人との関係が希薄になり、ウチでスマホ弄ってるのが生きていると言えるのだろうか。
もっと思いもよらなかった弊害も後年出てくるかもしれんな。
アル中や社会に戻れなくなる人が増えてたりして。
真波山岳じゃないが走ることは生きることを実感することでもあった。
しかしカンフル剤としての効き目も薄くなり心も身体も平常なバランスを取りたがってるようである。
ふとした隙にはあれはまるで昔話のように普通の人になってしまった。
走るなんて苦痛以外でしかないという普通の人に!
エントリーなど勿論なく最近はkm5で走る自信もない。
あれ程の積み重ねが全て弛緩し終了してしまっては1から始めようなんて気力も沸かないのは当然だ。
密です!と人との接触が憚られる世の中の深夜は独裁スイッチを押したかのように静かだ。
他の人は生きてるのか?
キャバレットで密になるのも電車でオッサンの臭い息を食らうのも生きてるって実感してたよな。
生きてるってなんだろう、生きてるってなあに?
そこまでして罹患を避けるほどの命と思えなくなってくる。
クラゲかプランクトンのようだ。