長崎の歴史:長崎 出島 1 | Tシャツに描ける物語

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長崎の出島は江戸幕府の
鎖国政策の一貫として
1634年から
2年をかけて建造されました

完成した1636年から
1639年までは
ポルトガル貿易の拠点となり

1641年から1859年まで
オランダ貿易の拠点として
オランダ商館などが
置かれました

その歴史ですが
1634年からは
ポルトガル貿易の管理目的で
建造され

そのうち主な費用は
長崎の貿易商人(出島商人)が
負担しました


費用は現在の価格に換算すると
およそ4億円とされ

出島の面積は3924坪の
人工島になります

場所は現在の長崎港から
少し東側になる
かつて森崎の岬と呼ばれた
岬の突端にあたる場所になります

かつてこの岬の位置からは
長崎港が一望でき
外国船の防衛も出来て


また出島内の監視も出来るなど
利便性からも
この場所が選ばれました

また出島建造の理由ですが
出島建造以前は
ポルトガル人や中国人は

長崎の町に点在するかたちで
住んでいましたが

キリスト教布教を防ぐため
更に外国の貿易商人が
町に入ることで
起こる密貿易を防ぐために


ポルトガル貿易は
人工島の
出島内での監視になりました

しかしポルトガルや
オランダの貿易商人などからは
出島は牢固と呼ばれ
出島内の生活は
不自由だったようです

また出島への出入りは
長崎奉行所の決められた役人や
出島の商館員から指名された
長崎 丸山の芸子などに限られて

出入りの際には
念入りな身体検査がされ
その出入りは
岬から延びた出島橋一本に
現在されました

~次回 長崎の歴史に続く~

from Itsuki


↑パンサーくん
固まってます