©宝塚歌劇団
■シトラスの風
シトラスの風はやはりオープニングの色彩が白眉。
幕が上がると、レモンイエローやペパーミントグリーン、ヒヤシンスブルー、ライラック
つば広の貴婦人ハットをかぶり、柔らかなジョーゼットのドレスをまとった組子達が整列している。
泳ぐようなダンスでドレスの裾が優雅に揺れ、色の波は果実園の樹々が熟するように次第に色を濃くしていく。
波が割れると、中央から艶やかなピンク(マゼンダ)の真風が登場する。
真風のピンクは勇者のピンク。
ついこの間のまあさまのピンクは優男のピンクで、洒脱なまあさまにとてもよく似合っていた。
全く同じピンクなのに、真風が着た途端、雄雄しく見える。
全くタイプの違う二人のトップスターだが、 「宝塚」という多種多様だけど統一された世界観があるから、お二人が矛盾なくつながっていて、同じものを表現していると理解できる。
宝塚という枠組の大きさを改めて思い知る。
ピンクは、唯一、国旗に使われていない色だそうだ。
国威や排他主義、獰猛さを駆り立てない色。
喪服の黒、労働者の制服の青に満ちていた戦争が終わった後、欧米では弾けるようにピンクがあふれ出す。
ピンクは、自由と平和な文化の象徴の色でもある。
シトラスの風のオープニングのセンターの鮮烈なピンクを目にすると、これは真に宝塚にふさわしい色だ、と見惚れる。
レビューは、ショーよりセリなどの舞台装置の使用が少なく、平面での勝負な分、色彩のコントラストの効果がとても生える。
舞台上での配置は、色の膨張効果も計算されているという。
緑も黄色も紫も、天然色素ではあり得ないどぎつい色をしているのに、舞台の上では夢夢しく輝く宝塚の魔法に酔いしれる。
シトラスの風に吹かれながら、中央で咲くショッキングピンクはさながら蓮の花のよう。
岡田先生のレビューは、パリに代表される西洋美への憧憬が大前提だが、どこかアジアへの郷愁を感じる。
キキちゃんマギーさんを加えた、紫のグラデーションの夢アモール、優雅で美しい。
愛ちゃんもかっこよさに加えてエレガントさが増した気がする。
最後の四人のハーモニーとても美しい。
■ステートフェア
おとぎの国の遊園地みたい。
風船を持った子供たち。メリーゴーランドの変わりに、ボンネットドレスの女の子たち、 キャンディカラーの紳士淑女たちがキュート。
まどかちゃんの真っ白のフリルのレースドレスの可憐さと& 真風のカンカン帽にキャンディストライプの背広の青年の似合い方ね。
■soul spirits
草間弥生の水玉衣装「そよ風」が削られ、加わった新場面の一つ。
踊れなくなった往年のダンスの名手「Mr Bojangles」のスピリッツを、男役たちが受けついでいくシーン。
それまでのシーンが鮮やかな色なら、このシーンは退色のイメージ。
(現実は、黒と赤口紅が美しい)
希望や明るさを感じさせるシーンと対照的な、ペーソスを感じさせるシーン。
ミスター・ボージャングルを演じるすっしーさん(寿つかさ)のダンスは沈黙の詩のように美しく、哀しい。
傍らにたたずむ真風の歌には、それを包み込むようなやさしいぬくもりがある。
中央で仮睡するミスター・ボージャングルの周りで、ころんとしたフォルムの黒い山高帽を手に踊りだす生粋の宙組男役たち。
ボージャングルの夢の中、ゆったりとしたテンポでのびやかに踊る若きボージャングル達が、柔らかな光で照らし出される。若きボージャングルたちは、限りなく粋で、限りなく優しい眼差を老ボージャングルにむける。
宝塚お約束のハットトリックもノスタルジック。
崩れていくものに美を認めるまなざしは成熟した文化のもので、パリを代表とした西欧が持つ大いなる魅力のひとつだと思う。
こういうシーンが加わったことで、シトラスの風というショーもまた、円熟の域に達したのだと感じた。
物哀しく、懐かしい秀逸なシーンだった。
■間奏曲2 キキちゃん
チャイナドラゴンのアオザイ衣装、とてもよく似合う。
後ろのBMWのフロンとみたいなギラギラ背景も面白い。指揮の西野先生もノリノリ。
宙組に全く違和感のないキキちゃんだか、ボルサリーノの斜め15度からの目線に花組の残り香を感じてぐっとくる。
■2018 アマポーラ
海賊巻き、待ってました。
庶民が海賊巻きしたら多分単なる負傷者にしか見えないが、宝塚では男も女も色気が五割増しになる。
南欧の民謡風のメロディーだがどこかオリエントな雰囲気もある。
マギーさん(星条海斗)、ポップアップでも言われていたが抜群の存在感と甘さが、古きよき宝塚の香りを加えている。
この作品は、ありとあらゆるタイプの帽子が出てくる。さすがダンディー岡田先生。
