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菅相寺
佐太中町7丁目
木版画同好会「ばれんの会」
三垣博美

平安時代中期の創建と考えられ、かっては境内も広く7坊あったうちの一つと言われ昔から佐太天神宮の宮寺であった。本堂は慶安4年(1651年)に再建されたもので、市内の仏堂建築としては最古のものである。また、境内の石製露盤も、鎌倉時代の貴重な逸品。

菅相寺は、山号を香林山、院号を玉蔵院といいます。開基創建は、本尊十一面観世音菩薩が平安時代中期承暦2年(1078年)の作であることから同時代の創立と考えられます。天正8年(1580年)佐太天神宮再興時から宮寺となり、奥院といわれていました。菅相寺の寺号も佐太天神宮の祭神である菅原道真の別名が、菅丞相と尊称されるところから菅相寺の2字を取って寺号としたものです。
創建当初は、真言密教の寺でしたが、正保元年(1644年)に徳川幕府、譜代の淀城主永井信守尚政が、宇治興聖寺から萬安禅師を招いて御開山として、禅宗曹洞宗に改めました。
以後菅相寺は、永井氏の菩提寺となり尚政から9代にわたって永井氏の庇護を受けてきた関係上近在の他寺と異なり、最近まで檀信徒の無い寺として過ごしてきました。
白井紘
(佐太中町7丁目)
転載:守口市民憲章制定25周年記念木版画集『守口百景』
作成:守口市木版画同好会ばれんの会1998年
テキスト入力:元市民憲章副会長 はまがみ