先日、地下鉄の電車内でベビーカーに乗った赤ちゃんが泣きだしてしまいました。

 

ドラマなどでよく見る光景を初めて目の当たりにした僕は、この赤ん坊を泣き止ませる方法を考えるだけ考え、体は一切動いていませんでした。

 

周りの電車利用者たちも同様、怪訝な顔、不安がる顔を浮かべるのみで誰も、何か行動しようとはしません。

 

まあ、当然ですね。

 

これが当然になっている現実はとてもさみしいような気がしますが、仕方がないと踏ん切りをつけているのが僕ら日本人の現状です。

 

さて、そんな中、一人だけ赤ん坊の暴走を止めようとしている人物がいます。

 

それは誰か。

 

母です。

 

母は必死になって我が子の泣きじゃくる理由を探り、何としてでも暴走を止めようとします。

 

しかし、そんな努力もむなしく、赤ちゃんの暴走は止まりませんでした。

 

周囲の早く泣き止ませて静かにさせろという重々しい空気にたまりかねたのか、母は子を連れ、電車を早急に下りていきました。

 

結局、赤ちゃんが暴走していた理由はわかりませんが、改めて思い起こしたことがあります。

 

赤ちゃん最強。

 

恐らく多くの人は、赤ん坊を感情がコントロールできない生き物だと思っていますよね。

 

でも実際は全くの逆で、赤ちゃんはめちゃくちゃ自分の感情をコントロールできているんです

よ。

 

赤ちゃんが泣いていた理由は、おむつを交換したいだったり、人ごみにいることがいやだったり。

 

今となっては真意はわかりませんが、どんな理由でも共通して言えることは、赤ちゃんが不快な気持ちになっていたということです。

 

例えば、赤ちゃんがおむつを交換したいと思ったとします。

 

でも、赤ちゃんは自分でおむつを脱ぎ、新しいおむつに履き替えることなど到底できない。

 

赤ちゃん自身も、自分でおむつを交換できないことは重々承知しています。

 

ここで赤ちゃんが使うのが弱さ、つまり「泣き」です。

 

赤ちゃんは自分が泣くことによって強い大人が助けてくれることを理解しています。

 

この「泣く」という弱さは赤ちゃんや子供などの特権なのです。

 

しかし最近、過保護教育が頻繁に増え、成人といわれる、二十歳を超えてもこの弱さに頼る若者が急増しています。

 

そんな二十歳の赤ちゃんは、年齢を重ねただけにも関わらず、大人になったと勘違いをして

子を持つという無責任な行動を起こしてしまいます。

 

実質的に、少しだけ経験値の高い赤ちゃんが、この世に生まれたばかりの新人赤ちゃんを育てているということになります。

 

その結果どうなるかというと、皆さんもご存じの通り育児放棄などといった事件に発展してしまうというわけです。

 

そこで考えていただきたいのは、誰が被害者で誰が加害者なのかということ。

 

そんなの育児放棄をする二十歳の赤ちゃんである親が悪いだろ!と、思うかもしれませんが本当にそうでしょうか。

 

僕はこの二十歳の赤ちゃんでさえも被害者なのではないかと考えています。

 

その理由としては、簡単です。

 

この二十歳の赤ちゃんも育児放棄されているからです。

 

年齢は二十歳でも、中身はまだ赤ん坊。

 

その状態で、あなたはもう大人なのだからと、育児をやめ、社会に出された赤ちゃんは被害者でしかないと思います。

 

親は子を甘やかし、いつまでも赤ん坊の弱さが通用する環境を用意したせいで、見事、二十歳の赤ちゃんが誕生しました。

 

ここまでで、赤ちゃんの強さだったり、二十歳でも赤ちゃんである人間の話をしましたが、結局何が言いたいかというと、「親が強すぎてはいけない」と、いうことです。

 

この記事を読んだのであれば一度確認をしてみてください。

 

我が子を二十歳の赤ちゃんになるよう育てていないか、自分自身が二十歳の赤ちゃんではないか。

 

よく見直し、自身や子と向き合い、しっかりと責任を果たせる「大人」なって欲しいと願っています。