小さい時からずっと、兄と私が一緒に居る時に初めて会う人はほとんど、私の方をお姉ちゃんだと思って言い間違えていました。それくらい私の方が子供ながらにしっかりしていて受け答えもハキハキして気の強い性格でした。

兄が小学生の頃に「とられた」「返してくれない」と言ってランドセルをからわずに帰ってきたことがあり、それを聞いて私はすぐに家を出て、まだ近くにいた兄の同級生たちに「お兄ちゃんのランドセル返せー」と向かって行ったこともありました。

 

兄は人をいじめたり悪口を言ったりすることはありませんでした。小学校高学年の時には、クラスに言葉を発することができない子がいて(場面寡黙症というのでしょうか?)、兄はいつもその子と行動を共にしていたようで、担任の先生からはその件では感謝されているようでした。

 

 

兄も私も、幼い時からJWゆえに信仰を表さなければいけない場面が沢山ありました。

幼稚園の時からずっと、誕生日会やクリスマス会への参加拒否・国家や校歌を歌うのも歌う為に起立するのもダメ・運動会の応援合戦や騎馬戦の参加拒否・親戚の法事や葬式にも参列できない・乾杯もハイタッチもピースサインもダメ、などなど。

 

こういう信仰を表さなければいけない時に、私はとても緊張して恥ずかしくて怖くてたまりませんでしたが、私に比べれば兄は恥ずかしさや恐怖はそこまで感じていないようでした。

もちろん嫌は嫌で、避けられるなら避けたかったという思いは同じだったはずですが。

 

また、私はエホバの為にというよりは母に褒められるために行動している気持ちが大きく、実際に学校で信仰を表す場面があった時は毎回母にそれを報告して褒めてもらっていました。もし母が褒めてくれなかったり無反応だったりしたら私は信仰を表すのは出来なかったかもしれません。それに対して兄は学校での出来事をいちいち母に報告することはなく、たぶんJWとして当然のこととして信仰を表明していた気がします。

 

 

 

余談ですが、ある同年代のJW2世の男の子は、運動会の時に国旗掲揚が始まるとサーっと走ってその場を離れて運動場の端っこに行き、国旗掲揚が終わるとまたサーっと走って集団の中に戻り、その後校歌斉唱が始まるとサーっと走ってその場を離れ、終わるとまた集団の中に戻る、というのを繰り返していたらしいです。

私の母がその子の母親から直接聞いた話なのですが、その母親は「すごいでしょう?うちの子立派でしょう?」とばかりに自慢げに語っていたらしく、さすがにこれには私の母も「そこまでする必要はない。エホバの証人がおかしいと思われる」と感じたらしいです。(校歌斉唱などはその場で歌わなければいいだけのこと、と私は教えられてそう行動していました)

 

ちなみにその子は信仰を表明するのはあまり苦にならないようで、むしろそれをするのはその子1人だからできると言っていた気がします。もし同じ学年や同じ学校内に他にもJW仲間がいたとしたら、仲間と一緒に行動するのは嫌だと。(人と違うという特別感や優越感みたいなのがあったのかなぁ?)

 

その後母がその子の母親と会ったら、JW協会の教えと違うことを言い出したそうで、母はなんかおかしいとちょっと気味悪く感じたそうです。それからしばらくして、その子と母親は真理から離れたとか母親が精神病院に入院したとかそういうことを聞いた記憶があります。

(結局は母もこの人と同じくJW教会の教えと違うことを言い出し、のちのちは精神病院に入院することになります。JWに入ったから精神を病むのか、元々精神に問題があるからJWの教えを受け入れてしまうのか・・・・)

 

 

 

 

兄は学校ではJWとその弱弱しい性格が原因で、いじられたりいじめられたりしていたようです。私と兄は1学年違いで兄の同級生たちの大半は妹の私の存在も知っていたからか、小学校中学校の頃のいじめは大きな問題になるものではなかったものの、高校生になると兄に対する嫌がらせはひどくなっていたようでした。

 

あまり学校のことを話さない兄本人が、「みんなからバカにされる」「(JWゆえに兄が見ないようにしている)雑誌を無理やり見せてくる」「卑猥なことを言ってくる」と言っていました。また、(これは中学の頃だったか高校だったか忘れましたが)ズボンを下げられたと言っていた記憶もあります。兄は「世の人ばかり。悪い人ばかり。」「学校に行きたくない」「この高校は嫌だ」と何度も口にしていました。

体育祭の応援合戦ができないことでも周りから強く圧力をかけられ、怒鳴られたり脅されたりしていたようです。兄は信仰を保つために一生懸命祈って耐えていました。

 

母は兄からいじめのことを聞いても学校に問い合わせや抗議をすることはありませんでした。母曰く「最初聞いた時動揺したけど、どうしていいか分からなかった」そうです。

(母は今で言う発達障害やコミュニケーション障害があると私は思っていますし、JWの教えによって世の人(学校)に相談するという発想は全くないようでした。とにかく祈ることでのみ解決できると考えていました。)

 

元々弱弱しい部分がある兄が、普通高校ではなく男子が多数の高校で、親しいJWの仲間もいない状態で過ごすのは大変だったと思います。兄がJW2世ではなかったら、状況は少し変わっていたかもしれません。

 

(また、普通高や別の高校に行っていたらいじめられなかったという保証はありませんが、しかしながらいじめの件を別にしても、JWの教えとして高校進学にまで口出しし、人の人生を支配しているということは大問題です。JWは高等教育も、就職で正社員になるのも避けるようにと言い続けますが、その分の教育も給与の保証も一切してくれません。)

 

 

 

一般的な思春期青年期の人が通るであろう ”性的な雑誌を見ること””卑猥な言葉を見聞きすること”はいずれもJW教義の性に関する教えの中で徹底的に悪とされています。

兄はそれらの誘惑を避けようと必死になって努力していたと思います。

(反面、まるでサブリミナル効果のようにJW出版物では性に関する描写が沢山出てきます。まるで性への興味を助長するかのように。とても矛盾した教えです。)

この性に関する出来事も、のちの兄を大変苦しめることになります。

 

 

 

言いたいことがうまくまとまらず、乱文乱筆になってしまいました。

文章を書くのは難しいですね。