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盛泉寺

浜町1丁目

木版画同好会「ばれんの会」

清田義雄

 

慶長7年(1602年)徳川家康によって、東西両本願寺に分離され、守口門徒の有力者も東西両派に分かれた。西派は本堂のある難宗寺に残り、東派は本尊を持って分かれ、盛泉寺を創建した。本堂は兵火や風水害を何度も受け、現在の本堂は天保6年(1835年)に再建された。

 

江戸末期に建立され、明治天皇の内侍所とされていた盛泉寺。連綿と続く住職も現在13代目で、御寺も本堂・御殿・裏庫・太鼓桜・鐘楼・井戸屋形・大門・小門等、往年の月日の間、訪れる人々に、その威容を誇っています。今日の新聞テレビ等マスコミで扱われるニュースには、暗い話題が非常に多いように思われます。そんな喧(やかま)しい昨今、本堂にむかい手を掌わせると、ふと無の心になり「心の時代」といわれる今をいかに大切にすべきかを解いてくれます。平成5年に新築された鐘楼でり鳥り響く鐘の音が、とこしえに続く平和をうたっています。守口の名刹として誇れる盛泉寺。親鸞聖人の教え、それを知らない方々も、お寺を訪れ、心を癒す一時を過ごしていらっしゃいます。そして今日もまた、私も本堂にむかい合掌…。

中島警子

(神木町)

転載:守口守口市民憲章制定25周年記念木版画集『守口百景』
作成:守口市木版画同好会ばれんの会1998年
テキスト入力:元市民憲章副会長 はまがみ