今回は私が不登校になってからのことをお話ししていきたいと思います。


母が私たちに暴力を振るうようになったのはA、B、とも別れて夜逃げをしてからのことだったと思います。それは外出中に多く姉妹喧嘩をしたりいう事を聞かずに喚いているといい加減にしろとドスを効かせた声で怒鳴り、お尻を思い切り蹴られます。場所は憚らず駅のホームで蹴られ落ちそうになったこともありました。そう言ったこともあり私は母に心配をかけたくない気持ちもありましたがそれと同時にあまり頼ろうというきも起きなかったのだと思います。

ですが母も全く子供達のことを考えていなかったり常に暴力で解決しようとしていたわけではありません。

休みの日は私たちを色々なところへ連れて行ってくれましたし私の不登校についても真剣に考えてくれていました。きっと余裕がなかったりして母も辛かったのだと思います。女で一つで問題児2人を抱え働き詰めで足を悪くした時期もありました。それでも私たちは家事の仕方がわからず手伝いもまともにできませんでしたので休む暇などなかったのですから。


私が不登校のあいだ母はできるだけ私が外に出るように職場や友人との食事にも私を連れて行ってくれました。私は生理が始まっていたので生理の時は腹巻きをしてくれたりまだ慣れない間はトイレに行くよう促してくれたりナプキンを付け替えてくれたりもしました。そこまで手間がかかっても母は私を家に1人で置いていくことはしなかったのです。

その時は母がなぜ頻繁に友人と食事をしているのかわからなかったのですがその時母が食事をしていた相手はみんないじめを受けて困っている子供を持った親でした。そしてどのように対処しているかを聞いていたのです。そして不登校になって数ヶ月した時母からフリースクールの話がありました。フリースクールとは学校とはべつで通う学童のようなものでそこに登校することで学校に登校したのと同じ扱いになり出席が得られる場所です。

母は私が登校できるかどうか校長先生と話をするからもし行けることになったら行ってみたいかと聞いてきました。私は家にいることで色々なことに尻込みするようになっていましたしまたそのフリースクールでもいじめられるかもしれないという不安であまり乗り気ではなかったのですが一度見学をしてみたらどうかといわれ見学に行くことになりました。

見学はそれから1週間後、その間に私がいた学校では前例がないということで私と母、校長先生とスクールカウンセラーの4人で懇談をしてなんとかフリースクールへの通学を許可してもらい準備をととのえることができました。見学の結果実際は結局通ってみないとわからないということでもし嫌だったら辞めればいいという母の一押しもあり私はフリースクールに通うことになります。


フリースクールは始まるのが10時からと結構ゆっくりでした、遅れる時や休みの時は連絡があれば特に問題もなく理由も大したものは必要なく本当に気軽に通うことができました。

通っている人数は10人ほどで学年もまちまち、学習スピードもそれぞれでした。外見は二階建ての一軒家のような見た目で中もすごく広いわけではなく塾の一室のような学習室、ビリヤードと卓球台が一つづつ手狭に置かれた運動室、お手洗い、デスクが6つ向かい合わせで並んだ職員質があるだけの質素なもので2階は壁を取り払った調理実習室でした。午前中はそれぞれの課題をして職員に見てもらったりして昼食を食べ、午後は基本的に自由な時間でビリヤードをしたり卓球をしたり人によっては帰ったりしていて私は母が送り迎えをしてくれていたので母の仕事が終わるまでフリースクールで新しくできた友人と遊んで過ごしたり友人が帰ってしまった後は職員と話をしていました。

そうしてフリースクールには約8ヶ月ほど通ったのですがその間に一度入学した小学校に転校してやり直そうとしたこともありましたがいくら元々いた場所とはいえ1クラスしかないまま学年が上がっていった子達の中に馴染むのが難しく結局元の学校に戻りました。


入学した学校に転入したときは通学していた時期もあったのですがほんの数ヶ月でした。が、その間にもまた私の悩みの種となる出来事があったのです。

姉がその学校に特別支援学校から転校していて特別クラスに通っていたので私としてはまたいじめの元になるのではないかと心配もありましたがそこはなんともなくみんなむしろ特別クラスにしかないバランスボールや電子ピアノといったもので遊べるという理由で私の姉も交えて私と遊んでくれました。

そして姉の担任の先生が私の次年度の担任教師となり、私は妹ということで担任教師には顔がしれていてクラスも引き続きメンバーは変わらないからきっと普通に登校できるようになる、と思ったのです。


ですがある時、私は友達と手紙について揉めたことがありました。友達の名前はよくある『みう』という名前だったのですが私が手紙で『みゆ』とかいてしまったことと敬称がなく呼び捨てで書いてあったことが友達は大変気に食わなかったようなのです。その子は良く言う一軍といった地位でしたので私はその子の機嫌をとても気にしていました。そのため、渡した手紙について名前も間違えてるしなんで呼び捨てなの、と言われ私は咄嗟に姉が書いた。と嘘をついてしまったのです。


友達は姉とも仲が良かったですし、年上という理由で姉がその子を呼び捨てにすることに友達は何も言いませんでしたのでそう言うことでその子の機嫌を損ねることはないだろうと思い無理がある嘘をついてしまいました。ですが友達は意外にもそっか。と言って場は収まったのです。

ですが私が安心してその出来事のことをすっかり忘れて1週間ほどが経った頃、社会科の授業だったでしょうか。グループワーク中に担任教師に呼ばれ私は隣の空き教室へと連れて行かれました。

