こんにちは、レイです。
近頃は朝方は涼しくなってきて昼間のままのエアコンの温度設定では寒くて目が覚めてしまい畳んでおいた掛け布団をブランケットの上から被らないと二度寝ができないくらいになってきましたね。都心の方はそうでもないかもしれません
少なくとも愛知の山奥はそんな感じです、昼でも風が吹けば涼しくなってきて夕立もだんだんとおさまるのが早くなったりそれ自体がたいしたものではなくなってきました。
ところで何故こんなタイトルなのかと言いますと、予想できたかと思いますがそういった場面に直面したのです。
ここ最近は連日の天気の不安定さからメンタル面に支障が出ていて朝から不安時の頓服薬を服用してまた昼に服用し夕方は定期の精神科薬を服用、夜にまた頓服を服用して夜もうまく眠れず不眠時薬を飲む、というような調子でした。
体調自体もあまり良くなく頭痛や腰痛があったり子宮頸がんの精密検査で細胞をピンセットで無理やり引き抜くという検査をしたこともあり痛みがあちらこちらにあったりメンタルが落ちてくるとその痛みが倍増するので心身ともに満身創痍といったところでしたでしょうか。
その上最近、私の入院している病院はかなり忙しいようでどの病棟も満床で天気が荒れているせいかやはり患者さんたちも荒れているようでうちの病棟も例に漏れずかなり騒がしい状態が続いていました。独語のある人が同じ病室なのでその方の声で昼も夜も正直ゆっくりできませんし向かいの病室では発達障害の方が子供のような豪快な笑い声で笑うものですからイヤホンをしていても全く防げず、自分自身も廃れていてかなり耐え難い状況でした。それに加え先日の看護師の件もあり私はあまり看護師という役職の人と話す気になれず頓服薬をもらう時の最低限の会話しかしていませんでしたのでストレスは溜まる一方で寝ても疲れが取れた気がしませんでしたし、そもそも同室の方は夜もかなりの声量で独語をするので全く眠れない日も続いていました。限界で昼に眠ったとしてもほんの30分程度の睡眠しかとれず常に鬱状態、最悪でした。
そんな中私が休息を取れるのは院外しかなく、図書館へ行ったり駅の近くのスーパーへ行ってみたりしてそれとなく気分を紛らわせていました。
8月末、実父が遊びに連れ出してくれるとのことで私は喜んで承諾し病院側にも日程を伝え、外泊の許可をもったのです。
当日はあいにくの雨でしたが元々行く予定だったのは犬も連れて入れるドッグカフェ。問題はありませんでした。久しぶりの愛犬との再会で気分もかなり良く体調もかなり良く楽しく遊んでいました。併設のドッグランで人遊びしてから食事をしていると子供連れの家族が増えてきてカフェはだいぶ騒がしくなりました。子供の大きく高い声とそれに興奮して吠える犬の声とで聴覚過敏の私はかなり辛く、カフェを出ることに。やっとの思いで車まで戻り頓服薬を服用しなんとか落ち着くことができました。そのあとは生活消耗品の買い出しに病院近くのマックスバリューへ行き買い物を終えるとかなり時間が経っていてすでに夕方4時。
そろそろ私の家に帰ってゆっくりしようとなり予定より早かったですが体調のこともあり自宅へ向かいました。ですがその道中にポツポツとしていた雨がざーっという音に変わってひどい雨になり、私は心臓がバクバクと心拍数を上げて行くのを感じました。
走り出して10分ほど。信号で止まっていると空がピカっと一瞬の光を放ち数秒、ごろごろというよりバキバキッというような音に近い雷が鳴りました。
私はあらかじめ耳を塞いで布団を頭からかぶっていましたがそれでも聞こえる轟音で息が上がり心拍数が一気に跳ね上がり頭が真っ白になり落ち着こうなどという考えは全く浮かんでこず息をするのに必死になりいつの間にか私は過呼吸を起こして実父もそれにパニック状態で何処かで止まろうにもかなりの渋滞でしたし止まったところで雷が鳴っている状況は変わりません。20分ほどで家につきましたが私は呼吸をすることに精一杯で実父がシートベルトを外しにきて初めて家に着いたことがわかりました。実父の再婚相手は運転席で誰かと電話をしながら実父ど話しています。少しして紙袋顔に当てられようやく呼吸を整えることができました。30分ほど過呼吸を起こしていたでしょうか、鼻はぐしょぐしょで額は汗でじんわりとして産毛を濡らしていました。
