宝塚雪組「凱旋門」東宝 観劇感想 | 百花繚乱

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駆け出し東宝組。宙から花のように降る雪多めに鑑賞。

 

 

2018の凱旋門は、初演に色濃く感じた亡命者の孤独より、もう少し若々しい正義感や人間味を感じた。

ラヴィックが若々しく演じられていること、私たちから大戦がより遠のいたこともあり、亡命者の孤独が薄くなり、ジョアンとの恋愛模様の深みがわかりにくくなったと思った。

ジョアンの可憐さ、ボリスとの友情がより緊密になったこと、ホテル・アンテルナショナルの滞在客たちのやりとりなどにはあたたかみを感じたが、過酷な状況での救いや ヒューマニズムを描くにはいかんせんシーンが少ないように感じた。

 

 

■ラヴィックの恋

初演の時のラヴィックは悲壮感を漂わせていて、国籍も名前も持たない、この世に存在してはいけない男の喪失感がよく出ていた。

2018年のラヴィックは、成熟してエレガントになってた。

カリ様も言っていた 「(セーヌ川に飛び込むと) 冷たいよ」 のところとか、大人の男の優しみがあった。

映画版のラヴィックを演じたシャルル・ボワイエも、紳士的なユーモアと立ち居振る舞いで絶望を隠している演技をしていたので、そっちに近づいたのかもしれない。

 

ただ、ラヴィックが若めに陽気に演じられていたため、孤独感が薄くなりジョアンとの恋の経緯はややわかりにくくなったと思う。

例えば

 

「幸せ? 君の幸せは、どこから始ってどこで終わるんだ」

「愛と言うのはその人と一緒に年を取りたいと思うことだ」

 

のところ。

 

原作を読むと、ラヴィックが亡命者の絶望から 「幸せ」 と言う言葉に対して不信感を抱いていること、愛とは過去・未来・その人の国籍・信条全てを理解することと信じているので、ジョアンの言葉がうわっつらに聞こえて噛み合っていないことがわかる。(参照:「凱旋門」原作・映画・初演)

今回のラヴィックは恋の甘さが前面に出ていて、それがわかりにくい。

ためらいを表現してるのは、「幸せ・・?」と数秒真顔になるところぐらいだったとおもう。

ボリスとのボーイズトークでも、もうすでに恋に落ちてしまってる男に見えた。

 

ためらい⇒心を開いて変わっていく、の差があまりないので、拷問のPTSDのフラッシュバックの後で、深く考えなくても今目の前にいる人を愛するだけでいいと気づく 「愛し合うことがなにより必要だと思わないか」 という台詞、I like youからI love youの変化が伝わりにくかった。

ラヴィックが積極的に生きていく転機となる台詞だったと思うが、印象が弱かったと思う。

 

轟さんは全体的に力強く歌っていたし、ジョアンの死に慟哭するところなど、運命に対する絶望感を、抑うつ的ではなく、焦燥や苛立ちと言う形で演じていた。2018版ラヴィックは絶望に疲れておらず、精神は若々しく見えた。

 

最後のラヴィックが収容所に行くシーン、原作の凱旋門では人生から逃れるのではなく人生を理解した男の再生のシーンだった。

初演は、諦念をにじませながらも理知的で意思の強い余韻ある表情をしていた。

2018のラヴィックは、恋も復讐もしたから十分だという、やや消極的な理由での選択に見えてしまった。

最後の「凱旋門も見えない」の言葉も、自分の無力さ加減を嘆くような絶叫で、運命に納得していない印象を受ける。

運命に納得していないのは、それだけまだ精神が若々しいということだ。

初演とも原作とも全く違うアプローチのラヴィックに挑戦されていたように見えた。

 

 

■真彩ジョアン

原作だと、ラヴィックは亡命者故に全てを話さないし、心を許さないでいるから、ジョアンは不安感を募らせている。

だから彼が追放されたとき、自分から永遠に去ってしまったと感じてアンリに走る、という点を宝塚版ではきっちり描いていないので、ジョアンが孤独に弱い、生活力に流される女に見えてしまう。

