同時多発テロから9年が経ちました。

あんな悲しみは二度と繰り返されてはならない。

犠牲者となってしまった多くの人々に、お悔やみとわずかながらの黙祷を捧げます。






アメリカでは今、イスラム教がユダヤ教と同じくらいの勢力をつけてきているらしい。


『イスラムがいよいよ戦争を仕掛けた』
『無差別大量殺人なる非道な行いだ』

2001年9月11日。
テレビから流れてきたそのNEWSは、衝撃的な映像とともに大きな悲しみと怒りを伝えていた。


月日が経つに連れ、多発テロを題材にした映画や本が作られ。

当時とはまた違う新しい目で、多発テロのコトを認識した。


そのうち、

『あれはアメリカが有利に立つための自身で作った自作自演だ』
『現にブッシュは前持って避難していた』

なんて噂が立ち始めた。

アメリカが自国より弱い国を相手に戦争をするキッカケを作りたかったがために。

ってコトだよね。




あたしが乗った第55回ピースボートでは、平和活動家としてパレスチナ人とイスラエル人の水先案内人がそれぞれ乗っていた。

こないだ林間学校のブログでも紹介したんだけど、地球大学っていう、地球上で起こっている問題を学べるプログラムがあって。

沖縄の基地問題とか、あたしは受けれなくって内容はくわしく知らないんだけどハワイの問題とか(湾岸戦争の件かな?)が学べるのだよ。


その中で個人的にインパクトが一番強かったのが、パレスチナ・イスラエルの問題。

ここでさっきの、2人の水先案内人が登場する。


あたしは船に乗るまでパレスチナの難民問題を知らなかった。
もう本当に、まっさらさらの情報誌皆無。

そんな頭のないあたしが、カンタンにこの問題を説明すると…



まず、パレスチナ人が自国に住んでいる。

そこに、ある日突然死イスラエル人がやってきて『ココは我らの聖地である』と言ってパレスチナ人を国から追放してしまう。

でも実は、イスラエル人も他国により祖国を失った人々。

争いに敗れたユダヤ人に、イギリスが『パレスチナ使っていいよ!』って約束をした。

でも実はこの約束は3枚舌外交で、自分たちが戦争で有利になるための嘘っぱち。

それを信じたユダヤ人たちがパレスチナに移動してきたのさ。

そこは、イスラエル人にとって正しく『やっと手に入れた聖地』だったから。

でも、パレスチナ人にはそんなコトは関係ない。

なのに祖国を追われるコトになったパレスチナ人たちは、難民キャンプと呼ばれる、実際に行ってみると実はそこそこ立派である町で生活をしながら、いつか必ず、と、祖国に帰る日を夢見ているのさ。


そんな因縁から今もなお歪み合うイスラエル・パレスチナの人々。

ちなみにイスラエルのバックにはアメリカがついているため、力の差は説明せずとも歴然としている。

パレスチナはイスラエルが作った難民キャンプっていうオリの中で、一生を過ごさないといけないのよ。


そんな互いの、平和活動家が同じ船に。

何の因果、因縁か。
やっぱり船内でも2人の言い争いは絶えなかった。



4年前、船のツアーで実際にパレスチナの難民キャンプに行くコトが出来た。

ツアーでは若者たちと交流する時間が持たれて、バスケをするか、ゲームをするか、ディスカッションするか選べて。

うちはなんとなく、ディスカッションにした。

20人のくらいが輪になって、現地の16歳の男の子たちと話をした。

そしたらさ、そのコたち、うちらにこう言うんだよ。


『わたしたちの環境をどう思いますか?』

『どうしてココに来ようと思ったのですか?』

『あなたの国はどんな国ですか?』


質問が通訳された後、少しの沈黙を経て輪の中の誰かしらが何かしらを答えていた。

初めての状況に、不安気な空気を漂わせながら。


そんな中、こんな質問が飛んできた。

『日本はとても豊かな国。自立をし、アメリカと対峙する力だってあるハズです。』

『なのにどうして、わたしたち難民に対して何もしてくれないのですか?』

『もっと訴えることは出来ないのですか?』


…言葉が出なかった。

うまく答えられなかった、とか、そんなんじゃない。


考えたコトがなかったんだ。

そして、知ろうとしたコトもなかった。


結局、誰一人として答えられないままディスカッションは終わった。

あたしはすぐそこにいる、16歳の少年と目を合わせるコトが出来なかった。




船に乗っていたパレスチナ人の平和活動家の講座を、そのツアーの夜に聞いた。

その中で、同時多発テロについて触れていたんだけど。

あれって、パレスチナ人がアメリカに報復や威力を示すために仕掛けた、とあたしは解釈しているんだけど、あっているかね??


自殺行為だよね。
機体ごと突っ込むなんて。
特攻隊みたい。

その行動について、パレスチナ人平和活動家は言ったんだ。


『尊敬している』

と。



目が点。

んんん( ´ ▽ ` )ノ??

…ってか、何なにナニ??





あんだけの大事件。

あんだけ街を壊しといて。

あんだけ人を殺しといて。

あんだけ希望を奪っといて。

…『尊敬』なんて…


彼は続けた。

『祖国を取り返すため、守るためにやったことだ。自身の命を投げ打つことの出来る意志は、尊敬に値するものだ。アメリカに警告をしたのだ。』

そして、

『祖国のためとは言え、自分には出来ないことだ。』

『もちろん、そのやり方が正解ではない。むしろ悲しみの引き金を引いたと思っている。』

と続けた。



あたしは妙に納得させられていた。

その講座に、イスラエルとパレスチナの、両当事者の想いを垣間見た。


知れば知るほど、深みにハマっていくイスラエル・パレスチナ問題。

解決策を見いだす術が、今もなお見つからないまま。


でも、見つかると思う。

15年前まで、黒人と白人を区別・差別した南アフリカのアパルトヘイトと、少しだけ似ているんだ。

今、南アフリカは自由への一歩を踏み出している。


イスラエル・パレスチナだって、きっと。



その想いを今もなお信じさせていてくれるのは、船に乗っていた2人の平和活動家。

船に乗らなければ決して交わるコトのなかった2国の想いは。

下船後に徴兵制度に参加するハズだった、イスラエル側の平和活動家の、

『徴兵拒否宣言』

によって、少しだけ近づくコトになる。


徴兵を拒否することは、捕まってしまう可能性があることを意味する。

命をかけた、人生をかけた決断。


そうやって船を降りて4年。

彼がどうなったか、あたしは知らない。

パレスチナの平和活動家の後動も、あたしは知らない。


ただ一つ確かなコトは、あの日たくさんの犠牲が生まれたというコト。

そのあの日から、9年の月日が流れたというコト。



その裏に隠された真実と。

正義と事情と現状とを。


あたしが伝えなきゃ、だれが伝えるのさ。



こんにち、イスラム教徒の増加するアメリカで、グラウンド・ゼロにイスラム教のモスクを建てようという動きが出てきているらしい。

それに対する反対活動が加速していて、っていうNEWSをさっき観た。


悲しみは弧を書いて飛び回る。

粉をまいて飛び火する。

誰かが誰かをののしって支配して。

誰かが誰かを信じて従っている。


これは本当だから。

リアルタイムな問題だから。


あたしはまだまだ考えてくよ。






2010.9.11

祈りを込めて。



最後まで読んでくれてありがとう。