窮鼠猫を噛む・・逃げちゃダメだw | 100のありがとうのブログ

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病気は神様からの贈りもの・・忘れていた感謝のこころ・・

 

 

 

 

 みなさん、おはようございました。(⌒‐⌒)♡ 2月9日(木曜日)になりました。

 

 

 

 

今朝は6時半ごろに目が覚めて、すでに奥さんは台所に立ってお弁当を作っていました。

 

 

 

 

チータちゃんおはよう♪」(おはよ♡

 

 

 

 

夫婦であっても、朝一番のあいさつ(コミュニケーション)は、その日のパートナーの体調や気分を感じ取る大切なコミュニケーションです。病気になって、奥さんが見守りをしてくれるために退院後からは同じ部屋で一緒に寝るようになり、「あんた、寝ている時に呼吸が止まるときがあるよ!」と聞かされたこともあるので、家族のコミュニケーションも人間関係も大切なことがわかります。

 

 

 

 

ある結婚式で、妻の遺影を抱いて娘の結婚を祝うスピーチで夫が口にした言葉の中で「妻とは何十年も結婚生活を送っていながら、、わたしは妻のことを何も知りませんでした。」といった言葉を思い出しますが・・・妻の事だけではなくて・・実は、家族の一人一人のことを、、、わたしたちは、知ってるようでも、何もわかっていない・・知らないんだと・・わたくしは常にそう思い考えるようになったのは「病気」になったからで・・家族をわたしのように、、病気にさせてはいけないと思い、自分のことも、家族のことも、大切な人たちのことも・・同じように・・健康で豊かな暮らしができるように・・ものの見方や考え方や、正しい知識や認識は共有するべきだろうと思っています。

 

 

 

 

今日の日めくりのカレンダーに書いてあることわざは「窮鼠猫を噛む」でした。

 

 

 

窮鼠猫を噛む

 

 

 

絶体絶命の窮地に追い詰められれば、弱い者でも強い者に逆襲することがあるというたとえ。追い詰められたネズミが逃げ場を失ったとき、必死で猫に噛みつくことがあるということ。
『塩鉄論・詔聖』に「死して再びは生きずとなれば、窮鼠も狸を噛む」とあり、ここでの狸は、山猫か野猫のことと思われる。(故事ことわざ辞典より)

 

 

 

 

 

 

 

今日も明るく!楽しく!元気よく!笑顔を忘れずに!  いってらっしゃ~~い(* ^-^)ノ♡