そして小田原 | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

今回の旅行の三つ目の目的は小田原です。

 

小田原も10年以上前に行ったのですが、ほとんど記憶がなく、憶えているのは早朝にファミレスで朝食を摂ったくらいです。

 

小田原は戦国関東の雄・北条氏の居城で秀吉の小田原攻めが有名ですが、以前行ったときに行きそこなった秀吉の陣・石垣山一夜城を見るためでした。

 

そしてやはりブラタモリの再放送が一年前にあったので行くことにしました。

 

小田原城に到着して入った駐車場が二宮尊徳をまつる神社の駐車場でした。二宮尊徳の出生地が小田原であることを初めて知りました。二宮尊徳は江戸時代末期の人で、薪を背負いながら本を読んでいる像が昔は多くの小学校にありましたが、その勉学は農政改革などで実を結び、多大の貢献をした人物で、今で言うなら農学者であり経済学者です。

 

二宮尊徳は報徳思想というものを掲げましたが、それは「経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説く(Wiki)」というものです。報徳学園と言えば甲子園で有名ですが、その学校名はこの二宮尊徳の思想に基づくものです。

 

この報徳思想というものは渋沢栄一の「道徳経済合一説」とほぼ同じもので、渋沢栄一より60~70年も前に民の幸福を願っての経済学を唱えたのです。こう考えると二宮尊徳はもっと世間に知られて良い存在であり、渋沢栄一もそうですが、江戸時代の終盤はこういう経済学者が生まれるほど日本では学問が発達していたのです。ともすれば鎖国下の日本は民度が低いかのような印象がありますが、日本を訪れた宣教師フランシスコ・ザビエルが述べたように、日本人は学問が好きな国民なのです。小田原市は二宮尊徳の生誕地としてのアピールをもっとするべきでしょう。

 

 

二宮神社から横道を登っていくと小田原城天守閣に道が通じます。

 

「♪この角度からの~ 城がと~て~も きれいだ~から~」(大瀧詠一ペパーミントブル垣ー風に)

 

天守閣に登って秀吉が陣を張った石垣山を見ます。

 

天守閣には「小田原さんぽ」というアプリが紹介されていてそれを使うと、実際の景色の上に秀吉軍の諸大名がどこに陣を張ったかを見ることができます。四方八方を囲まれていたことをまざまざと実体験することができます。

 

天守閣を出て常盤木門をくぐって城外に出ます。ブラタモリのワンシーンの場所に着ました。

 

 

 

石垣山から小田原城を見ます。

 

秀吉と家康が並んで放尿したという場所なのでしょうか。なんにせよ城内が丸見えです。

 

一夜城と言ってもしっかり石垣を積んでいます。この秀吉の動員力に北条氏政、氏直親子が度肝を抜かれたというのは理解できます。

 

もし降伏せずに徹底抗戦していたなら、小田原の街は焼き野原になっていたことでしょう。幕末に江戸城を明け渡し、江戸焼き討ちを防いだ勝海舟もそうですが、民の犠牲を防ぐために無念の降伏だったとはいえ、賢明な判断でした。ふと台湾有事のことが頭をよぎりました。

 

タモリがかまぼこ作りに挑戦したという蒲鉾店です。

 

外観だけで中には入りませんでした。

 

アジア系外国人の傍若無人なふるまいと大声がなく静かな旅でした。鎌倉での中学生男女の声くらいでそれは可愛らしいものでした。今のうちだなということです。