5月ももうすぐ終わりますが、
道で見かける一年生は
まだまだ初々しく、かわいく
ちょっと危なっかしく見えます。
それは
黄色い帽子の小学一年生も
自転車が少し大きく感じる中学一年生も
そんな風に見えます。
うちの娘は中学二年生ですが、
去年はこんな風だったんだよなぁって
感慨深いです。
二年生たちは
ずいぶんとしっかりして見えます。
顔つきも身体つきも振る舞いも。
成長を感じて
一年でこんなに大人っぽくなるものなんだな
って驚きます。
(とは言え、当たり前だけど
娘にとっては初めての中2だし、
わたしにとっても中2の娘は初めて。
いつだって初めてのことはやってくるし
その都度揺れる気持ちやドキドキ
いろいろありますね…)
そして
去年は、中学生になりたてで
ずいぶん必死に頑張っていたなぁって
健気に思います。
中学生のヒナみたいだったなぁって。
小学一年生はもっともっと
ヒヨコみたいな小ささとかわいさに
思えます。
なんて小さいんだろう!
なんてかわいいんだろう!
なんて一生懸命なんだろう!
って泣きたくなります。
うちの娘は小学校に入って間もなく
行きしぶりが始まりました。
本当に行けなくなって
不登校になったのは
ちょうど今頃の時期でした。
その当時は、
「もう小学生のお姉さんなんだ」って
娘をもう大きい子だと思えてしまって
(わたしの子育て史上、いつも今現在が
一番我が子が大きく成長した時なので
もう大きいんだから、って思いがちでした)
“ちゃんと小学生らしくさせなくちゃ”
“保育園の時とは違うんだから”
って、力が入ってしまって
娘にも自分にもずいぶんと
プレッシャーをかけてしまっていました。
今、
道などで
ヒヨコみたいな一年生を見かけると
胸がキューンと痛くなります。
あんなに小さい子に
ずいぶん無理をさせてしまったなぁって。
一番大変な時を過ぎてから
やっと気づいたことでしたが、
あの頃
学校で 教室で
娘にとって苦しいと感じることが
たくさんあって、
(例え他の子がそれを平気と感じるとしても)
娘がそう感じているということを
もっと大切にしてあげられたらよかったなぁと
思います。
娘が苦しく思うこと、
本当はわたしだって
そりゃあ苦しいよね…って
思うことだったんだ。
娘の感じる力を
もっと大切にしてあげたかったな。
(そして、
それに気づいて、娘の感じ方や気持ちを
大切にしてあげられるようになった頃、
娘は元気を取り戻して
新しい学校に楽しく通えるようになりました。)
学校に行きたくないって
言われると
わたしも怖くなってしまって、
〈行きたくない、行けない〉を
〈行きたい、行ける〉に
変えることばかり躍起になっていたと
振り返ります。
〈行ける、行けない〉のもっと手前に
ただ、「今この瞬間の娘」と
一緒にいてあげる気持ちが大切だったなぁと。
教室で苦しくなってしまう
娘の感受性は
いまでも多分変わっていなくて
それはそれは
繊細で優しくて美しい感受性です。
(きっと誰もがそうであるように。
そして、誰の感受性もそれぞれユニークで
愛おしいと感じます)
学校へ行けなかったあの頃も
娘は、
とっても繊細で優しくていい子でした。
学校に行けなくても
全然ダメな子なんかじゃなかったのに、
学校に行けない子にしてしまった自分を
ダメな母だと感じていて、
ダメな母だと思うのは苦しくて、
状況を受け入れられない気持ちもありました。
ダメな子でも
ダメな母でもなかったのにねー。
本当に一生懸命だったのにねー。
黄色い帽子の大きなランドセルたちや
大きい自転車を一生懸命漕ぐ
大きなヘルメットたちを
見かけると、
なんだか色々思い出してキューンとします。
あの頃の自分にも
同じような悩みを抱えている方にも
きっと大丈夫!
あなたの子はこんなにいい子なんだから!
あなたは誰より我が子を大切に思って
本当によく頑張っているお母さんなんだから!
って言ってあげたいなぁって思います。

