近頃の日本メディアの大谷翔平関連報道は少々うんざりしています。大谷自身に対しては何の批判的な思いはないのですが、それで利権を得ようとするヤカラが多いですね。
中でも「昼おび」は突出していて、MVPが決まるかどうかの予想で数日番組を組み、決まったら決まったで数日番組を組み、どのチームに移籍するかの予想で番組を数日を組み、決まったら決まったで契約内容で数日番組を組み、出演者の中には毎日恵のフリに答えを出さないといけないのでうんざりしている人も見受けられます。
確かに大谷は人間的には素晴らしい。しかし彼自身は宗教家や教師のよう人を教える仕事ではなく、ただひたすら野球が好きで好きでその野球で正道と思われる方法で勝利を目指す姿勢が、万事に通じる人の道を教えるという副作用を生んでいるにしかすぎません。
それでもその類まれな能力は、周囲の人を決して傷つけない仕方で努力を続けることで、たとえ敵でもその称賛を得ることに成功しています。
勝負には勝者と敗者とが必ずいて敗者はしばしば悲嘆にくれることもありますが、大谷の場合は敗者からも愛されています。スポーツというものが関わる全ての人に喜びをもたらすような仕方でプレーや発言をしています。
まさに聖人君子のようです。
でもそれが唯一無二の成績を残しているからですが、そういう強いものへのあこがれ、秀でた人格への称賛をするのは人間にとってごく普通の感情ではないかと思われますが、近ごろの大谷賛辞は幾分宗教がかっている気がします。というか宗教とはそういうものは生じているものだと思われます。
全知全能の神を崇拝するというのもそれと同じなのです。
大谷をもはや崇拝している人が、全知全能の神を崇拝する人を見下すのは人間というものに対する理解不足でしかないのです。
いつの時代でも「不世出の大天才」という人はいました。その人が今生きていたらいったいどれほどの人気を得ていただろうと思いますね。それでもその人気が2000年続くということはまず考えられません。
キリストが類まれな存在であったということになるのです。
ものみの塔日本支部はそういう根本的敬意に欠けているのです。自分たちがキリストを守るためにウソまでつかないといけないと感じているからです。傲慢もいいところです。