法( のり )面の工事を請け負う土建屋さんに勤務していた時代の出来事を綴ってまいります

 

 

 

 

この会社に居た約4年の間、社員や職人の出入りはそんなにありませんでしたが、

出会った人達は、派遣会社にも負けず劣らず個性的な人が多かった

 

 

 

監督候補生として入ってきたのは、I田君

 

大学を出て一度挫折し、この会社に転職してきました、真面目で大人しく、声も小さく、とても現場監督向きには見えませんが、人柄はとてもいい子でした

 

印象はメガネを掛けた佐々木のじいさん( ちびまる子ちゃんのキャラクター )

 

 

 

 

監督候補なのでよくFさんの下で行動していましたが、いつも怒られてばかり、

かなり厳しい指導だなあとも思えました。あるときは見かねたOさんが助け舟を出したりもしましたが、一年で辞めていった

 

危険を伴う仕事なので、監督の判断が重要な場面も多い。厳しい指導もある意味仕方なかったのかもしれません、やっぱり向いていなかったのかなあ

 

 

 

 

 

その次に入ってきたのは、吹付班に来たI山君

 

二十代後半の地元の若者、お父さんの土建屋で二代目として働いていましたが、この子もOさん同様親父とケンカ別れしてきました。

 

彼らのお父上の心情を察するに、『 近くに居ると鬱陶しい、外へ出て他業種の世界を見てくるのもいい、暫く勉強して来い 』

こんな気持ちだったのではないか

 

サッカーのKINGカズに少し似た、中々男前の若者

 

 

 

三十前でしたが、もう女房、子供持ち。旅仕事が多いのは辛いとこぼしてました

 

明るく快活、遠慮なく物申し、覚えも早かった。こんな性格なので年上からのウケも良く、監督のFさん、OさんKさんのベテラン職人からも気に入られ、常にいじられキャラでした

 

 

 

逆に天然っぽく見られていた?僕にはよくツッコミを入れて来るヤツで、彼がいると周囲が明るくなる太陽のような男

 

でも僕が履いていた迷彩柄のパンツが気に入ると、すぐに取り寄せ競い合う、なんとも可愛い後輩でした

 

 

 

彼の特徴は、仕事のセンスが良く覚えも早いので、最初はそつなくこなしてしまう。

ただ反面、あまり人の意見を聞かないタイプ、Oさん、Kさんの指示を聞かずに突っ走ってしまい失敗、結構こんな場面が多かった

 

 

 

ある時から、彼にもノズルマンを任せるようになりました

 

センスがいいので覚えも早い、若く体力もあり結構やる、なかなかのヤリ手だ、

ただやっぱり我が強いのでそういう面も見えてくる

 

ガンマンのKさん、初心者であることに気を遣い、出す材料( モルタル )を加減してくれている、お陰で材料( セメント )入れをしている僕は随分楽をしましたが(笑)

 

すると崖の上のI山、『 もっと出せ 』と合図を送ってくる

 

写真はイメージです

 

 

 

これを見たKさん、僕と目が合うとニヤリと笑い『 あの野郎め 』と、スゴい勢いで材料を噴出しまくる(笑)

 

1時間くらいは頑張ったでしょうか、休憩時間となり山から降りてきたI山君、もうヘトヘトで、疲労困憊、Kさんは、ザマアミロという笑い顔

 

 

 

 

吹きあがった現場の状態もボコボコ、僕とKさんで酷評しながら指摘をし、その後材料入れとなり楽をし、元気を回復した後の彼の一言

 

『 この仕事は、いくつ現場を熟すかが大事、出来栄えなんて気にすること無い! 』

 

 

 

これにはKさんも、ムッとし、『 そんな奴には真面目に教えられんな 』

 

僕も同意しましたが、職人頭のOさんは『 あいつの言う事も一理あるで、会社の利益も考えんとな 』と一言、『 でもこれは酷いなあ 』と大笑い

 

 

 

そういえば僕は覚え始めた頃、怒られてもひたすらKさんの指示に愚直に従い、でもこなせるようになると見栄えのいい現場に仕上がるので、最後役所の検査前には現場を眺めては自画自賛に耽るような変な職人でもありました

 

そこへいくとI山は、ノズルマンになりたての頃からガンマンのKさんによく注文を付け、自分のペースで作業を進めていくようなところがありました

 

