バンクーバーは深夜3時前。
仕事が終わって、職場でお酒を飲んで、語り帰っては今、お家でのんびりしているところです
最近ようやく掛け持ちしているお仕事の時間繰りも落ち着いてきて、英語でのやりとりも慣れて、日々、楽しく過ごせています
オーストラリアの時のように、「仕事、仕事、仕事!!!」とはならず。
時間を作って、料理したり、人と会ったり、英語の勉強をしてみたり、ギターを弾いて歌を歌ったり。
今まで、やりたくても時間がなくて&お金がなくて出来なかったこと、やりたくなくて避けてきたことに対して、やっと、やっと、向き合えている気がします
最近、特に思うのは、やっぱり「人」だなぁ、と。
そばにいる人、関わる人、好きになる人、キライになる人。
やっぱり、そこかなぁーーー、と。
やってることは変わりません。
仕事では、ずっと調理をしています。
プライベートでは、歌ったり、料理したり、人と会ったり、飲んだくれたり。
未だ見ぬ土地に憧れて、フイに消えてみたくなったり。
でも、それじゃあな、ってなって、しばらくまた同じとこに留まってみたり。
そう、どこにいても変わらない。
自分の選ぶことは、そうそう簡単に変わらない。
それが自分というもの、なんだなーって、これだけアチコチを転々としつつ、ほとほとと実感しています
笑
ただね、でもね、
どこにいても違うこと。
それは、
そこの場で”出逢えるひとたち”、ということ。
実家・熊本から福岡、ピースボート、沖縄と、フラフラと日本をさまよって、結局東京に移って5年とか。
社会に出てからというもの、ウエイトレス、アクセ販売、工場、引っ越し、試験員、テレオペ、調理、デモンストレーター、OA事務、スナック、とか、いろいろやって。
やっと出逢った”天職”で、私は今プロを目指してる。
遅いですよ、この歳で料理人になろう、なんて。
遅すぎますよ、1から初めて、誰かに追いつこうなんて。
んでもって、わかってますよ、そんなことは。
言う人は言うでしょう。
「簡単にちょこちょこ仕事変えて」って。
「忍耐力がなさすぎる」
「最近の若いものは嫌だと思ったらすぐに辞めて根性がない」
これは実際に、同い年の友達から聞いたセリフでもあります。
でも、その言葉を発する人たちの生活を見ていると、なんだか違和感を覚えることが多い。
うまく言えないけど…んーーーーー
「耐えてる」
って感じか


それも、ただ、”耐えてる”。
うん、”ただ耐えてる”!
…って、そのまんまの意味なんだけど、伝わりますか??笑
職場に大事なことって、そういうことかな?
もしそうなら、そういう性質のひとが、一番に幸せになる世の中になっていなければいけないんじゃないかな??
んーーーーーー、
なんか、違うくないかなーーーーぁ。
とかなーーーぁ。
思っちゃうんだよなーーーーぁ(∩´ω`∩)笑
とかく、あたしが今回言いたいことと言えば、場所は変われど、自分は変わらんものでありまして。
それを職場のせいにしたり、ひとのせいにしたりするのはただの責任転嫁で、何の利益にもならないものでありまして。
処を変えることは、時に必須で、時に傲慢なものであって。
ただ、移り変わってみた時に、気付けるものは多かれ少なかれあるんよな、と。
そうやって私は、何度、処を変えて来たことでしょう
笑
でも結果。
私は今、とても幸せなのです


人間関係。
面倒くさいことも多々ある。
も、っていうか、大半が面倒くさいことが大半だな
笑
だって、関われば、1人でいれば知らずに済んだ感情を自ずと知らされることになる
ハッキリ言って、そういうのを1つ1つ想像するのって、めっちゃ骨が折れるし人によってはやってられなかったりします。笑
だけどねーーー
立ち向かわないと
出逢えるものにも出逢えないよねーーーー
こんなに気持ちが穏やかになってきた今でも、なんだかんだ言って昼夜掛け持ちしながら週6で働けてるのは、そのお陰でしょう??
それでも、私は幸せを感じれている事実がココにあるし
だから、さ、やっぱ、
”拘束時間”じゃないよね。
すべては
人
だよね
良き人と出逢えると、とっても癒されるのです
優しい人と出逢えると、とっても優しく慣れるのです

それに気付ける自分になりたいし。
それに影響される自分がどれだけの者かも知っていたいと思います
もがいたカナダ、やっと今4ヶ月が経とうとしてる。
やっとやっと、スタートラインに立ってる気がする。
こんな気持ちも、何度となく繰り返してきたな。
どこに住んだって、移ったって、嫌な目に遭ったって、大切な誰かと別れたって。
泣きながらだって思ってたコト。
優しく生きよう。
優しく生きよう。
悲しみを誤魔化すように、言い聞かせてきた言葉だった。
優しく生きよう。
優しく生きよう。
今、幸せ。
それでだから、
もっと優しく生きようって思う