落ち着いた頃には雷も雨もおさまっており実父に支えられながら自宅まで4階分の階段を登りなんとか帰宅することができすぐに横になりました。実父たちは病院に帰ったほうが良いのではと話していましたが私は今日こそゆっくり眠りたいという思いから大丈夫。と伝えました。
とにかく落ち着いたから夕方の精神薬もあるし頓服もまだあるし過呼吸の対処はできるからと説得をしてシャワーを浴び夜ご飯を出前してもらい、その日はそれ以降何事もなく過ごすことができて夜もよく眠ることができ次の日は気だるさが残っていましたがそれでも久しぶりにゆっくりと眠ることができたからか頭痛はありませんでした。
実父達は夕方から用事があるので午前中早めに帰る予定だったので私は夕方まで少し駅近くをぶらついて病院までのシャトルバスで帰ることにしました。
実父達に駅まで送ってもらい手を振りまた来月会いにくるという約束で別れて帰っていくのを見送ると私は本屋に行ったり服屋さんをウィンドウショッピングして周り、お昼はファストフードを食べようかな。などと考えて歩いていると自宅に忘れ物をしたことに気づき私は一度帰ってゆっくりしてからタクシーで病院へ戻ることにしようと思い自宅へ帰りました。
そして自宅へ帰ると先ほどまで3人と一匹で賑やかにしていた部屋がひとりぼっちだとすごく静かで寂しいことに気づき鬱っぽさが戻ってきてしまい、今思えばその時点で頓服薬を飲めばよかったのですが私は薬のことなど忘れてなんとなく懐かしいその鬱っぽさに浸ってしまったのです。
浸るという言葉であっているかはわからないのですが他に思いつく言葉がありません。病院にいても鬱っぽさを感じる日ももちろんあるのですが薬を飲んだり本を読んだり作業療法をしたりして誤魔化しようがあって鬱だなという自覚を持ってそれに対処した動きをするので考え事をしながらも浸るほどすることがないことはないのです。ですが家に帰るとどうでしょう。何をするでもなくただ鬱と向き合ってああこんな感じだったな。こんなふうに考えて死にたいななんて考えていたなと思ってしまうのです。これは浸っているという言葉が一番当てはまっているのではないかと私は思います。
とにかく私は自宅で1人の状態で鬱状態に陥ってしまったのです。それがいかに危険かというと
入院してから避け続けていた状況で退院後もその状況にならないためにグループホームを探しているほどです。そして私が自称行為をしてきたのは自宅でそれを止めてくれる人はそこにはいなかったのです。そのためどんどんと鬱のループに入って結果自殺を図ったのですから今までの治療が全て無意味になる可能性のある状況でした。
いっときの感情だとしても死にたいと思えばそれ以外に考えが浮かばなくなってしまうため薬を飲むなんてことはもちろん考えの外です。私はいつの間にか腕を切ってベッドに倒れ込んでいました。どれくらい鬱に浸ってどれくらい腕を切ったのか、たった時間も分かりませんでしたが部屋は真っ暗でした。ずっと何も食べず飲まず、暑い部屋で涙なのか汗なのかわからない雫を拭ったタオルが血に染まるのを見てやっと意識がはっきりしました。
スマホを見ると病院からの不在着信が何件かと母からのラインがあり時間は19時でした。私が病院に帰ると伝えていた時間は16時、3時間も過ぎています。
