長崎の歴史:禁教令 3 | Tシャツに描ける物語

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慶長の禁教令により
キリスト教の
禁教令は全国に広がりましたが

江戸幕府は信徒への弾圧など
徹底した対策は
取らなかったために

地下に潜伏するかたちで
隠れキリシタンに
なるキリスト教信者も
出てきました

また京都には「デウス町」と
呼ばれる
キリシタンたちが住む
地域も
残されたままになりました



この幕府がキリシタンたちに
徹底した対策が
取れなかった背景には

宣教師はポルトガル貿易に
深く関与していたと
考えられていたとされます

幕府による取り締まりが
厳しくなるのは
もう少し先になります

この幕府がキリシタンに厳しく
対処することになったのは
元和の年間になります



これは元和の大殉教と呼ばれ
最も多くのキリシタンが
処刑された事件です

京都の所司代だった
板倉勝重は
キリシタンには好意的でした

そのため「デウス町」などが
京都には存在してました

しかし禁教令が断続的に
発布されていき
1619年に
改めて禁教令が出されて



板倉勝重も黙認出来なくなり
キリシタンを
捕縛し牢に入れます

しかし勝重は時の将軍
徳川秀忠に
大目に見てもらおうと
しましたが

逆に秀忠の怒りを買い
火刑を命じます

その人数は52人で
4人の子どもと
1人の妊婦も含まれてました

~次回 長崎の歴史に続く~



↑パンサーくん
カメラ目線です