労基署は、残業管理、勤怠管理などの

実態調査のタレコミを元に調査をする。

ただ、日々寄せられるタレコミが多くあるので

会社を厳選して、労基署は調査に入る。


そこで、タレコミがあった旨は伝えられる。

変わってる性格だと思う。

小学6年の頃は、ランドセルという謎の統一リュック

で通学してることに、飽き飽きしていた。


学校は面白くないし、めんどくさい、くらいに

思っていた。


忍耐力とかはそういうところで培われてる部分は

あるのかもしれない。


中学生の時に、50mしか変わらん距離で、

自分が徒歩、友人は自転車が理不尽だと思っていた。


だから自転車で行っても良いだろうと、

自転車で通学して、駐輪場ではなく

近くの公民館に停めていたら、近隣住民に

連絡されていて、

先生に呼び出された。


その時、卑怯な人間になるな。

と言われて、物凄く違和感を感じた。


これが、卑怯なのか。みたいな。

私にすれば勝手な大人のルールで

理不尽な思いをして、損をしている。

ぐらいの感覚だったのに。


社会はめんどくさい。


信用だの、信頼だの、

それはお前たちが

人を信用してないからだろうが。

って思ってたけど、


自らの適当な行動によって

社会からの信用を失墜させ

自らの居場所を失う行為であることを理解した。

それは流石に私も嫌だった。


私は基本的に倫理観とかコンプライアンス意識

が薄いと思う。


なんでかと言うと、

法律とか、規範より、

目の前に対峙している相手の状況とかで、

相手の気持ちに寄り添って、優先してしまうから

だと思うし、逆も然りで、ルールよりも

自分の感情を優先して行動するから。


けど、これによって社会ではいつも痛い目を

見てきた。


裏切られたこともあるし、

社会的な信用を失墜したこともある。

けど、私にとっては社会のルールの方が

どうでもよくて、相手の気持ちが一番大事だったんだと思う。


私はそれによって、相手に翻弄されていることが多い。


自覚もあるし、やっぱりしんどくなるから

少しはそれを改善してきたつもりだ。


けど、社会ではそれが物凄く邪魔になる。


正直、ルールなんてどーでもいいし、

相手がいいと思うことができたら一番いい。


でも、みんなで生きてる世の中では

それだと、嫌な思いをする人も多い。


だから、私は平等になるしかないから

ルールを守らないといけない。


こういう信念はあると思う。


けど、目の前の人間が困っていた時は、

多分それは無くなって、その人を助けるために

動くだろうと思う。


だから、世の中はめんどくさい。

みんな、わがままなくせに、っていつも思ってる。


おかしな決め事が多すぎる。

自分の利益になるルールばっかつくってるくせに


相手のことなんかなんも考えてないくせに

自己中な考え方のくせに、

大義名分を片手に、自分はみんなのために

考えてる人間ですよ。ってアピールしてて

馬鹿みたいだなと思う。


そもそも人間なんて、神様でもなく

生物であるからそれ以上なんてない。


みんな敵だし、仲間をつくらないと

生きてけないから、仲間を装って、迎合するだけ。


私はそんな人間の生き方に辟易としてきた。


そんなんどうでもいいから

楽しくしたいねん。

ただそれだけやねん。と。


結論、私みたいな人間は、

迷惑かけないでおこうと思ったら、

あまり、人と関わりすぎないこと。になる。

寂しがりのくせに、矛盾と戦わないといけなくなる。


私の場合、人との境界線がすごく曖昧であるが故に

好きな人はだいたいベタベタしてしまう。

甘えれる人は大好きだと思う。


だから私の場合、甘えさせてくれるのに、

律してくれる人が凄く安心する。

こんなタイプの人間なんだから

人付き合いが難しいのはわかる。


けど、みんなが幸せであって欲しいとは

願っていて、そうなることはほんとに私の喜びだ。


世界は自由であって、平等であってほしい。

個人は自分の個性を主張してもお互い認め合える

社会がいい。バイアスはなくしたい。


こんな人間が真面目であろうとすることは

なかなか難しいのだ。


適当という名の柔軟で自由な会社を組織したい。

今の社会の概念を覆すような!


ゆるい社会になってほしいですね。


私の生来の性格のだらだら、ゆるゆるさ

が大人になっても容認される社会にねー。


今日から、ブログを書いていきたい。

自分の考えや想いを整理する意味でも書くことは大事だと思うからだ。

 

2年間働いた、会社を退職した。

 

自分とはなんだろうかと、自分のアイデンティティとは何だろうと

会社に理想を追い求めてはいけないのだと思う。

 

私は地に足がついていない。

 

2年間は家を顧みずに働いた。家族には心配をかけていると思う。

迷惑もかけた。精一杯振り切って生きた結果、こうなった。

 

両親にはあとで、必ず恩返しを…みたいな感覚でいた。

いつだよっていう。

それが地に足ついていないっていうことなんだよって。

 

前職では、自分がこの会社で生きていくことが嫌になった。それで病んだ。

自分には信頼できる人もいなければ、何を目標にこの職場でやってけばいいのか

孤独に戦ってすぐ嫌になった。それに戦い抜けなかったのは、やっぱり仲間だと思う。

 

でも、必ずしもいい仲間に恵まれるわけではないから、

やっぱり仕事は自分がしたいことや、好きなことを追求することが大事だと思った。

 

私は今の社会に問題意識を常に持っている子供だったと思う。

だから、複雑に絡み合った利害関係や、制度の問題を理解したいという気持ちが強かった。

 

それを理解することが、大事な人たちを守ることになると思っていた。

正義感が強いと思う。

 

どう生きて生きたいですかって問われたときに、自由に生きたいですと答えたい。

 

海外に自由に生きたいです。それを大事な人たちと共有していきたいです。

私にとって大事な人は、家族です。それを今になって重々理解し始めています。

 

お金を散財することは精神を削ることな気がするし、それが幸せではない気がする。

自分の価値観を変化させて生きていきたいし、地に足ついて経験を積んでいきたい。

 

そんな感じ、