宝塚星組バウホール「デビュタント」観劇感想  | 百花繚乱

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駆け出し東宝組。宙から花のように降る雪多めに鑑賞。

 

 

 

■正塚先生のヒーロー像

 

前にパーシャルタイムトラべラーの対談で、正塚先生が

 

「男は金属が好きやねん。ニッケルとか銅とか・・わかるやろ?」

 

ずんちゃんにわけのわからん同意を求め、

 

「わかりません」 

 

とあっさり返されてて、そりゃそーだろ、と思った。

 

マサツカ先生のヒーロー像は、男性が憧れる男性像だよなあ、といつも思う。

言うまでもなくチャンドラーとかのハードボイルド小説を下敷きにしてるんだろうけど、 “ニヒルでダンディ”なヒーローの一人よがり感とマチズモは必ずしも女受けはよくないと思う。

宝塚の男役が演じることで、かろうじて女も憧れる男性になりえてるけど、ビジュアルで黙らせられる人じゃないと説得力がなくなる。

 

 

せおはと言うと、かいちゃんブリドリでも男道しりとりでも笑いをこらえ切れてなかったし、男道しりとりでは不正解までくらってたし、みずからを 「デリケートダンディ」と呼んでしまうほど、オフではそういうクサさやキザリにつっこみを入れまくるタイプだと思う。

 

中島らもさんが、小学生のとき好きな女の子がいて、もてる男=ニヒルな男になろうとして必死でしかめ面を練習し、その子から「中島君、あそぼ!!」 と言われたときに、練習の成果を生かしてゆっくりと眉間にしわをよせて 「悪いけど、放っておいてくれないか」と断ったところ、それ以降ほぼ無視され続けた、というエピソードがあるのだが、せおがメンズなら、絶対その手の逸話もってるタイプ。

 

 

なのに、この時期にこてこてのニヒルでダンディな正塚男役を持ってきたのは、宝塚的二枚目男役をきっちりやってみろということなんだろうか。

歌劇か何かで、正塚先生が「跳べ!! 」かなんか (すみません不正確) とてもとても熱い激励を送っていたのがとても印象的だった。

 

結果的には、せおっちは正塚芝居を忠実にこなしてたと思う。

ドクトルジバゴの時もそうだったが、構築してきた演技をきっちり見せてくれた感じ。

間延びしてしまいがちな会話や自問自答のシーンも、うまくテンポを保っていたし、なんといってもタキシード、スーツの背中の丸め方、肩のライン、背広の後姿、立ち姿という男役の型・・・「せおww」というつっこみを黙らせるだけの男役の美しさ、真摯さがあった。

 

 

女を間接的に手助けするヒーロー

今回の主役・イブは、誰かと対決して困難を乗りきるヒーローではなく、誰かの自立を助けることで変容する男なのが面白かった。

 

私立探偵のように組織に属さず社会の狭間のようなところで存在する男という設定は相変わらずだが、男が社会や巨悪と対立するというテーマは薄い。

おなじみの秘密結社も登場はするが、ほとんど仮想敵なようなもので現実感がないし、”社会”は反発するほどの強さでは描かれていない。

上流階級は内実困窮しており、体面を取り繕ろうので精一杯。

イブもその中のツテというおこぼれで生活している状態。

登場人物達がそれぞれ自分の夢を歌い上げるシーンで、イブの夢は  という高等遊民ぶり。

 

言っちゃなんだが、今回のイヴのした一番大きな仕事は、引き込もり令嬢ミレイユを、家から引っ張り出したことぐらい。

情報はほとんど他人からの棚ボタだし、解決も偶然だし、ミレイユが家から出てきもうろたえるばかりでなんもしてやらず、手助けしてくれたのはナタリーやニコールたちだし。

 

けれど、暴力から守ったり組織と戦うのではなく、女を間接的に助ける男という男役の設定は、人好きのする柔らかな瀬央の持ち味によくあっていたと思う。

結婚し、店を持ち、家を飛び出し、関係を修復し・・など皆が一歩踏み出していく様子を見て、イヴもまたツテで回る内輪に近い社会から、個人で生きる世間へとデビューする。

本公演の正塚作品のヒーロー達が生きるような、絶対的他人と理念の通じない敵のいる世界へ。

そういう意味では、イヴはまさしく主役前夜なのかもしれない。

 

