今から3年前の9月
某所

彼と初めて出会った

腹が立つほど陽気でみんなの世話ばかりやいている人だった

私は丁度人生の分岐点真っ只中で
すこぶる機嫌が悪く
アホみたいにその場を楽しませようとする彼に
苛立ちを隠せなかった

色々話していたら彼が音楽をやっている人だと聞いた

その時『ふーん』くらいにしか聞いていなかったが
その後周りのお節介もあり彼と連絡先を交換して、何を血迷ったのか私は彼に

『一緒に音楽やりませんか?』

と連絡していた

マサVOLTとの出会いである

その後、マサVOLTの知り合いから
LIVEの出演を依頼され、
集まってもいないバンドメンバーを彼は必死で探し
花巻での初ライブに挑むこととなる

それが初代北上100万VOLTである(初ライブ当初は名前が違かった)

そんな馴れ初めで北上100万VOLTが
色んな方々と知り会えて
色んな方々に助けられて
ここまで走ってきた

そして彼もひたすら
LIVEがあれば顔をだし
ひたすらに、がむしゃらに走り続けた


北上100万VOLTのサポートドラムがぬけた時
マサVOLTは
『もうこれ以上続けられない』

そう私に言った
なんだかんだサポートといいながら
秀豊にはたくさん助けて貰った
彼の中ではそれが大きかったようだった

北上100万VOLTが活動休止状態になることとなる


それでも有難いことにオファーを頂いたLIVEをマサVOLTが断りきれず
私がギターもまともに弾けもしないのに駄々をこねて作られたユニット
仕立屋本舗ととなるのはまた別の話。

そんなこんなで
また北上100万VOLTをもう1度やれるチャンスを作ってくれたのが
他でもない現メンバーのyosshyとカミである

2人がいなかったらきっと100万VOLTは動き出さなかったのだと思う

私が何度言ってもマサVOLTの心は頑なだった
彼に色々苦労させていた部分が多すぎた
もう立ち上がりたくないところまで疲労させていたのだと思う

しかし
2人の存在がマサVOLTの心をつき動かしたのだ
と私は勝手にそう解釈している

彼の作った夢に私は今も乗っかているだけだ
北上100万VOLTは彼の描いたひとつの夢
到底私には彼が描く夢の続きは分からない

今までだってそうなんだから
きっとこれからだってそうなのだ

マサVOLTという男は
予想もしない方へ転がっていく
いや、飛んでいく

出会った時から今でもそれは変わらない



そんな彼が作ったものが1つ区切りを迎えることとなった。

↑前文がLIVE前に書いては消しを繰り返したブログです。

北上100万VOLT終演を迎えました。









とにかく最高で最強な1日だった

各演者が各々最高の一瞬でLIVEしてくれて
あっという間にLIVEが終わってしまった

最高にみんなかっこよかった
かっこよすぎた

駆けつけて来てくれた人
楽しみにしてくれた人
見届けてくれた人

会いたい人達がたくさんいて
すごく嬉しかった

LIVE前に
カミとYosshyに
『好きに動け!後ろは任せろ』

そう言われてフロントにたつ
ボーカルとしての情熱が湧き上がった

ほんとに最高のLIVEだった

バンドとは
LIVEとは
もう少しあーしてたらこーしてたら

そんなの抜きで
単純にLIVEがすごく楽しかった

終わったあと
『ほんとにもうおわり?』

って聞いてくれる人がたくさんいて

北上100万VOLTがようやっと
ちゃんと人様に認知されたのだと
やっとケジメがつけれると少しホッとした


それもこれも
マサVOLTが必死で守り続けて
Yosshyとカミがいてくれたから
実現したのだとハッキリわかった

ほんとに感謝しても足りない。

音楽を1度魅せられた人間は
そう簡単には辞められないし
辞めてから音楽ができない辛さを
味わう時がくる

虚しく空っぽで
それを回避するのは難しい
埋められることは見つけらればいいが
底なし沼に突き落とされたようになる

私は1度音楽をやめて
音楽をする術がなく諦めて生きてきた

だけど
今はギターを弾いて
1人でも歌えるようになった

その術を教えてくれたのは
音楽を始められる環境を作ってくれたのは
他でもないバンマスのマサVOLT

だからバンドが終わってしまった今も 
音楽は続けられる

だけどね



やっぱりこのメンバーでできるのは
特別だった
ほんとに最高だった





絶対に忘れちゃいけなくて
絶対になくてはならなかったこと

みんながいてくれて北上100万VOLT走り続けれたんだよね

ほんとにみんなありがとう
みんな大切な仲間です

ほんとにありがとう


聞いててもう少しだけでいいから
最後までほんとにありがとう
今日のことずっと忘れないから
いつまでも忘れないでね


また願えば会える