■苦悩という名の自由
刑務所から出所してスピークイージーでデボラ(真彩希帆)のステージを見て、一人その場を離れる場面、ヌードルスの孤独がひりひりしした。
マックス(彩風咲奈)達のウシジマくんのような暴力を目にして真顔になるヌードルス(望海風斗)は、彼らが強盗集団としてプロになっていること、自分が取り残されていること、まともな人生へは戻れないことを感じている。
ヌードルスは、刑務所からでてきてから、常にどこか抑えた表情が見える。
明るい未来をもう信じられなくなっているし、皇帝になれるとも信じきってない。
遠くをみやりながらデボラに語りかけるともなくつぶやく 「日の当たる道までが遠くてね」 の言葉ににじむ諦めや悔いがずしりと重い。
外の風にあたりながら 「真夜中に一人」 と銀橋で一人で歌うシーン、ヌードルスにとってのデボラの存在意義がひしひしと伝わってきた。
デボラは愛以上のもの、変わらない希望の象徴で、「愛は枯れない」は、失恋より、希望を捨てまいというアイデンテイテイの苦しみに聞こえる。
もう一つの拠り所、マックスとの友情すらも自らの手で葬ることになり、ヌードルスは運命への抵抗を手放し、阿片にまみれて運命から逃走する。
ヌードルスは徹頭徹尾、何もなしえず、喪失感だけを抱えている。
けれど、その姿が美しい。
マックスはヌードルスのすべてを奪って這い上がったはずなのに、冷酷な裏切りのゲームに組み込まれてまた負ける。
資本者-労働者階級の力関係の打破を目指していたはずの運動家ジミーも、不正と欺瞞にまみれ、搾取支配する側に回る。
限られた勝者によってつくられた袋小路から、誰も脱出できていない。
ヌードルスが読んだドストエフスキーは、苦悩と葛藤は人間の倫理的証明で、奪えない精神活動だと示した。
何も選べない状況でも、苦しみを抱えながら、粛々と生きのびていくことが、運命に対する最大の抵抗になる。
そんな男の含羞を抱えた、脚本以上の物語性を見せてくれた素晴らしいヌードルスでした。
■ジャックナイフ咲奈
ポスターの咲ちゃんの、狂気じみた酷薄さを持つマックスのビジュアルが美しくて、三白眼友の会会員として白目剥いてました。
クラシックな曲の多い中、マックスのシーンだけはエレキギターが入ってアウトロー感あり。 (でもちょっとださい)
ジャックナイフ咲奈ラバーとしては、キャロルと二人でいるときのマックス、平手打ちをするシーン見惚れます。
アポカリプスの三騎士の曲やアメリカ憎しのヘイトソングのートーンが軽くて、マックスの病的な野心や支配欲が演出上去勢されていて悔しいが、ヌードルスとマックス・コックアイ達の対決の場面、足音のように低くザッザッと入ってくるリズムと歌の掛け合い、咲ちゃんの長いおみ足から繰り出されるステップが小気味よくてかっこよかった。
■あーさ/キャロル
「悪魔は天使より美しい外見をしている、 さもないと人が惹かれないから」 ということわざの説得力よ。
舞台上のキャロルは悪魔というより、だめ男に尽くしてしまういい女ですが、禁酒法時代のインモラルな香りが素晴らしい。
咲ちゃんとあーさの並び、ひたすら眼福でございます。
しっかし、「女の心にオイルを注ぐ。」って恋の甘酒級の絶妙のダサさだ。
■エンジェル
ひーこさん、リアルエンジェル。
Once opn a timeの映画は、最後にヌードルスが阿片窟で不可解な笑いを浮かべるシーンで終わっているので、本編は全部阿片で見た幻覚だったという解釈があるみたいです。
宝塚版でも、メガデボラのショーのシーンで、エンジェルだけが異質の存在だったし、ヌードルスの阿片のシーンにも登場していていたので、全てがヌードルスの夢想であるという解釈もできるかな?と深読みを楽しんでました。
(ま、最後、しっかり現実に帰って銀橋で歌われてしまうからあれですが)
襲撃の夜のとき、柱時計は11:00をさしている。
ヌードルスがファットモーのバーに20年ぶりに帰ってきたときは、11:15
彼の人生の時間は、15分しか進んでいない。
マックスから返してもらった懐中時計の中では、もっと進んでいるんだろうか。
■気になる人物
・パッツィー(縣千)
この作品における癒やし役でした。「ダイナマイトだぜー!!」って嬉々としてでかい声で叫んでるのを見ると、コックアイじゃなくても 「しまっとけ!」 って言いたくなる。
素晴らしい立ち姿。タキシードが似合う!。銃の扱いもとてもすごいきれい。
・宝石店におけるあんこ(杏野このみ)ちゃんの球体人形の限界を超える骨盤と膝関節によるくねり
・メガデボラ
小林幸子で言うところの電飾部分、もといメガデボラのドレスの裾の部分を持つベルガールズもコケティッシュでキュート。
頭から瀑布を垂らしているねーさん達もゴージャス爆です!
劇中唯一のきらびやかなシーンだから、ここぞとばかり発光体を集約させているのがあらまほしきかな。
・インフェルノガールズ
りーしゃの着てきたトップスより短いインフェルノガールズのスカート丈と、ひまりちゃんの泣きぼくろが色っぽくてやばかったです。
・バグジー(諏訪さき) 狂った笑い方ナイス
・叶ゆうりの巻き舌特集
■フィナーレ
大階段娘役陣の女体ウェーブ、素晴らしい。
ヒメさんときゃびい様のシンメ、かっこよくて美しくて、涙が出ます。
だいもんのきざりが増しましで、にんべんの濃縮3倍めんつゆが、生のままでてきました感。胸焼け上等!!
雪組×シンセサイザーって、食い合わせ悪いなー。かき氷×蟹?
手で作るあの四角は、噂のタットダンスってやつでしょうか? ← うとい
現代的なダンスの間に入る宝塚的色目流し目が一番ぐっときました。
スコットタイのすきまから覗く地肌は禁断のエロス。
デュエットダンス、ムーディーな音楽にクラシカルな振りなのに、濃密なラテンダンスに見えました。
体が離れていても、空気がくっついてるような二人のダンス、素晴らしかった。
リフトも一体化してて、一つの火の柱みたい。(だいもんのリフトが見られるなんて。ありがとうだいもん、ありがとうまあやちゃん)
技術が突出しているとか、アクロバティックな見せ場があるというのではないのだけとれど、一つ一つの振りと振りの呼応に目が離せない。
2年強のパートナーシップの結晶を見るような、忘れられないデュエットダンスでした。
銀橋の最後の歌 once upon a time in America は、イケコからだいもんへの最大の送辞に聞こえた。
「青春は甘く熱い」 の歌詞に、初めて聞いたときは、いやいやいやいや、あんただいぶ人殺してまんがな、と突っ込んでいましたが、千秋楽、だいもんの万感の思いを感じて、言葉がでませんでした。
ミステリアスすぎるな制作発表を経て集合日に台本ができてたこと、あまりこなれていない日本語、ホテルなしあたりの状況証拠から、イケコ影武者脚本説を唱えていましたが、とても小池先生らしい宝塚のための歌だった。
友と走り抜けた過ぎた日々を抱きしめたその曲は、once upon a time in TAKARAZUKAに聞こえました。