 

 

典型的な職人気質だった僕とKさん、一方OさんとI山は経営者の感覚も持つ人物。好対照でした

 

 

 

 

 

I山君の印象的な記憶は二つ

 

富山へ遠征したときにお世話になった土建屋さんがありました。

ある時、逆にこの土建屋が地元での仕事が薄く、愛知まで職人が “ 出稼ぎ ” に来ました。Oさんの指示で、I山がカシラとなり、この土建屋の若者三人と仕事をしていました

 

ある日、手違いで入ってくる筈の材料が来ず、現場での作業が困難となり、I山からOさんに提案します。『 今日は休みにしてほしい 』

 

これにOさんは少しプチっと切れ、『 何でもいいからやれる事をやって時間を潰せ 』

 

でもI山も引き下がりません、『 そんな無駄な事はしたくない! 』

 

これでOさんは大激怒します、その時僕はたまたまOさんと二人で他の現場に居ましたが、こちらの顔が引きつってしまうほどの怒りようムカムカ

 

 

 

結局、I山も引かなかったので最後は『 好きにせえ!』となりました

 

ただ怒り心頭のOさん、現場でケータイを叩きつけ粉々、顔も真っ赤、元々短気な人でしたが凄い怒りようでした

 

 

 

I山君、この遠征してきた土建屋の若者たちと親しくなり、こんな日は、休みなく稼働している子達に休みを取らせ、皆が好きだった競艇場へ案内したい( 蒲郡 )という発想だったようです、彼も競艇には詳しかった(笑)

 

彼にしてみれば至極真っ当な親心だということでしょう

 

 

 

この仕事の職人、天候に左右される仕事の為、遠征先では基本休日はありません。

僕らは長い遠征の場合、二週間に一回愛知へ戻るようなスケジュールでしたが、雨などで現地での休みが増えるとそれが理由で地元への帰省も伸びました

 

 

 

一方Oさんの考えは

 

この土建屋の社長とも親しいOさん、地元で仕事が薄く遠征してきたのに天気が良いのに休みを取るなんてもったいない、現場でゴソゴソしていれば出面( デヅラ=出勤簿のこと )も付く、社長にも面目が立つ

 

こんな考え、これも頷ける

 

 

 

お互い意地の強い者同志の対立、本来なら年も若く、経験も浅いI山君が折れるものなんですが、折れなかった

 

 

 

もう一つ、I山、実はとても涙脆かった

 

 

 

この頃人気だったテレビ番組で、島田紳助さん司会の『 嗚呼!バラ色の珍生 』

 

 

 

旅先の宿で一緒に観ているといつも、ボロボロと涙を拭っていた。

僕も涙脆く、二人でティッシュで鼻水を拭いたこともありました(笑)

 

 

 

又、彼は愛妻家で、嫁さん大好き男。

旅先ではいつも自宅に長電話をし、僕らにはいつも愛妻自慢のオンパレード

 

Kさんに彼女ができ、交際中の話で盛り上がると、ここへ連れていけ、こんな場面ではこんな風に声をかけろと、まるで兄貴分のような体で指示を出す爆  笑

 

B’z が大好きで、遠征先からの帰路運転を任せると、CDを大音量で聴きまくっていました

 

 

 

 

そんな彼も僕が辞める半年くらい前に退職してゆきました

 

『 親父が入院し家業を継がなくてはならなくなった 』という理由でしたが、旅の多い仕事も辛かったのかもしれません

 

I山が辞めて、一番ショックを受けていたのが監督のFさん、弟のように可愛がり、将来はこの会社で監督をさせようと考えていたみたい、本人もその気だったようです

 

 

 

 

 

十年ほど前、偶然彼と街中で出会いました

 

三十分程立ち話しをしましたが、相変わらずの活舌の良さで下世話な話題で盛り上がりました、聞くとお母様が介護認定を受けるほど衰えてしまったそうで、

ほぼ毎日様子見に出向いているとの事、ご両親は離婚していて、両方の繋ぎ役をしていると

 

明朗快活な男で何の悩みもないように見えましたが、人それぞれ苦労はあるんだなあと感じます、でも話しをしているとそんなことは全く感じさせないような、相変わらずの明るいキャラでした

 

< 続きます >