親の背を見て子は育つ・・親もまた、子どもから自分を学ぶ | 100のありがとうのブログ

100のありがとうのブログ

病気は神様からの贈りもの・・忘れていた感謝のこころ・・

 

 

 

 みなさん、おはようヾ(o´ェ`o)ノございました。6月17日(月曜日)になりました。6月(水無月)も半分を過ぎてもうすぐ夏至を迎えようとする今日この頃、、梅雨はまだか!?

 

 

来るとわかってはいるものの・・いつ来るのか??キニナルところでございます。

 

 

 今朝は、5時半ごろに目が覚めて、見ていた夢は二つほど覚えていましたが、特にキニナル?夢でもなくて・・(ナニか?夢で僕に伝えるとかのメッセージを感じることもなく・・気にしないまま。。)

 

 

いつものように、部屋のエアコンを消してふとんから起きて、カラダに戻ってきた自分の意識をとらえながらカラダを動かしながら不具合な個所を感じ取りつつトイレに行って小用を足して洗面所の鏡で自分の顔と表情を確認し、目を見て左右の違いを見て、麻痺の強さを自覚しながら髪の毛を直し髭の伸びてる下あごの辺りを右手で触りながら(髭を剃らんとあかんな~(*´ω`*)?と考えた/苦笑)

 

 

 

奥さんはすでにもう、起きて仏間でご先祖様に手を合わせて、土曜日に娘から「父の日に感謝状のついたスイカを1玉もらったので昨夜、食べやすくブロック(1口サイズ)に切って冷蔵庫で冷やしておいたもの」をお仏壇にお供えしてお線香を焚いているところだったので

 

 

 

チータちゃん♡おはよう!いつもありがとうね~♪」「ご先祖様もよろこんでくれているよ~

 

 

奥さんのご先祖様と僕の両親のご先祖様たち、、ご縁をいただいた前世からのつながりのある元一つの大霊からの枝分かれ・・

 

散歩がてらに落ちているゴミを拾い歩く人がいる。誰もみていないところで/ありがとうとこころが洗われる思いがした。

 

あなたはワタシでもあり、ワタシも元一つのあなたです。

 

 

 

倖せは決して一人だけで味わうだけではなく、共に生きるみんなで味わえるもの・・自他を思いやり、自他を大切に愛せるように・・

 

ゴミを拾う人もいれば・・

 

 

ひとりは万人のために・・万人は一人のために・・社会とは、相互扶助の信頼関係で成り立っている。

 

 

毎日、ポケットからゴミを取り出してゴミを川に投げ捨てる人もいる。

 

同じ人間でも、毎日、心の中で思っているコトや感じているコトが・・繰り返されて「今」があり「自分の未来が見えてくる」

 

今日の日めくりのカレンダーに書いてあることわざは「親の背を見て子は育つ」でございます。

 

 

 

 

親の背を見て子は育つ

 

 

 

 

「親の背を見て子は育つ」ということわざがあります。 このことわざは、「子は親を映す鏡」ということわざと同じと見なされています。 すなわち、親と一緒に暮らしている子どもは、親のよい面もわるい面も自然に身につけてしまうから、親は、ふだんから自分の言動に気をつけるべきだ、という意味している、と。本当でしょうか。

 

 

 


 私は、「親の背」ほど、私たちの心を衝き動かすものはない、と思っています。そこに見えるのは、たしかに自分の親の背中ですが、その背中が暗示しているものは、言葉にできない喪失の悲しみや、喜びのなかにあるつらさや、懸命な努力がむくわれない切なさではないでしょうか。一言では語りえない想いとともに生きる姿ではないでしょうか。

 ヨーロッパの思想では、「神の背中」(posteriora Dei)という言葉が使われます。もともと、マルティン・ルターの言葉です。さかのぼれば、聖書の「出エジプト記」には、「私の背中」という、神の言葉があり、ルターは、この言葉を思いながら、この言葉を使っています。
 ルターは、人に見えるのは「神の背中」だけだ、といいます。つまり、神は、大切なことを明示的に語らない、と。イエスの言葉は大切なことを語ってくれますが、肝心なところは謎めいています。しかし、ルターによれば、人は、イエスの言葉を感受する力、信じる力を授かっています。そして、その信のなかで、人は、どんな苦難にさらされようとも、その悲しみやつらさとともに、人を無条件に愛する心をもつことができる、といいます。

 私たちは、さまざまな苦難に直面し、悲しい、つらいと感じますが、そうした想いをさっさと忘れてしまわず、そうした想いとともに生きています。その想いは、たとえば、詩歌、音楽、思想として表現され、他の人に伝わり、想いの連鎖を生みだします。その想いの連鎖のなかで、私たちは深いところで支えられ、生き生きと生きる力を得ています。
 そうした想いをさっぱり切り捨てて、ドライに合理的に生きることもできそうに見えますが、無理です。私たちの心からそうした想いが消えることはありません。人は、どこまでも想いを携え、想いとともに生きます。そうした想いを無理やり無視し、利益や世間体を考える人に対しても、私たちは、その人の背中を見て、幾ばくかの想いを感じるはずです。

 

 

(引用させていただいた原文: 山梨学院小学校 教育顧問 田中智志)

 

 

 

 

 

 

今日も明るく!楽しく!元気よく!笑顔を忘れずに!  行って来ま~~す(=゚ω゚)ノ♡