75年を超えてもやめなかったのは75年信仰をもっていなかったから | エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

エホバの廃証人:ユダヤ教の異端・ものみの塔鬼畜統治体&嘘つき腐臭幹部日本支部関連+諸事イッチョカミ

「無価値な目撃証人」とは箴言19:28(新世界訳)で「どうしようもない証人」と訳されているWorthless Witnessの字義訳です。
ものみの塔日本支部広報の体罰に関する回答は彼らがそういうものであることを自ら示しました。
主にものみの塔関連ですが、そのほかいろいろ。

ある方が「75年を超えてもやめなかったのはなぜか」という問いを投げかけていらっしゃいました。その答えは私に言わせれば「75年信仰を抱いていなかったから」というものです。もう一つはエホバの証人の中でコミュニティを築いたからです。

 

確かに組織は1975年にハルマゲドンが来ると思わせるようなことを、75年以前にはしきりに書いていました。しかし一方で「時に関しては子も知らない。」というキリストの言葉もありました。

 

ということから、その当時から組織崇拝を行い、組織の文言を一言一句神の言葉だと解釈していた人たちは75年にハルマゲドンが来なかったことで大いに失望し、その時に組織を離れた人も少なからずいます。一方でキリストの言葉を重んじる人たちは、「時」ではなく神に献身した人は75年に振り回されなかったということです。

 

私も「キリストはその人時刻については子も知らない。」という言葉があるのに、なぜ75年を強調するのか、意味不明でした。それは間違った認識を培うだろうと思っていました。

 

以前にも書きましたが、私は講演で「もし1914年に解釈が間違いであと100年ハルマゲドンが来ない、つまり自分の生涯中にハルマゲドンが来ないとしてもエホバの証人であり続けたいと思いますか」と話したことがあります。実際1世紀の使徒たちもその生涯中に期待していた事物の体制の終結とキリストの臨在は来なかったのに死に至るまで忠実を全うしました。

 

1975年信仰を抱いていた人たちは離れたでしょうが、それは神への信仰をと向き合わない人たちでした。またある研究生は、大変模範的で進歩していたのに突然研究をやめました。司会者に尋ねると、どうやら自分の好きだった人(エホバの証人ではない)に告白して振られたからということでした。そういう現世利益的、もしくは神と取引をしているような人は75年信仰に限らず辞めていきました。

 

もう少しわかりやすく言うとGW中、甲子園での阪神タイガースの試合は満員でした。今年は早々と優勝の可能性はなくなりました。現実的に言って今年は無理でしょう。それでも「これからだ!阪神優勝!!」と笑ってメガホンをかざす人たちがテレビに登場します。

 

熱心な阪神ファンを見て巨人ファンは「優勝もできないのになぜ阪神ファンで居続けるのか」と疑問を持つ人がいます。巨人は定期的に優勝しますので、応援の動機が優勝するという現実的可能性を持っているから応援するのでしょう。そういう人はもし巨人が17年も優勝しないなら巨人ファンを辞めるかもしれませんが、そうでない人もいるでしょう。

 

かつてロッテが1998年にプロ野球最長記録である18連敗を喫したときにでも熱心なロッテファンがいましたしその後もロッテファンは12球団で最も熱心なファンです。18連敗中にロッテファンをやめた人もいたでしょうが、より熱心になった人もいたことでしょう。

 

優勝というのが各球団が目標としているのですが、それを達成できないから応援しないという思いの人はそのファン心理が本物かどうか試されます。


もっとわかりやすい例を挙げれば、事業やエンターテイメントで成功をおさめ大金持ちになった男の人がいたとします。そういう人の周りには女性が群がりますが、金の切れ目が縁の切れ目というように、その後の失敗で文無しになったときに、百年の恋も冷める女性もいるでしょう。男性に対する愛がその男性の向こうにあるのがカネだからです。その男性の本質などどうでもいいのです。男性よりも金が優越しているのです。

 

75年にハルマゲドンが来なくてもエホバの証人を辞めなかった人は、単にハルマゲドンだけではなく、心を許せる仲間を見出し、またエホバの証人であり続けることで神への愛を深めていくことができたからです。集会で聖書を開き、仲間と創造の驚異について語らうのが楽しかったからです。それは甲子園のライトスタンドでコンバットマーチに合わせてメガホンを振った経験が楽しいのと同じなのです。阪神ファンであることによってコミュニティの中でその場でしか味わえない楽しさがあるからです。75年よりも神を重視しているからです。75年で辞めた人は男の向こうに金を見る女性のように、神の向こうにハルマゲドンを見ていたのです。こんなのは哲学的な問題ではなく、人間の利己心の問題です。

 

首脳陣に対して文句があっても、監督や選手にヤジを飛ばしてこき下ろしてもそれで球団のファンを辞めることはないのです。

 

まあ甲子園に行って六甲おろしを謳うのかと思えば、他球団の歌を歌わせられたら行く気はなくなりますよね。

 

ものみの塔の賛美の歌が神より統治体を賛美するように仕向けられるのは他球団の応援歌を歌わせられるようなものです。