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さつきホールもりぐち

京阪本通2丁目

木版画同好会「ばれんの会」

高松真澄

 

昭和41年、現在の地に市民の交流、文化活動や催しの場として開館した市民会館も、20数年の歳月を経て老朽化が目立ち始めたため、平成5年4月、大改修を終えて装いも新たにオープン。名称も「さつきホールもりぐち」となり、結婚式場はもちろん、披露宴会場、研修各会議室、広々としたロビーも完備。

 

悪夢の昭和20年2月12日、第1回大阪大空襲。あと2ヶ月で終戦であった6月15日に守ロー帯が空襲を受けた。特に八雲地区の被害は大きく、報徳工学校、大森家、徳永家を含むかなりの民家が焼失し、妻の実家も全焼するといった悲惨な戦禍も50年を過ぎた今日では知る人も少なく隔世を感ずる。市の復興を目指し、庭窪町との合併が昭和32年4月、翌33年8月に最初の市民会館(前の電子計算センター)が本町に完成した。8年後の昭和41年11月、現在の「さつきホールもりぐち」が完成する。産業経済、教育文化等あらゆる分野にわたり飛躍的な発展を遂げ、近代都市へ躍進する守口市のシンボルとして市民会館は市民の夢の実現に大きな働きをしてきた。第2の人生のスタートである結婚式は、13000組を越え、1000人収容可能の大ホールでは、あらゆる文化イベントが繰り広げられ、各会議室においては市民の文化活動の場として幅広く活用され、現在に至っている。

小西豊和

(淀江町)

写真提供:小西豊和

転載:守口守口市民憲章制定25周年記念木版画集『守口百景』
作成:守口市木版画同好会ばれんの会1998年
テキスト入力:元市民憲章副会長 はまがみ