ブログネタ:トイレはよく行く? 参加中
どんな人間になりたいか、と今問われれば、
私は「客観能力」「潔さ」「思いやり」を兼ね揃えた人間になりたいですね。
トイレによく行くかどうか、という議題ですよね。
唐突に失礼しました。
トイレに行く目的は主に二つ。
うんこかションベンか、二つに一つ。
たまに鼻毛チェックありますけど、ここでは除外。
うんことションベンの二つの性質を考えたときに、明らかに異なる点は、
突発性だと思うんです。
ションベンは、それまでに摂った水分の量を鑑みれば、
どのくらいの時間でもよおすかある程度計算できるのです。
対して、うんこはそれまでに摂った食事の量如何にかかわらず、
突発的にもよおすことが有りうるのです。
その点、うんこは厄介であります。
しかも、うんこは強烈に臭いです。
そして、事実、私はうんこを今でも漏らすことがあります。
ただ、突発的うんこに対処法が全くないかと言われればそうではありません。
現メジャーリーガーのイチロー選手も、かつてこう言ったそうです。
「ハイレベルなスピードでプレイするために、僕は絶えず身体と心の準備はしています。
自分にとって一番大切なことは、試合前に完璧な準備をすることです。」
「準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、
そのために考え得るすべてのことをこなしていく」
あのイチロー選手でさえ、準備は怠らないのです。
イチロー選手に対しての好悪はおいておきまして、やはりすごい人ですね。
天才、凡人問わず、誰でも準備はできるはずなんです。
ですから私は、いつ何時うんこを漏らしてもいいように、
パンツの控えと、心の準備はしております。
そして万が一、うんこを漏らしてしまった、そのときは、
まず自分がうんこを漏らしたことを「客観的」に捉えて、
取り乱すことなく、
「ああ、俺は今漏らしたんだな。敵ながらあっぱれだ。」と
うんこに屈したことを「潔く」受け入れる男でありたいのです。
しかし世間は厳しいです。
私がうんこを漏らしたという事実を知ると、
「うんこ漏らすなんてありえねー、超きたねー、近寄るんじゃねー」と、
文字通り「鼻つまみ者」として私を扱う、心無い人がいます。
こういった心無い人がいるということも、
心の中で準備しておかねばなりません。
うろたえない。「客観的」に見れば、確かに私はうんこ漏らしだし。
その人の反応も当たり前と言えばそうでしょう。
ただ、うんこを漏らすことが人生において挫折だとするならば、
私は挫折を知る人間として、
共にうんこを漏らす人間には「思いやり」をもって、
漏らしたうんこの匂いを嗅ぐような姿勢で接する所存です。
その際、鼻栓は装着させていただくけれど。
どんな人間になりたいか、と今問われれば、
私は「客観能力」「潔さ」「思いやり」を兼ね揃えた人間になりたいですね。
トイレによく行くかどうか、という議題ですよね。
唐突に失礼しました。
トイレに行く目的は主に二つ。
うんこかションベンか、二つに一つ。
たまに鼻毛チェックありますけど、ここでは除外。
うんことションベンの二つの性質を考えたときに、明らかに異なる点は、
突発性だと思うんです。
ションベンは、それまでに摂った水分の量を鑑みれば、
どのくらいの時間でもよおすかある程度計算できるのです。
対して、うんこはそれまでに摂った食事の量如何にかかわらず、
突発的にもよおすことが有りうるのです。
その点、うんこは厄介であります。
しかも、うんこは強烈に臭いです。
そして、事実、私はうんこを今でも漏らすことがあります。
ただ、突発的うんこに対処法が全くないかと言われればそうではありません。
現メジャーリーガーのイチロー選手も、かつてこう言ったそうです。
「ハイレベルなスピードでプレイするために、僕は絶えず身体と心の準備はしています。
自分にとって一番大切なことは、試合前に完璧な準備をすることです。」
「準備というのは、言い訳の材料となり得るものを排除していく、
そのために考え得るすべてのことをこなしていく」
あのイチロー選手でさえ、準備は怠らないのです。
イチロー選手に対しての好悪はおいておきまして、やはりすごい人ですね。
天才、凡人問わず、誰でも準備はできるはずなんです。
ですから私は、いつ何時うんこを漏らしてもいいように、
パンツの控えと、心の準備はしております。
そして万が一、うんこを漏らしてしまった、そのときは、
まず自分がうんこを漏らしたことを「客観的」に捉えて、
取り乱すことなく、
「ああ、俺は今漏らしたんだな。敵ながらあっぱれだ。」と
うんこに屈したことを「潔く」受け入れる男でありたいのです。
しかし世間は厳しいです。
私がうんこを漏らしたという事実を知ると、
「うんこ漏らすなんてありえねー、超きたねー、近寄るんじゃねー」と、
文字通り「鼻つまみ者」として私を扱う、心無い人がいます。
こういった心無い人がいるということも、
心の中で準備しておかねばなりません。
うろたえない。「客観的」に見れば、確かに私はうんこ漏らしだし。
その人の反応も当たり前と言えばそうでしょう。
ただ、うんこを漏らすことが人生において挫折だとするならば、
私は挫折を知る人間として、
共にうんこを漏らす人間には「思いやり」をもって、
漏らしたうんこの匂いを嗅ぐような姿勢で接する所存です。
その際、鼻栓は装着させていただくけれど。