 

ラヴィックが心を閉ざしている描写が弱いので、恋に飛び込んでいくのをためらっていたラヴィックがジョアンのストレートで無防備な愛情に心惹かれていくところとがわかりにくい。

 

そこを、埋めたのは真彩ちゃんの演技だったと思う。

女の湿った媚がなく、無邪気さと純粋さ、真摯さのあるジョアンで、ラヴィックはこの正直さや可憐さに魅かれたのだろうと思わせた。
アンリに乗り換えるシーンも、楽なほうを選んだというずるさは感じず、突然ラヴィックが去ってしまって混乱した女のけなげさに見えた。

「私悪い女」 は嫌な女に聞こえてとても表現が難しいと思うが、ジョアンの自責の念の表現に聞こえてとてもよかった。

情感のある演技もとても頑張っていた。

 

真彩ちゃんの「パララパララパララ」は永遠に聞いていたい。

しっとりと慰めるような優しい声で、ラヴィックがジョアンに惹かれるのもわかる、と思わせる歌声だった。

 

 

■ボリスのいのち

生徒たちの雰囲気・スタイルが現代的なこと、クラシックにつくってはいるが、舞台全体的に明るさがあって、亡命者や戦争の切実感がどうしても乏しくなる。

 

時代背景の説得力を高めていたのが、だいもんのボリスだったと思う

舞台の半ばででてくる名曲 「いのち」は名曲だと思うが、少々唐突に感じる。そこまでのシーンとの間に落差を感じてしまう。

そのつなぎめを縫い合わせるように、丁寧に、万感の思いをこめて歌い出されるだいもんのいのちは見事だった。

だいもんの声を橋渡しとして、歌の情景に入っていける。

ボリスの超低音から始まって、最後真彩ジョアンの「Ah----」の天使の美声で終わるのもドラマティック。

 

ラヴィックに悲壮感が少なくて恋に夢中な青年のように見える分、だいもんボリスが世間ずれしていて、分別臭い感じが、”ろくでもない世の中”の現実感を感じさせていた。

とっくりセーターのボリス、野球解説者みたいなおっさんっぷりだったけど、ラヴィツクとのバランスはよかった。

腹出てないはずなのにいかにも出てそうで、何回も腹確認してしまった。

 

シーンは少なかったが、ラヴィックとの友情関係も、相棒感がとてもよく出ていた。

好きだったのは、電話のシーン。

ささやくような「やる?」の切迫感とリアリティがよかった。

「くそったれ!!」 と 「うるさい!」は宝塚カルタに入れてください。

 

今更だけど望海風斗、鼻歌すらどんびきのうまさ。

るーるるーって歌ってるだけなのに、楽曲として完成されちやってる。

カルヴァドスを飲みにいくラヴィックとジョアンを見送るボリスが歌うパリ祭の歌、美穂さんと同様におパリの香りがしてた。

だいもんボリスの歌は大道具の一つでした。

 

 

■もろもろ

ホテルアンテルナショナル、亡命者の巣窟じゃなくて、芸術家の巣窟、モンマルトルみたい。

「みんなが離れ離れになる」っていうみちるちゃんユリアの一言、宝塚っぽくっていい。

原作も初演ももっと殺伐としてるけど、今回の亡命者軍団はとても暖かった。

戦争の陰惨さが軽減された代わりに、人の連帯感ややさしさを感じて救いになった。

 

縣千君の顔面、本当にすごい。ん?なんかイケメンの光がさしてる・・って思って見ると、縣君。驚異の顔面力だね。

 

・東京プログラムの中に、ラヴィックとボリスが仲良く肩並べてグラスかかげて乾杯している写真が載っているんだが、セピア色で完全に故人の思い出写真。

 

 

 

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