先月から福祉支援の機関で働かせていただいてるが、働き始めてはや一ヶ月が経った。
働き始めて思うのが、驚きの連続で心の瞬きが止まらない。
視野やモノの尺度が桁外れに違うのだ。
僕はいわゆる「ゆとり世代」で、生い立ちもあまり心の豊かな生活を送れずひねくれた性格ではあるけれど、それでもいい歳にはなってきたこともあるので、できるだけ視野を広く頭ごなしに自分の尺度で批判するようなことは無いようにと努力はしている。
現代の若者はテレビを観ない。
これは自分も当てはまっている。映画鑑賞が趣味で、専らテレビは映画用みたいになってるし、民放各局を視聴するのは天気予報と、寝ている時間に予約録画しておいたディープな深夜番組くらいだ。
「テレビは偏向報道!」
確かにここ最近のニュースは、正直、政権交代前のソレみたいな雰囲気で嫌気がさす。
だからと言ってネットはどうかというとこれまたメディア各局とは別の偏り方をしている。
政治的な話はそれなりに好きではあるけれど、現代社会は情報過多故に、自分の中でバランスを見極めながら観察しなきゃいけない。
と、メディアの話はこれくらいにしておいて、人とコミュニケーションを育むのに大事な事は、「時事ネタ」だ。
その人がどんな人でどんな嗜好なのかはコミュニケーションを重ねないとわからない。
いきなり「魔人ブウを倒すために自爆したベジータの場面は名場面ですよね!」なんて言っても相手は引く。
もし自分がいきなりそんなこと言われたら、ドラゴンボール大好きな僕でもさすがに「え、えぇ…」とドン引きしてしまう。印象は「コイツ頭飛んでるのか?」だ。
世間話をして、相手の見解、自分の見解、ベターである。
今日驚いてしまったのは、時事ネタがどうでもよくて興味が無いと言われた事。
頭の中で落雷が鳴り響いた。言葉が出なかった。
世間話はコミュニケーション・ツールのひとつではあるけれど、社会に出ればこのツール無しに人間関係の構築は難を極めるのじゃないだろうか。
好きなことだけしていたい。
好きなことしか視聴したくない。
これは万人が少なからず思っている。
ただ、好きなことをするには少々の我慢や努力が必要になる。
至極簡単、お金を稼ぐ事だ。
もし僕が床に寝そべって駄々をこねたら、通報される案件である。
まだ一ヶ月しか経っていないけれど、これは何度目の落雷か。
自分の視野も尺度も、相手にとっては明後日を向いていると毎回思い知らされる。
人はこれを「世間知らず」と言うだろうか。
もしくは「無垢」と言うだろうか。
自分が取り残されているように思える。