こんにちは、レイです。


前回お話しした救急車で病院へと帰院した出来事から約3週間と少し、たちました。事実上の外出禁止を下されかなり暇を持て余した3週間でした。

体調も精神もあまり調子の良くない日が続いたこともあり普段なら作業療法に参加したり人と話して気晴らしそするのですがそれもかなりしんどくほとんどをベッドで生活をしていてすることといえばタブレットでYouTubeを見るでもなく見ている状況が続き、ようやく本を読むくらいの気力が出てきたのが先週くらいでした。


一番最近読んだのは多崎礼さんの煌夜祭。ズブズブのファンタジーなのですがよくある魔法だとか魔力だとかそう言うものはなく異世界物語といったところでしょうか。ですが世界観がしっかりと作り込まれていて政策の犠牲になった人やそれを取り巻く環境、それを救った人と救われた人がまた誰かを助けていく物語がとても面白くて読み入るのはすぐでした。デビュー作なのだそうですがそうとは思えない語彙力や表現力が圧倒的に高くこれから他の作品も読んでいきたいなと思うとても面白い作品でした。


完全回復とはいきませんが八月の重度の鬱状態から考えればすごく回復して頓服の不安時薬もほとんど飲まずに過ごすことができています。まだ、たまに理由のわからない不安やイライラが襲ってくることもありますがそれでも本当に元気になりました。それにはきっかけがあります。


それは母との通話です。私は電話が苦手で家族とも電話をなかなかしないのですが気分次第で電話を取ることもあります。自分勝手で申し訳ないのですがそれでもそれを理解してくれる母にとても感謝しています。そんな私にしつこくするでもなく、ですが根気よく数週間に一度かけてきてくれてそれをたまにとったりして電話を取ると何気ない会話をしてくれます。それが本当にありがたくて話すとなんとなく元気になるのです。わけもないモヤモヤは薬でしか解消できないと思っていましたが不思議なことに母と話すとそれがなくなることについ最近気づきました。何か嫌なことがあったとかそんなことを話をしたわけでもなくただ、今週はこうやって過ごした、とかこんなふうに思う、とかそんな他愛もない会話なのですがそれだけで本当に元気になれるのです。父や継父、友人と話してもそれはなく母だけが何故かそんな効果があって考えつく限りではただ育ててくれた母だからとしか言いようがありません。


最近のアニメソングで愛は薬。という曲を聞いていたことがありました。その時は何も思っていなかったのですが本当にそうなのかもしれないなと思い、やはり家族からの理解やそれを示す態度が精神疾患の一番の回復に繋がるのかなと思う今日この頃です。

私の実父はあまりそういうところには長けていません。病院という病院が嫌いで自分も滅多にいきませんし私を病院に連れていってくれることもなかなかありませんでした。今もやはり私が精神疾患だということをあまり理解してはくれません、以前に比べればかなり理解してくれたようには思いますがそれでも節々に理解のなさを感じるのです。そこに病気の根底はあるのかもしれないと思うほどで会うたびにこの人には理解してもらえないんだろうなと思う瞬間が1度は必ずあります。それでもやはり私は実父のことが好きですし会いたいとも思ってしまいます、これもやはり愛着障害の類なのだろうなと思いながらも何にでも病気を当てはめるべきではないという実父の考えもわかります。そうと思えばそうなってしまうゴーレム効果的な現象が起きてしまうような気もするのです、特に私はそういった傾向が強く生理になったことに気づくと途端に生理痛がひどくなったり痛いことをされる、と思うと気持ち悪くなったり鬱もそうです。診断されてからの生活はひどいもので悪化も一瞬でした。でもそれとは裏腹に名前さえついて仕舞えば自分のことを許せるような気がするのです。私は自己肯定感が低くなんでこんなこともできないんだと他と比較して自分がダメな人間だと思うことが多く自分のことがどんどん嫌いになっていくのですが名前がつけばそういうことだったのかとなんとなく許せる気がするのですそれは死んで良い理由づけに近しい考えですが時には人と関わる上で気が楽になったりもするので生きて良い理由でもあるという裏腹なものでその時の精神状態次第で考えが変わるのです。


ともかく人に認めてもらう。特に家族や自分が頼りにしている人からの理解は治療の大きな手掛かりになるのではないかなとより思った今日この頃でした。