ご無沙汰しております。
これから書くことは自分勝手なブログです。
興味のない方は、スルーしてください
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5月2日に義父が亡くなりました。
もともと大腸ガンを患い、摘出手術を受けたのですが、リンパに転移がありました。
でも、高齢だったので、それから3年経って、最近になって、呼吸が辛くなり、自宅でも酸素吸入をしてました。
病院に入院して、身体を調べてもらったところ、肺に転移がみられるため、水が溜まっていて息がしにくくなっているのだとわかりました。
でもそれから1年弱ぐらいなんとか頑張って病院に通いながら、過ごしていました。
でも、だんだん苦しさが増してきて、とうとう歩けなくなり、自ら入院したいと主人に言ってきて、入院しました。
義母と一緒に入院した次の日、お見舞いに行ったら、義父は2日もご飯食べてないし、水も飲めない( *`ω´)
と、怒っていました(笑)
うがいをしてあげて、貴重品のある場所や、何がどこにあるからと、説明して、義父はわかったよと!
その時主治医の先生に義母と呼ばれました。
先生は肺の写真を見せてくれました。
一ヶ月前に撮ったものと比較してみると、真っ白になっていました。
一ヶ月でこんなに真っ白になるものかと、驚きましたが、先生もうーんと、かなりの重症な肺炎にかかっていますと。
万が一のことがあるかもしれないので、聞いておきますが、延命処置はしますかと?
えっ?
もうそんな状態なの?
義母も不安な顔をして私を見ました。
えっと、そんなに悪いんですか?
いや、なんせ高齢なんでね。と。
義父は82歳でした。
肺にも転移が見られますし、かなり呼吸が苦しいと思います。延命処置はできますが、挿管して酸素を入れますが、意識があると、お父さんの呼吸と機械の酸素を送るタイミングとが合わないと、とても苦しい思いをされます。
挿管は10日ぐらいしかできないので、気管が破れてしまうらしいです。あとは気管切開して直接管を入れることになります。そうすると声が出なくなります。
挿管して辛いので、辛くないように、意識を無くすお薬を入れることができるのですが、そのまま心不全を起こして亡くなることもあります。
結局良くなる方法がないということでした。
あとは延命をして、苦しい思いをさせるか、延命をしないで、自然に逝かせるかと。私と義母では決められないので、主人と相談して明日お返事をしますと、言いました。
病室に戻ると、義父は先生とのお話を気にしていたので、肺にお水が溜まっているから、それをもう少し元気になったら、抜くからねと、嘘をつきました。
そして、また来るからね。と・・・
これが最後の会話になりました。
その日の日付が変わる頃、病院から電話があり、すぐに来てくださいと。危険な状態です。延命処置ですが、しますかと?主人に聞いてきたようで、主人はしなくていいですと答えてました。
すぐに病院に行くと、看護師さんがこちらにどうぞと。
個室に入ると、酸素マスクを付けた義父がベッドに寝ていました。
私は酸素マスクをしていたので、なんとか息を吹き返したのだと安堵していたら、看護師さんが、どうぞ、近くへ行ってあげてください。お父様亡くなられています。
ご家族様が来られないと、死亡確認ができないんです。
今先生を呼んできますね。
・・・
亡くなった?
えっ、だって昼間は喋ってたし、ご飯やお水を欲していたのに。
先生が来て、死亡確認をして、ご臨終ですと。
夜の19時頃、お父様が怒号をあげてベッドから起き上がり、暴れたそうです。多分苦しかったのだと思います。酸素マスクもつけたら払いのけたりと、看護師ではどうにもならず、落ち着く薬を投与しました。
その後落ち着いて眠りにつきましたので、大丈夫だと思い、ご連絡はしませんでした。
夜中急変して、血圧が急に下がりだしたので、ご連絡をしました。
電話を切った後、直ぐに亡くなりました。
義母は泣いていました。
私も何が何だかで涙が出ました。
主人は信じられないようで、義父のほっぺたをペタペタと叩いたり、身体を揺すったりして、なんだよ、起きろよと言っていました。
あまりにも急すぎて、全員が死を受け入れられない状態でした。
それでも病院側は、ご遺体なんですが、ご葬儀の場所やお寺さんは決まったところがありますかと?もし無かったら、近くの葬儀屋さんに連絡してみましょうかと。
言われるがままに、自宅の近くの葬儀屋さんに連絡をしていただいて、お迎えに来てもらうことになりました。
そして看護師さんが死化粧をしてくれて、葬儀屋さんの車で向かいました。
葬儀屋さんの和室に寝かされた義父を見て、母が亡くなった時を思い出しました。
あーお義父さん亡くなったんだ。
と初めてそこで思いました。
お義父さんは、家で相当我慢していたのだと思うと、涙が止まりませんでした。
頑固で家にいたい人だったので、もうダメだと自分が悟った時に、主人に入院したいと言ったのだと。
ゴールデンウィーク中で、火葬場が混んでることで、葬儀まで3日空いていました。私はその3日の間にバレエの発表会が控えていたので、悩みに悩んだ結果、主人がせっかく今まで頑張って練習して来たのだから出なさい。と言ってくれたので、出ることにしました。
いろいろなことを胸に秘め、無事に踊りきることが出来ました。
お通夜の夜なんだか調子が悪く、寒気がしていて、おかしいと思い、熱を計ったら、39.4(>_<)
土曜日だったので、直ぐに救急へ行き、診察してもらいました。インフルエンザも調べましたが、陰性、お腹を壊していること、身体中が痛いこと、気持ち悪いことなどから、急性胃腸炎と診断され、お薬をもらい帰りました。
結局次の日も熱は下がらず、
告別式に出れないという、生涯の汚点。
疲れが溜まっていて、身体が保たなかったのですね。
主人や義母、お姉さん、親族の方に謝り、家でお見送りをすることに。悔しくて、自分が許せず、涙、涙。
主人や義母達は具合が悪いんだからしょうがない。気にせず休んでなさいと、言ってくれたのですが、なんか自分が許せませんでした。
這ってでも参列すれば良かったかなとか、今でも考えてしまいます。
遺骨になって家に帰って来た義父。
私は撫でながらごめんなさい、ごめんなさいと謝りました。
あれからもう半月以上が経ちます。
遺影がとても良い笑顔で、毎日お線香をあげながら、話しかけています。
死ということ。
人は必ず死にますが、今回の件でいろいろ学び、いろいろ考えさせられました。
私は病院の今までの対応に不信感を覚えます。
高齢だから、不整脈があると心配で病院へ行きますよね?
先生の診断は、不整脈が出ても、苦しく無かったら、来なくても大丈夫です。前回も言いましたよね。来ていただいても、治療ができないので。
もういいですか?
こんな対応でした。
それから一週間後に義父は亡くなりました。
私はあの先生の顔が忘れられません。
医師のくせに、命を助ける仕事なくせに。
悔しいです。
自分勝手なブログを最後まで読んでくださり、ありがとうございましたm(_ _)m