No.3-29 見えない未来を憂うなんて、ばかばかしい
こうやって、自分の過去を振り返ってみると、2社目の編プロで働いていた日々が、一番がむしゃらだったな~と思います。
今、同じことができるか、と言われたら…間違いなくできない(笑)。
でも、あのときのがむしゃらさを味わってっみたい、と思うことはあります。
無駄なことを考えることのない(余裕がなかっただけですが…)“無”の状態でいられた、このときの“がむしゃらさ”は、その瞬間だけのもの。
今、同じようにやってみたとして、あの感覚を味わうことはできません。
このときのきらきらは、少しも不純物のない水のような、そんな感じがする。
だからでしょうか。
泥臭いくらいがむしゃらになれることを、私はとても素敵なこと、だと思っています。たとえ、それが、傷つくこと、であったとしても。
人生は一回こっきり。
いいことも悪いことも、全身でがっつり味わう時期があってもいい、のではないでしょうか。
ほどほどを求めていれば大きな傷を負うこともないけど、そこから得られる幸せもまたほどほどでしかない。
だったら、ほんの僅かでもいい。
そんな時間を生きてみるのは、決して悪くはない、と私は思います。
私の尊敬する作家の江國香織さんは、「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」という書籍のあとがきに、こんなことを書いています。
「瞬間の集積が時間であり、時間の集積が人生であるならば、私はやっぱり瞬間を信じたい。
SAFE(安全)でもSUITABLE(適切)でもない人生で、長期展望にどんな意味があるのでしょうか」。
これは、私の人生においてのベース、です。
安全でも適切でもない人生で、見えない未来を憂い、そのために“今”を犠牲にするなんて、ばかばかしい。
ほんの僅かでも、ある一瞬でも、いい。
先のことなんて考えず、その瞬間をがむしゃらになれるって、だからすごく素敵なことだと思うのです。
私が起業したのも、未来より今、を大事にした結果、です。
でも、“今”は永遠ではありません。