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常称寺

高瀬町2丁目

木版画同好会「ばれんの会」

服部昌之

 

現在、知恩院の末寺であるが、昔は高瀬山華厳院常称寺と称し、華厳院高瀬寺の奥院と伝えられている。二巻の縁起を蔵し、一つは行基開創になる高瀬寺の縁起を録しており、今一つは寺に伝わる舎利の由来を記したもの。いずれも元和4年(1618年)のものと判り、江戸初期の貴重な資料。

 

「常称寺縁起・舎利記」でも知られているこの寺に、先祖・両親が眠っているにもかかわらず、月々のお詣りは家族に任せている。山門をくぐるのは、親不幸を詫びに気が向けば墓参りをする時と、年3度の「施餓鬼(せがき)」ぐらいであろうか。

(これは役目上の事であるのでお詣りとは言えないだろう)しかし思い出は数多くある。

「落慶法要」のとき息子と一緒に銀杏(いちょう)の葉を拾い集めた事。夏休みの行事で団干だめし」を楽しんだ事など、数え上げれば切りがないが、一番の思いは山門前に祀ってある「地蔵さん」である。墓参りの帰りには必ずお詣りするし、「地蔵盆」には飾られた2人の息子の提灯を眺め、無事成人した事を感謝しながら、子供の頃、地蔵盆のお下がりを楽しみにしたことなどを懐かしく思い出す。いつの日か、息子が私と同じ事を繰り返し、同じ思いをするであろうと信じて時々は墓参りを...と思っている。

橋本好祐(高瀬町3丁目)

転載:守口市民憲章制定25周年記念木版画集『守口百景』

作成:守口市木版画同好会ばれんの会1998年

テキスト入力:元市民憲章副会長 はまがみ