創世の千葉Blue Field17 | 復活!?熱尻 石坂鉄平のパイルダーON!

復活!?熱尻 石坂鉄平のパイルダーON!

元プロレス団体KAIENTAI-DOJO、現(株)ふたば所属の石坂 鉄平が綴る、日々の日常と非日常の体験記。

ここの所、週末の仕事量いや、重量が半端無い、、、。
ついつい昔取ったなんちゃらのノリで、ガンガン重量物を運んだものの、古傷の右膝をまんまと痛めてしまった鉄平です。

みなさんも仕事前や寝る前のストレッチは、しっかりやりましょうね(笑)


さて、2002年の4月から船出をしたKAIENTAI DOJOでしたが、千葉のBlue Fieldの集客となると大苦戦。


現在のBlue Fieldは、綺麗に青く塗装された美しい姿ではありますが、

鉄平達の創世記では、Blue Fieldと言う名ではあったものの、青い部分と言えば、出入口と選手入場ゲートのみ。




青い床もなければ柱もない。外観は完全に倉庫。


『千葉の倉庫』と、言われる所以でもあるわけで、プロレス会場と言われても何処にあるのか解らないといった状況。


当時は、現在の4期生(旭 志織)なんが、案内をする為に、バス停にボードを持って立っていたり、、、。


例えそんな会場でも、良い試合をすれば必ず満員になる!と、自分達は信じて日々Club-k500を行っていました。


そんな当時のKAIENTAI DOJOは、試合カードは、常に当日発表。


、、、と言うか、『第1試合、時間無制限1本勝負!!』

と、リングアナがコールをし、選手の曲が流れて、初めて誰が出てくるかが解るといったスタイル。
つまり、お目当ての選手が試合するかどうか解らないし、会場で選手が出てくるまでドキドキしながら待つ。

当たりもあればハズレもある、これは、WWF時代を経験したTAKAみちのく代表が試したかった事でもあった。




後に、Club-k2000(現Club-k3000)では、メインカードのみ発表。
更に後に、全カード発表のスタイルに移行していくのだが、頑なにClub-k500だけは、前者の入場曲が流れるまで誰が出てくるか解らないと言うスタイルを貫いていた。


TAKAみちのく代表は常々
『会場のお客さんの数が20人を切ったら、俺が出る!』
と言い続けていたものの、結局、それは実現する事はなかったのだが、、、。

良くも悪くも、鉄平の記憶の中のBlue Field最低入場客数は、23名だったと思う。しかも、それはClub-k500ではなく、雪の降る寒い日のRAVEの興行だったような、、、。



しかしながら、この入場曲が鳴ってから誰が出てくるか解るスタイルは時として奇跡も産んできた。


2002年5月9日(木)
メインイベントで、藤田ミノルさんの曲が流れた時、会場にいた30人の観客が地鳴りのような歓声が上がった、、、。




当時は、TAKAみちのく代表、藤田ミノルさんの2人は、Club-k2000(土)でしか見ることのできない選手。

藤田ミノルさんサプライズ出場で、この会場に来たお客さんは、500円以上の価値を見出だし、満足して帰路につく。


この初期に行われたサプライズを機に、Club-k500を卒業する事が、創世記の所属選手の1つの目標ともなった。


さて、今回のClub-k500の話はこの辺で。