カンカン帽、山高帽、ボルサリーノ、スカーフ巻き。
中でも、トンチキ水玉水泳帽の系譜を引き継ぐようなあの銀色の葱帽子をかぶりこなすとはまどかちゃんはやはりただものじゃない。
■ノスタルジア
シチリアの貴族の舞踏会を舞台にした、男女の三角関係の物語。
冒頭のまどかちゃんのソロ、プッチーニのオペラのO Mio Babbino Caro /「Gianni Schicchi」
ぶれのない安定した歌声、すばらしかった。ステートフェアの若々しい感じとは全く違い、下に結った髪も大人びていて美しい。
マチルダをとりあう真風ヴィットリオvsキキちゃんセバスチャンは、青年どうしという設定だと思うけれど、やはり真風の方が年長に見えて、大人の男の渋みを感じた。
美しい若い貴婦人と恋に落ちたけれど、理性と分別で揺れる男に見えた。
まあさまノスタルジアでは、まあさまとヒロインをとりあう役はすっしーさん。
年長者と恋に戦うまあさまは青年のすがすがしさが前面に出ていたが、真風は失うことを知った男の逡巡に見えてとても面白い。
途中で、エリザの鏡の間みたいに、舞踏会の貴族たちが不穏なメロディーに乗って一斉に踊りだすところが大好き。あそこから三角関係の緊張が一気に高まる。
あっきー、かなこ含め、あそこの士官たちの美しさったらない。
りりこちゃん(潤奈すばる)、宙男らしい抜群の美しさでした。「娘役さんに惚れられる男役になりたい」と言ってたりりこちゃん。まだまだその姿を見たかった。
このあと、まあさまのソロのダンスがあったが、今回はカット。
軍服に身を包んだまあさまが白い手袋に包まれた手を高く振り上げ、長い足をしなやかに開脚させたダンスの舞台写真は、今でも大事な宝物だ。
■明日へのエナジー
ゴスペルとヤンキーの融合。
夜空、蒼穹の宙に瞬く白い星。
青白く浮かびあがる十字架。
ほの暗い背景に落ちる、背丈の何倍にも伸びた影の美しさ。
影も光も、三角形の中央、真風に集まる。
ゴスペルは、歌いながら踊り、リズムを体を使って表現する。
謝先生の振り付けは、人間のあらゆるバネを使いきる。
腕を曲げ、肘を振り回し、背をそらし、身をかがめ、指を鳴らし、足を踏み鳴らし、体を地にうちつける。
筋肉の伸び縮みする律動が、そのまま爆発力のある音楽になってる。
今回、まぁさま版の明日へのエナジーを見直してみて、フレッシュに泣いた。
やんちゃな笑顔で余裕しゃくしゃくで心から楽しげに踊るまあさま、斜め後ろで必死に踊ってる真風と、胸をはってほこらしげな愛ちゃん、その後ろのうららさまのファンキーさ、ありさちゃんやしーちゃんたちの歌。
真風版の明日へのエナジーは、堅固なイメージ。
一瞬一瞬をかみしめるような踊りだと思った。
その横にはしなやかなキキちゃんがいて、やっぱり愛ちゃんは誇らしげにより貫禄を増しながら胸をはっていて、小さなまどかちゃんが加わって、すっしーさんははちゃめちゃに振り切って踊り、あおいさんも変わらぬ気迫でソロを歌い上げる。
トーク番組で「これはうちの組のものだ」と短くきっぱり言いきった愛ちゃんときっとおんなじ気持ちで、組子がコーラスに全てをぶちこんでくる。
それまで連綿と続いてきた宙組にまあさまがもたらした若さやしなかさを、真風が今しっかりと守り固めていた。
泣けてしょうがなかった。
■サンライズ
舞台中央で輝いている大きな黒い太陽が印象的。
皆既日食をイメージしているそうだ。
南の風を思わせる穏やかなメロディにのせて、炎の刺繍の縫い取りのある真っ白なお衣装でゆったりと真風が歌い始める。
まさに、火の国から来たトップスター・真風をイメージする雄大なシーン。
同じく白の衣装に身を包んだまどかちゃんとのデュエットダンスは、よく馴染んでいて美しい。
「さあ夜があける」 と真風が歌うと、真っ白な大階段が出現する。
白燕尾に身を包んだ男役たちの群舞は、一糸乱れず揃っている。
FNS歌謡祭のときのダンスしかり、集団で見せるときの宙組の均整のとれた美しさはすばらしい財産だと思う。
その中央で、誰よりも大きく見える真風が頼もしい。
宙組の太陽と言われたまあさまから代替わりして、今度はトップスター・真風のでっかい太陽が昇る。
感無量。
その瞬間、大階段が真っ赤に染まった。
なんと美しい演出だろう。
宙組の新たなる夜明け、ロマンチックレビュー20作目にふさわしい、華やかな作品でした。
願わくば、これが受け継がれていき、かつ、これを超える名作が宙組から生まれんことを。
追記:岡田先生のご子息の書かれたシトラスについてのブログが、演出家ならではの目線と岡田先生への敬意に満ちていて素敵でした
https://rokada.exblog.jp/238532876/