大海の一滴・・あなたとわたし。。元一つの大霊からの枝分かれ・・ | 100のありがとうのブログ

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病気は神様からの贈りもの・・忘れていた感謝のこころ・・

 

 

 

 みなさん、おはようヾ(o´ェ`o)ノございました。7月16日(火曜日)になりました。

 

 
今朝は、昨夜から何度もトイレに行って体重計に乗ると1.6㎏も痩せていました。
 

 

おしっこの回数が午前0時から7時前までに5回も、6回もありました。

 

 
観ていた夢も複数ありましたが、昨夜の寝る前に諮った体重で、いつもよりか約2㎏も体重が増えていたのは代謝が悪く足にも浮腫みが出る症状があったので左の麻痺側の左手と肩から指先への痛みが半端なかったので何度も、何度も、寝返りをして痛みの強さで目が覚めてはトイレに行っていた状態でした。
 

 
のりこえて、その痛みや辛さを乗り越えて、受け入れて、自分の中で消化と浄化をしていかなければならない・・(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾
 

 

呼吸が大事・・寝ている時に人は無意識の「呼吸」で息を吸って「吐く」いわゆる「ガス交換」をしている・・空気中には、自分の吐いた無意識の二酸化炭素の排出

が行われている。

 
 

 
無意識の「思い」や思念があぶくのように泡となって、シャボン玉のように・・空へと舞い上がり人々の吐く呼吸に無意識の思いや思念は・・大気中に混ざって、、雲に乗り、旅をする。
 
 

 
誰かの想いや思念は、空気中に・・大気中に・・無意識の「無」から、同じエネルギーや波動を通じて色や形を変えながら集まりだしていく・・バランスが崩れて、浮いていた物質。空気よりも重い水が・・落ちてくる。人間のからだの中のお天気と同じことが起きている。( ˘•ω•˘ )?
 
 

 

一期一会・・時は流れて・・変化し続ける。同じもの、同じ瞬間は二度とこない。

 
 

 

今日の日めくりのカレンダーに書いてあることわざは「大海の一滴」でございます。

 

 

大海の一滴

 

 

 

社会全体の営みを「海」に例え、一人の人間を、また一人の人間の小さな行いを、大きな水の塊の中の「一滴の水」に例えています。(マザーテレサの言葉/祈り)

とても広いところに、極めて小さなものがあることのたとえ。海の中にある一粒の水滴を、「とても広いところに極めて小さなもの」にたとえているのです。また、このことわざは「人間の存在の小ささや、その儚さ」を表す際にも用いられます。(言葉の疑問を解決するサイト「スッキリ」より)

 

 

 

マザー・テレサは、教員をしていた時の出逢いがきっかけで、インドのコルカタで、貧しく身寄りのない人々に寄り添う活動をするようになりました。そんな彼女に対して、「(困った人は山ほどいるのに)そんなことをして一体何の意味があるのか」と疑問を投げかける人が少なからずいました。でも、そのような声に対し、マザー・テレサは、次のように言いました。

「私たちの為すことは、大海の一滴にすぎません。しかし、私たちの行動がなければ、大海はその一滴分は少なくなっているのです。」

つまり、一人ひとりの存在や働きは小さなものですが、間違いなく存在する一つのものとして意味がある、ということです。お城の石垣を作るいろんな大きさの石のように、一人ひとりの水滴の大きさや成分は異なるでしょう。それでも良いのです。石垣を作るために使われた石が、どれも必要な石であるように、一人ひとりの雫は大切な一滴なのです。

 

(神戸海星女子学院大学 学長 石原 敬子)

 

 

今日も明るく!楽しく!元気よく!笑顔を忘れずに!!行って来ま~~す。