クラスで余った数個の机と椅子、担任用のデスクとデスクチェアしかないだだっ広い教室のど真ん中で先生は立ち止まりポッケに手を入れて私を振り返り一言。「心当たりは?」と言います。なんのことか見当もつきませんが私はここ最近のことを考え左上を見ました。置き勉は禁止だが教科書を数冊置いて行ったことだろうか、掃除の時乾拭きをしなかったことだろうか、、、、視線を先生の方に戻すと先生の手には一枚の紙が握られていました。その紙は私が友人に書いた手紙です。なぜ先生が持っているのか。名前を間違えたことがそんなに気に食わなかったのか、、、そう思い私はもう一度先生が訪ねてくるのを待ちました。ですが先生がもう一度尋ねてくることはなく、私が言うまで無言の時間が続くだろうと思い、キュッと締まった喉からようやく声を搾り出し「名前を間違えたことだと思います。」と言いました。すると先生は首を振り「なぜかわかるまでここで考えなさい」とゆう言葉と私の書いた手紙を置いて教室を出て行きました。訳がわからず涙が溢れ手紙が歪み喉は締められたようになって息が苦しくなりました。考えても考えてもわからず私は教室に戻って「ごめんなさい分かりません」と言うべきかとも思いましたが、泣き顔をみんなに見られるのは嫌でしたし何よりも理由はわからないが告げ口したであろう友達に、私が先生に怒られている様を見せるのは気に食わなkったのです。

先生が出ていってからの時間はとても長く1時間にも感じられましたが実際は20分ほどだったでしょうか、歯を食いしばり涙を止めようとしていると教室の扉が開き、私が振り向くとと先生が顔だけをのぞかせていて「なんでかわかったの?」と言いました。私が押し黙ると先生はわざと大きなため息をついてまた教室へ戻って行きました。私は先生が閉じた扉を強く睨み、止まりかけていた涙がまた溢れ出したことやなんのヒントもくれない先生への怒りを拳で握り潰しました。

時計を見るともう40分が経っていました。授業がもうすぐで終わる。授業が終われば帰りの会をして下校です。私はずっとこのままここで一生を過ごすのかもしれないとさえ思いました。

チャイムがなりみんなの声が遠くなって少し経ってから先生が戻ってきてまたあの言葉を言いましたが私はもう声を出すこともできず首を振りわからないという意思を伝えました。すると先生は手紙を手に取り「これはあなたが友達に渡したお手紙だよね?」と言い私は頷きます。「じゃあこれを書いたのは?」と聞かれた瞬間悟りました。ですがその質問には首の動きだけで答えることはできません、どうにかしゃくり上げながら震える声で「私です。」と答えました。

先生は「私はみうにこの手紙を見せられて、手紙はあなたのお姉ちゃんが書いたと言われた。と聞いたんだけど?」と言います。答えは私に言わせたかったのでしょう、確信的なことは口にしません。「嘘をつきました。」と私は言い先生がいつ怒鳴り出すのか怖くて涙が次から次へと出てきます。

ですが先生はなぜ嘘をついたのか、他についている嘘はないか、怒鳴ることなくただ静かに問答をしていき「先生は嘘は一番いけないことだと思っているからこんなふうに言うのだ」とゆうことを最後に言われいじめにつながるようなことはないしそんなことになるようであれば全力で対処をしていくと言うようなことを小学生の私にもわかるように説明をしてくれました。私はそれで説教は終わりだと思いやっと泣き止み先生にごめんなさいと言い教室から出ていくタイミングを伺いました。ですが先生がデスクからタイヤのついた椅子を私の前に持ってきて座ったのです。まだ何か言われるのか身構えた瞬間。


先生が自身の膝をポンポン、と叩きました。


私は戸惑い、それが何を意味するか直接的な意味だとしても全く訳がわからず立ち尽くしました。すると先生はもう一度膝を叩き「おいで」と手を広げたのです。


どう言うことなのか全く意味は分かりませんが今頭に浮かんでいることをしないとこの沈黙は終わりそうにありません、かといってどの向きで、どんな気持ちですればいいのか頭が真っ白になって動けずに立っていると先生も立ち上がり私のことを正面から抱擁しました。

そしてそのまま椅子まで下がっていき座り私を向かい合う形で膝に無理やり乗せました。デブと言われていたこともあり誰かに身を預けるのはとても怖くて体に力が入りましたし大体そんな体制は母であってもほんの小さい時にしかしませんでした。ましてや地面やソファでないとこんな体制にはなりません。

それにいくら昨年から面識があり姉の担任だったからと言って私は特に親しいと言う感情は抱いていませんでした。むしろその時は何を考えているかわからない先生のことが怖くてたまりませんでした。5分ほどそうしていたでしょうか、先生がよし、と私の背中をぽん、と叩いたのでぎこちなく後退りながら膝を降りまた向かい合わせに立つと先生はもう嘘はつかないでねと言ってさようならをしました。

私は大家さんのことや前の担任教師のこともあり男性は苦手になっていたのですがその先生は女性、もはや男女なんて関係ありません。私は何を考えているかわからない大人が苦手になりました。

この時の先生の行動は本当に自分本位で教師としてあるまじき行為だと私は思います。頭を撫でる程度ならまだしも膝に乗せ抱擁する、これはただの先生の願望だったとしか思えないのです。これは職権濫用であって生徒の教育には程遠い行為だったのではないでしょうか。


そんな行動をした先生のクラスに通うことは怖かったですし友達との関係の修復も難しいと思い、いじめに発展する前にフリースクールへと戻ろうと思い学校はまた不登校になってしまいました。


#5 完