤美樹 2011.