少し前に、
母が家の玄関で転びました。
(母は72歳です)
母は時々転ぶのですが、
そして、母が転ぶのは
今に始まったことではなく
昔から割と
転んだりぶつけたりしがちなのですが、
転んだりすると
非常に痛がって
ずいぶん落ち込みます。
年齢が年齢なので、
あまり転んだりが頻繁だと
わたしとしても心配になります。
心配になりつつも
非常に痛がる母を見ていると
「ちょっと大袈裟なんじゃない?」
と冷ややかに思う自分もいて、
そんなわたしの冷ややかさに
母は余計にムキになって
どんなに痛いかや
転んだ時どんなに大変だったかを訴えます。
それがますます大袈裟に思えて
わたしはますます冷ややかな気持ちになり、
そうして
ちょっとした悪循環がおこります。
この度は、
骨折したかもと母が不安がるので
翌日、整形外科に連れて行きました。
様子(歩き方とか食欲とか)を見ていると
多分大丈夫そう…と
わたしは思ったのですが、
母の安心のためと思い、
診察していただいて
レントゲンも撮って
「打ち身」とのことでした。
やっぱりね
と内心思っていると、
それが伝わったのか、母は、
「先生が安静にしているようにって。
来週もう一度来るようにって。」
と一生懸命に言ってきて、
わたしは少しイラっとしました。
それから、母は毎日
一日中ベッドに居て、
食事の時だけ起きてきて、
「具合どう?」
と訊けば
「すごく痛い」
と答える日が続きました。
本当に痛かったんだと思います。
すごい痣になっていましたし。
でも、わたしの中には度々
「イラッ」が
湧き上がり、
特に、母に何かしてあげる時に
イライラが発動するようでした。
それは、なんだか
自由が奪われる感覚でした。
イライラを見つめてみたら
そんな感覚があるのがわかって
ちょっと呆然としました。
奪われる、だなんて。。。
まぁ、確かに
病院に連れて行ったり
ふだん母がしてくれていることを
代わりにやったりして
少し時間が取られるのは事実だけど、
「奪われる」って
そこまでではないのになぁ
と不思議に感じました。
奪われる…
むしろ与えようとしているのに
どうして奪われる感覚があるんだろう?
求められている、と感じるから?
確かにこれはある。
痛い、痛い、と言われると
何かしてあげなくちゃいけない気がしてしまう。
求められていると感じて
与えようとして…
どの段階でイラッとするのかを見てみると、
まず、母の反応にイラッとしていることが
わかりました。
何かしてあげても
「痛くて辛いんだからしてもらって当然」
と思っているように見える母。
(わたしにそう見えるだけで、
真実かどうかはわからない)
「大丈夫?」と訊いても
「大丈夫」とは答えず
ここぞとばかりに辛さを訴える母。
(ここぞとばかりに、って
わたしには思えるけれど
真実かどうかはわからない)
そんな母にイラっとして、
何かしてあげるたびに
奪われている感覚がしていたのでした。
それから、わたしは、
母からの反応が
自分の理想や「こうあるべき」と
違っているからイライラしていたようです。
してもらったら感謝するべきでしょ!
心配かけるようなことは
言うべきじゃないでしょ!
そんな無意識の「べき」が
発動していました。
それから
自分に対しても
「理想の娘」を強いていて、
元気のない母には優しくすべき、とか
出来る限りの事はやってあげなくては、とか
そして、
娘なんだからしてあげるのは当然
と思わなくては、とか
なんだか色々な「べき」があったみたい。
理想を演じようとするから、
自分から溢れるように
愛をもってするのではなく
絞り出すように無理してやるから、
(と言っても無意識に、なのですが)
「自由を奪われる…」なんて
感じたのだなぁ。
そんなことを見つけて、ふと
ラハシャの本を見てみたら、
「愛、与えること、受け取ること」
という本質を覆い隠すのは
「理想・すべき」
と図になっていました。
理想や義務が発動している時、
与えることも受け取ることも
難しくなる
というのは、
色々思い当たることがあります。
娘がうんと小さい頃、
「ママ大好き♡」って言われても
うまく受け取れなかったのは、
(それどころか、こんな小さな子に
気を遣わせてしまった…と
自分を責めていました〜)
自分のことを理想のママ像とかけ離れた
ダメなママだと思っていたからでした。
自分が理想につかまって、
「奪われるのが嫌さに与えないこころ」
(「愛は花、君はその種」の歌詞にある)
になっていたことに気づいてから、
母に何かしてあげる時
本当にそれをしたいのかどうか?
自分に訊いてからするようにしてみました。
イライラはグッと減って、
母に対しても
どんな反応が返ってきてもいいような
オープンな自分を感じます。
そもそも
わたしが本当にそうしたいと思って
何かする時、それは
母にとっても嬉しいことのように感じます。
(親子ってそういうもの)
昨日は
母が、久々に起きていて
椅子に座って本を読んでいました。
夕方、
ごはんの買い物に行こうと思って、
思いついて母を誘ってみました。
「道の駅に野菜を買いに行って、
ついでにジェラートを食べて来ない?」
って。
母は思いのほか喜んで
5日ぶりに外出しました。
元気が出たみたいです。
グリーンのは、アスパラガス。白が、甘酒。
道の駅 与一の郷 にて。