私がもらっていたのは昼間での内科薬と不安時の頓服薬、ですがその頓服も前日に飲み切っていて沈んだ気持ちをどうにかする薬は持ち合わせていませんでした。病院には折り返して体調が悪いから帰れそうにないと伝えるとタクシーに乗るのも難しいのかと言われましたが私はこんな状態で乗るのは迷惑極まりないが手当てをする道具も気力もありませんでしたので無理だと伝えると電話の向こうで責任者に電話する声が聞こえ、その場の看護師同士で明日帰棟にして、、薬はもう自己責任だもんね。。という声も聞こえました。そして今度は受話器を顔に当ててすぐ近くで明日できるだけ早くに帰ってくるように。と看護師は言いました。本当に身勝手で自己中心的な考えではありますがそんなことで片付くような状態なんだろうか、薬がないのは自己責任。そう言っても精神科薬をそんなふうに言って良いものなのか。どうしても帰ってこれないなら今から誰かをよこす。そうなることをどこかで期待してしまっていたのだとおもいます。
こんなことを言ってしまったらもっと無責任だと思われるでしょうが母は昔から姉ばかりを見ていて私を見てくれていなかったという思いがあり、きっと誰かに見てほしいという感情が根底にあるのかもしれません。
間違いのないようにお伝えをしたいので今の私の考えを先に言いますと、その時の看護師の対応は致し方なかったと思います。言い方を変えると至極当然の判断だった。ということです。その時間はすでに夜勤帯でしたので各病棟に二名の看護師と全館を見回る主任が数人、そして急患を見る先生が1人。という体制でとても誰かが、外出のルールを守らなかった一患者を迎えに来る。という対応は行き過ぎています。いくらその人が希死念慮が高く自殺未遂で入院したという経緯があってもです。ましてや電話をしてきてかつ会話ができてるのですからタクシーを呼んで帰ってくることもできると判断するのが当たり前ですしでて行った時は親族がついていたのですから責任を持って帰りも連れて帰ってくるというのがマナーですからそれをしなかったのはあきらかにこちらの責任です。
そして電話を終えた後は私はとにかく鬱が辛く寝て時間を過ごそうと思い自宅にあった睡眠改善薬を多量摂取しました。この考えもやはり入院する前の考えでオーバードーズをすることで意識を混濁させてまともな考えは捨て去って辛い思いを傍に追いやるということをしょっちゅうしていました。その時の残りの薬です。ですが入院している間にも私の睡眠薬は増えていてあくまで睡眠改善薬という市販の薬では眠れるはずもなくただ意識が朦朧として辛い思いだけが残りそれを紛らわす自称行為の痛みがわからなくなって余計に傷が増えただけでした。
いつの間にか過呼吸になっていることに気づきこのまま死ねたら良いのにと思いましたがそんなことで死ねないのもわかっていました。ですがその時母からラインが届きました。
愛犬(名前)と会えて楽しかったかな〜?来月はママのところに来てね迎えに行くからね
と、私は生きないと。と思いました。このままだと死のうとしてしまう。いつ意を決してベランダから飛び降りるかも分からないと思い必死にスマホに手を伸ばし救急車を呼ぼうとしました。ですが救急車でなくてはいけないか。かろうじて歩くことも会話もできる。けどこれは頭の中の考えかもしれない。もしかしたら話せないかも。けど呼んでもこんなの全部自分のせいなのにと思うと119という番号はなかなか押せませんでした。心のダイヤルにかけるか。けどそんなものかかった試しがありませんでしたし他のサイトも同じでした。
そこで私はいつか知った#7119 という番号にかけることにしました。それはXで後輩がポストしていたのですが、祖父がいつものように酔い潰れていたのだがどうも様子がおかしいが119をするべきか分からずその判断をしてもらうために#7119 にかけて判断してもらったというものでした。
#7119
電話はすぐにつながりました。「どうされましたか?」 私は今の状態を説明しようとしましたが過呼吸でまともに喋れずやはりあれは頭の中の考えだったんだとすぐに分かりました。「ゆっくりと息はできますか?その症状は初めてですか?」次々と質問されたように思いますがもちろん答えられません。息をまともにできずに声を出せても吐くいきに言葉のかけらを混ぜることしかできませんでした。
