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第一話
第二話
『 鈴木姓 』の野球選手といえば、なんといってもイチローさん( 鈴木一朗 )
彼が高校二年の時、愛工大名電のエースピッチャーとして甲子園にやってきた時の印象が、『 なんて平凡な名前なんだろう 』
細身の体を目いっぱい使って投げこむ、速いストレートよりも、
その名前に注目してしまった。本当に失礼なことでした
ただ翌年秋、その打撃の才能を見出しドラフト指名したオリックス球団と、その平凡な名前を逆手に取り、登録名を『 イチロー 』とした当時の監督、仰木彬さんの先見の明には脱帽いたします
その後の活躍はご存知の通り
MLBでも歴史に残る選手として現役を引退されました
鈴木誠也選手もイチローさんの後を継ぐ『 鈴木姓 』
こちらはイチローさんとは逆に、日本人離れした体格で、MLBでも見劣らないパワーで勝負している、外野守備もトップレベル、今後まだまだ活躍する期待の選手
そして記事にある、近鉄バッファローズの『 鈴木 』啓示さん
この方は引退後の指導者、解説者としての印象が強く、どちらかといえばネガティブなイメージの方。
でも村田兆治さんともどもパ・リーグを代表する大エースでした
もう一人、鈴木孝政さんも思い出深い
『 燃えよドラゴンズ 』の歌詞にある一節『 鈴木、竹田の快速球・・・♪ 』、
子供の頃よく歌ったあの歌詞、星野仙一さんがエースだった時代の若き日の姿をよく覚えています
個人的に、一番印象的な『 鈴木姓 』が
鈴木貴久さん
同い年で、甲子園に出た頃から注目していました
1980年( 昭和55年 )
旭川大高( 現・旭川志峯 )の二年生四番打者として活躍、北北海道勢として初めての2勝に貢献、腕っぷしの太い強打者でした
2年後プロ入り、近鉄に入団
そのフルスイングと、ストライクを積極的に振ってゆくスタイルは後輩の中村紀洋さんに引き継がれました。
仰木監督の掲げた “ いてまえ打線 ” は同期の金村さんやこの人が居てこそでした
2004年に40歳という若さで亡くなられましたが、
鈴木、金村、ブライアントの居た近鉄バッファローズ、記憶に残るチームでした


