ものみの塔組織に浸かっていると霊的白内障、そして盲目になる:目を純一にするとは?(青字追記) | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

知人が先日白内障の手術を受けました。白内障とはどんなものかをいろいろ調べていたのですが、なかなか自覚症状はないということです。また進行もゆっくりしたものだそうで本人が気づくのは大変遅いというものだそうです。

 

ただ手術前にはそれほど不自由は感じなかったのでその必要はないと思っていたようですが、手術後は曇りガラスが透明になったような気がすると言っていました。

 

エホバの証人も、ものみの塔組織の考え方にどっぷり浸かっていると霊的な白内障にかかっていく気がします。

 

最初は創造者を認め、聖書の価値を高く評価するのですが、組織にいると、創造者よりも統治体を重視し、聖書よりもものみの塔誌を重視するようになります。統治体や日本支部の歪んだ聖書理解に基づいた邪悪で狡猾な誤導により、神への純粋な思いが蝕まれていくのです。

 

エホバの証人の組織内で、「牧する」立場の人に、「聖書にはこのように書いてありますが、組織のこのやり方はどうなのでしょうか」と質問すると、帰ってくる答えは「その件について出版物がどのように注解しているでしょうか。よく個人研究をしましょう」というものが多いですね。

 

この牧者とのやり取りは”牧者”が“霊的白内障”に冒されて、それが進行しているということを示しているのです。彼らとは不変の聖書を用いて話をすることができません。常に変化する協会の最新の出版物でないと話ができないのです。

 

彼らの個人研究とは組織の見方を取り入れ、それと同化することを目標としているのです。出版物では「円熟した人とは神と同じ見方を持てる人」とあります。そこで牧者たちが、組織と同じ見方をして進んで同化しようとしているのは統治体を神とみているということですね。論理的にそうなります。

 

白内障も軽度から重度に及ぶものがあります。

 

乳井健司を中心とするものみの塔日本支部支部委員は右端の状態にあります。もはや聖書の原則が見えないのです。それを証拠立てるのが広報の一連の嘘発表でした。

 

今全会衆に向けて体罰に関する通達をしているようですが、問題なのは過去の罪を認めるか認めないかであるのにも関わらず、それに触れないのは右端の状態になっているからです。

 

キリストは山上の垂訓マタイ6:22で次のように述べました。

「もし目が純一であれば,あなたの体全体は明るいでしょう」。

 

さてそれに対する協会の注解はこうです。↓

 

統治体はここで「目を純一」であることと、簡素な生活を送るということを結び付けていますが、それは短絡的な注解です。現役時代はそういうこじつけも受け入れていました。それは余計な気苦労をしないためです。とはいえよく考えれば、簡素な生活と目を純一に保つこととはあまり関係ないのです。要は混じりけのない目でものを視るということです。

 

目を純一であるとは、「創造者を見る」際に何ら妨げになるものを入れてはならないと解釈したほうがわかりやすいでしょう。つまり統治体の得手勝手な聖書解釈で聖書の言葉を理解しようとするのが「目を純一」に保つことの妨げとなるのです。それは上述したように、「牧する」立場の長老との、出版物に基づいた聖書に対する見解でのやり取りを見ればお判りでしょう。統治体の著す「協会の出版物に基づいた聖書の曲解」は目を純一にする点大いなる妨げとなるものです。

 

「目を純一に保つ」とは生活が簡素であるかないかではなく、聖書の言葉を素直に受け入れるというものでなければならないのです。

 

ところで滑稽なのは宝飾品に身を包むスティーブンレットのような人間はとても簡素な生活をしているとは言えないでしょう。まあ統治体の見解に基づいても統治体の目が純一でないことは明らかですね。モリスの次はレットでしょうか。

 

「盲目の案内人」は案内する方も盲目ですが、される方も盲目なのです。だから二人とも穴に落ち込むのです。ものみの塔組織はそういう盲人を生産しているのです。

 

私個人としては組織から離れてからの方が“霊的白内障”のよどみが徐々に消え失せつつある気がしています。創造者に対しての畏怖の念が強まるのです。組織から離れた当初はそれほどよどんでいなかったと思っていましたが、今は離れた当初よりもすっきりした思いで見ることができています。組織にいて霊的白内障は進行していたのです。

 

日本支部広報及び乳井健司を中心とする支部委員たちは創造者よりも統治体に畏怖の念を持っているので目がかすみ、よどみ、見えなくなっているのです。そのような目が純一でない人に導かれるとどうなるでしょうか。

 

 

霊的死です。