『すぐに119してください。こちらからかけることはできませんので、大丈夫ですか、かけられますか?』
その言葉を聞いて私は決心がつき痺れた頭が体を動かす信号を送る数秒電話を繋げたまま電話のキーを表示してからかけられますと吐息でいうと電話を切り119しました。
その後のことはほとんど覚えていませんが119でも同じように救急隊からの質問に吐息で答え気がつくと私は救急車に乗っていました。正直、緊急連絡先には連絡してほしくない。さっきのラインの内容からして母は私が病院に帰っていないことを知らない。このまま何もなかったように振る舞いたいと思いましたが
体は勝手に動き、スマートフォンに以前登録しておいたメディカルIDを救急隊に見せました。これで少なくとも自分の名前や血液型、飲んでいる薬や主治医がわかります。そうなれば私が搬送される先の病院には私のカルテがありますので私の緊急連絡先も記録されているはずです。
また母を悲しませてしまう。そう思い行きも絶え絶えに自分で話すから母には連絡しないでくれと訴えましたがそれは無理な話です。病院につくと採血と点滴をして急患の先生がカルテを見て母へと連絡が行き諸々の説明がされました。すぐに入院している病院にも連絡が行き救急車で移送をしてもらい自分のベッドに移された時にはもう陽が登っていて時間を見ると朝の5時でした。
その後はODした薬が抜けるまではいつもの薬も頓服薬も飲めず過呼吸や鬱との戦いで拘束こそありませんが個室に鬱されポータブルトイレを横に置き部屋の扉が閉められました。次の日までふらつきや吐き気が残りましたがその日の夜には薬が飲めるようになり鬱が少しマシになり眠ることもできました。
看護師たちはいつも通り接してくれて何があったかなどは一切聞いてくることはなく私も話す気にはならなかったので都合がよく二日後にはいつも通りの部屋へと戻り入浴もさせてもらえました。
その次の日は診察でその時は流石に話さなければならなかったので事情を話し私の外出はしばらく禁止となりました。当然の結果でしたが救急車で搬送してもらい帰ってきたので私はスマホしか持っておらず充電器もなく服もボロボロで靴も救急隊の方が選んで持ってきてもらったものでそれはゴミ捨ての時に使っていた泥だらけで(その時には血だらけにもなってしまっていましたが)病院内だけとはいえとても恥ずかしかったですし充電が切れた後は暇つぶしも連絡もできないのでかなり退屈でした。
後日看護師が充電器を貸してくれてようやく母と連絡が取れると思いラインを見たら「1人で寂しかったね辛かったね、大好きだよ。ずっと抱きしめてあげたい」とだけきていました。不在着信はありませんでした。もう帰っておいでとかそんな言葉もありませんでした。ですがそこにとても愛を感じて涙が止まりませんでした。母は私が実家に帰りたくないと言っていることには何も言わずにいてくれているのです。本当は帰っておいでと言いたいはずですし電話もかけたかったと思います。けど電話をして私の負担になってはいけないと我慢してくれたのだと思います。
きっと今私のことを一番理解してくれるのは母です、それでも私が母を頼れないのは私を育ててくれたのが母だからです。母は私と同じように自分のことを責める癖があります。母は今でも自責の念を抱いているのに私がもし頼ってその先でも同じことをしてしまったり私が実家から離れてからどんな考えでどんなふうになっていったか話せばもっと自分を責めると思います。
母には十分愛をもらっています。もちろん母のことは大好きですし会いたいです。けそそれと同じくらい自分が嫌いでその部分を母には見せたくないのです。
この先もきっと悩んでいくことだと思います。しばらくひどい鬱っぽさがなかった時はもう私は回復したんだと思っていました。でもほんのちょっとのきっかけでこんなふうに元どうりになってしまう自分にはすごく失望しましたしこれからの未来により絶望もしました。
鬱とどう向き合えばいいのか。闘病3年目、まだまだ分からない日々です。
