1995年6月27日、我が家に二番目の子どもが誕生しました
当時僕は、長野で建設作業員として従事しており、出産予定日に合わせ1週間休暇を取って自宅に戻りました
たしか予定日は17日か18日だった筈。なかなか生まれる気配が無い・・・
もう明後日には仕事に戻らねばならない、後はオフクロに任せようかと考え始めた頃、女房に陣痛が。弟に借りていたランクル40を揺らしながら車で5分程の病院へ、でも分娩間近の妊婦にとってこの5分は相当苦痛だったみたい
何であの時オフロードカーを借りたんだろうか?・・・
主治医の先生は中国系のお名前の先生。とても穏やかで優しい先生でした。数年後、この評判の産婦人科医の先生、シンガポールご出身の名医だということが分かりました
病院到着からほどなくして出産
へその緒を切ってから呼吸を開始するまでの重要な時間、婦長さんがもたもたしていると、温厚な先生が『 速くっ! 』と厳しく一言。こちらがビビってしまいましたが、すぐに泣き声が上がり、姫の誕生だ、と先生に笑顔で言われ何ともいえない感情が込み上げました
双子座の予定が、蟹座になってしまいましたが(笑)
1週間程で退院、暫くはオフクロが来て家事などを手伝ってくれましたが。当時、単身赴任中だった亭主は頻繁に帰宅出来ず、3歳の長男を抱えながら女房がよく頑張りました。今のご時勢ならとても許されなかった亭主でした
赴任先から帰宅する度に、会うのが楽しみで、哺乳瓶でミルクも飲ませました。
びっくりするくらいよく飲む、女房に、おい大丈夫か?と尋ねると、これが普通だという。長男坊が小さく特殊な子どもだったので、比較してしまった
でも飲み方も早く、ゲップの音も大きかったぞ
オムツを替えると、ウンチの量も結構多かった💩
2歳の頃、旅仕事へ出かけるとき、送ってもらった別れ際、車の後部座席から見えた泣き顔が忘れられません
幼稚園の帰り、迎えに行き手をつないで帰った道と手の感触も忘れられない
小学校入学前、一緒に土筆を採りに行きました。でも採った土筆、女房に調理を却下され二人で凹みましたね、そういえば捕まえ名前まで付けたアマガエルもお母さんに拒絶され、泣く泣く外に放しました。あの泣いている顔、可愛かったな
潮干狩りで獲ったバケツの中のアサリに話しかけている姿、
その後の『 おいしかった 』と満足そうな顔も忘れられません
飼っていたハムスターをかわいがり、死んでしまったときの悲しみよう
休みの度に競馬場に連れ回しましたが、うれしそうに付き合ってくれたこと
小学校6年までサンタクロースを信じていた純朴なところ
君との思い出は尽きませんが、こんな親父の下に生まれてきてくれてありがとう
今日で28歳、ダンナ様を愛し、幸せな家庭生活を続けてほしい
人間、成長する度にいろいろな壁に突き当り、年を経るにつけ悩み事も増えていく
大事なのは、壁を乗り越え、ブチ壊し、前に進むことばかりではなく、
苦難を経験し、痛みを知り、その経験を積み重ねること。
逃げたり、後退することも決して恥ずかしいことでは無い、そこから学ぶことが重要
人生の先輩からのアドバイスです
親父が唯一、君から影響を受けた、コブクロさんの曲です
誕生日おめでとう