2014/05/22 | チャー爺のブログ

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最近 有る事で、「信用」と「信頼」と言う言葉の違いについて考えることがあった。

日常生活では、多少曖昧でも 何ら問題はないのだが、

 

 人間が使う言葉には、意識的であれ 無意識であれ 何らかの意図がある

と考える、心理学の世界では 言葉は厳密に定義して使い分けるらしい。

 

つまり、『私は、騙された・・・。信頼していたのに…』と言う場合と

『私は、騙された・・・・。信用していたのに・・・』と言う場合では、完全に使い分け、聴き

対応する。(対応が違う)と言うわけである。

ここでは、

 信用:取引などで、一般的に使う言葉でもあり、条件付きで信用する場合に用いる。

 相手の態度で、信用したり しなかったりを判断する。

  ※つまり、“条件付き”で信用する事   を意味する。

それに対し

信頼:相手の態度が、どのようなものであっても信用することを意味する。

 ※つまり、“無条件”で信用する事 を意味する。

と定義する。

 

したがって、この定義から言えば、

「信頼」の場合は、“騙された…”と言う 事象はない(存在しない)

“騙された…”と言う場合は、“信用していたのに…”と言う使い方が正しい となる。

 

何気ない言葉の使い方で、相手に対する考え方(相手に対して どのように考えているか)がわかり、

心理が見えるというのである。

(※決して どちらが良いとか 正しいと言う話ではないので 念のため。)

 

ここに、面白い例えがある。

“子供を信頼している親”と“子供を信用している親”との対応の違いである。

 

子供が、もし他人に乱暴した場合、

その子供に対しての 対応が明らかに違うと言うのである。

 

子供を「信頼している」親の場合は、その乱暴した“行為”に対して 注意したり・叱ったりする。

『悪いことをしたんだから 謝りなさい』

でも、(あえて言うならば) 私は いつでも 変わらず あなたを信じていますよ!!と対応する。

 

それに対し、子供を「信用している」親は、行為ではなく、その“人”に着目した対応をする。

その乱暴をした 人(子供)に対し、注意したり・怒ったりすると言う。

『あなたは、父親に似て 本当に乱暴者ね、本当に信用できない人ね!』

と、レッテルを貼り もうあなたは信用しない と言う対応になると言う。

 

つまり、子どもを「信頼する」親 と 「信用している」親とでは こうも違う対応になると言うのである。

 

元来、子供、いや人間と言うものは、失敗を繰り返しながら 成長していくものである。

少なくとも、私は 子供を信頼する親・部下を信頼する 上司 でありたい。