リビングでママ友が母親を殴ったり、けったりしているのをただ茫然とみていると、同級生の父が止めに来てくれて

ママ友を連れて行ってくれました。

そのあと、私はどうしたか覚えていません。

そのあとも、私は見ていませんでしたが、ママ友が母親の頭をビール瓶で殴り、咄嗟に右手で頭をかばった

結果、右手の血管を切って全治三か月のけがをしました。

あの時、私は叔母の家に学校終わった後連れていかれて、一泊しました。

家に戻って帰ってきたときの家の状態がとにかくひどかった。

母親の血痕が至る所に飛び散っており、あたりが悪かったら、おそらく母親は死んでいたと思います。

それでも警察には届出なかった。

そのあとも、いやがらせされたり、いろんなことがありました。

父は、手をけがした母を一度だけ、殴りました。

ものすごい勢いで殴っていたのを見ていた私。あの頃から、父も変わってしまった。

兄はそのころには一人でなんでもできていたので、一人で家にいることが多く、

あの壮絶なシーンを見ていたのは私だけです。

小さいながらにものすごい傷を負っていたんだな私。と、今振り返ると思います。

私も中学年になり、高学年になるころには、同級生の家にはいかず、家にいることが多くなりましたが、

母親は、私たちこどもにご飯を作ることなく、仕事が終わるとすぐに同級生の家に行き、酒を飲み、

荒れ狂う。

私と兄は、家でシーチキンの缶詰やパン、など料理はできなかったので、家にあるものをご飯にかけて

食べたりして夜ご飯をしのいでいました。

父がいる日はご飯を作ってくれるので、とにかく毎日父が家にいることを願っていました。

熱が出て、高熱があるから迎えにきてといっても、「もう少し待って、」と

夜中まで一人体を縮こまらせて、耐えしのいだ、その当時は学校のすぐ近くに祖母の家があり、

学校終わったら、祖母の家で待つという感じでした。家までは少し離れていたので、低学年までは迎えに来てもらっていた。

ですが、祖母がいるころまでは普通に迎えに来ていたけれど、私が中学年ごろに施設入って、祖母の家には

叔父一人だけが住んでいました。叔父は目と耳が不自由でおまけに毎日家にはおらず、そとでお酒を飲んで

外で寝るという生活でした。

誰もいない祖母の家に一人で高熱の中、毛布とかもなく、何も食べずに母が来るのをずっと待っていました。

夕方3時ごろから迎えに来てと連絡いれて、来たのが、夜の9時。

初めて母に対して怒りを感じ、母が迎えに来ても、何も言葉を交わさず無視をしてたら、逆に母にキレられました。

迎えに来てやったのになんだこの態度はという感じです。

それでも、ひたすら無視しました。

こんな壮絶な小学生時代を送り、中学生になり、そのころから母が少しずつ私たちの世話をすることが増えました。

話を聞くと、その同級生の親とは今後関わらないことにすることを決めたとのこと。

そして、今までのことを謝られました。

その時に母から言われたことは、「お願いだから、あの時のことを責めないで」

とのことでした。

とても残念でした。この人は結局は人の気もちんなてどうでもいいんだな。自分のことしか知らない人なんだと

わかりました。

私は「うん。わかった」と答えました。

よく、ぐれずに道それずにこれたなと自分で自分をほめたいと思う。

そのあとからは現在のような一応、人間らしい人にまでは戻った感じはありますが、

それでも、やはり所々で、自分のことしか考えていない、人の気持ちなんて理解しようとしないふしが

出てきます。

正直、私は、母のしてきたことについては、おそらくずっとあの頃の傷は消えないであろうと思います。

母に、私のこと責めないでねと言われた後から、私はずっとこれまでのことを言えずに誰にも言わずに来ました。

ですが、高校生になり、大学について進路を決めるころに、私は一番学びたいと思うところを選びました。

それは、心理学カウンセリングコースのある学校です。

自分自身についても知りたかったのこともありましたが、一番は、あの頃の自分のように傷ついている子供たちを

助けたいという気持ちで受けました。

私は、大人の誰からも守ってもらうことはなかった。きついときに誰でもいいから私の話を真剣に聞いてくれる

大人になりたかった。

その思いで心理を学びました。

大学3年の頃のゼミの先生に、「今の私について」の課題を出されました。

今の自分があるのはどういうことなのかをひたすら考え、レポートにまとめました。

その課題がとてつもなく苦しくて、泣きながらパソコンと向き合いました。

これまで誰にも話さなかったことを、その先生に見せるのだと思うと、気持ちをまとめたり、あの時の辛かった

ことを思い出さないといけなくて、とにかくつらかった。

そこである程度自分んの気持ちなどを整理してわかったこととしては、

私はあの時のことを母から聞いてみたいと思うようになりました。

 

続きます。