■女の連帯

メインキャストの女性三人、眼福でした。タイプが全然違っていて、それぞれキャラが立っててよかった。

ナタリー桜庭舞ちゃん、妹感は乏しいけれど、押しが強い芯の強い役を存在感たっぷりに演じてた。

ミレーユ星蘭ひとみちゃんは、浮世離れした美しさが深窓の令嬢感がぴったり。

ややたどたどしい台詞回しも、キャラクターにはよくあってた。

社交界デビューの時に着ていたティアラと純白のドレス、大きな瞳、長い手足にすらりとした姿態、白鳥のような長い首はオードリーヘップバーンの演じたアン皇女のように目を見張るような可憐で清楚な美しさだった。

ニコール(水乃ゆり)ちゃんは、ナチュラルボーンプリンセス感。デコルテ出した輪っかドレスとか普段着で着そう。

 

この三人が突き放しつつ、手を差し伸べあうのがいい。

ミレーユ自身も、彼女の持っている貴族の教養で自立しようとするのが好感がもてる。

正塚先生が女の連帯を描くとは・・。

 

今回、女も男も結局は結ばれず (ビュレットとニコールだけは違うが)同志のような淡い距離感がなんともいえずいい。男性三人も。

友達でも恋人でも、それぞれ関わっているけれどいつかは通り過ぎていく、重なっているようで重なっていない、それでいてつながっている人の縁の不思議さが見えるようだった。

 

オットー(極美慎)とイヴの奇妙なコンビもよかった。沈黙の関係がとても映える

女だと言葉と情報で埋めようとする空間を、(ある種の)男どもは肩をすくめて煙で埋める。

少ないシーンだったが、そんな野郎の友情関係が見えた。

極美君、ただそこにいるだけという芝居がうまかった。

 

 

■正塚シェード

ウエクミブルー、岡田ロマンチックパステル、ダイスケパープルと並んで正塚先生のダーティーシェード、嫌いじゃない。

舞台上は暗くて、瞳孔が暗順応するまで時間かかるんだけど、下級生見分けるの大変なんだけど、ハット姿で椅子に座って見下ろす下級生たちのシルエット、とてもかっこよかった。

 

 

■瀬央のことば

何年か前に話題になった、瀬央が出身校へ寄せた一文が素晴らしかった。

 

「宝塚はがんばれば夢は必ずかなうといえる場所ではない。ただ、がんばっている姿を、必ず誰かが見てくれている場所だ」

 

という内容だったと思う。

宝塚という世界のよさを、端的に現した言葉だった。

 

今回の主演の際の朝日デジタルのインタビューで引用していた正塚先生から言われたという言葉。

 

腐るなよ。腐ったら終わりだからな」

 

くそーっ、正塚先生、かっこいいじゃないの。

こんな 「――しろよ」「・・だぞ」という文語男言葉を平成の時代にリアルに使っていることにも驚いたが、確かにこれは男言葉が冴える一言だ。 

 

そしてその言葉が投げられる世界を、妙齢の女性であるジェンヌさん達が生きているということに打たれる。

ジェンヌさんの素晴らしさは完璧であることではなく、むしろ完璧でないときにより発揮されると思う。

勝つことでなく、向き合い、自分の道にこだわり、全うしようとする姿に無類の美しさがある。

こちら側から一緒にその瞬間に立ち会えること。

その、いま、の奇跡に酔う。

 

男役群舞のセンターのダンス・・・私のようににわかが見ても、断然うまくなってた。 

印象的だったのが、フィナーレの時にセンターで見せた笑顔。

フル瀬央だった。

一生懸命で、あたたかくて、ユーモアを忘れず、仲間と走っていく。

 

かっこよかったぞ、せおっち!!

 

せおっちもまた、もう一つ大きな場所へと飛び出していけますように。

 

 

 

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